㉗-3 シオン
気が付くと、マリアは自分のベッドで目を覚ました。
珍しく夢も見ず、時間だけが一瞬で通り過ぎたかのようだ。
時計の針は、九時五分を指している。
部屋は薄暗く、朝とは思えない。夜の九時ということだろう。
マリアの中に、漠然とした焦りが芽生える。
慌ててベッドから起き上がろうとしたところで、膝に激痛を感じた。
「う…………」
ズキズキとした痛みで、顔が歪んだ。膝には丁寧に包帯が撒かれているが、所々で血が滲んでいる。
「この包帯、ティナがしてくれたのかな……?」
薄暗い部屋に、ティナの姿はない。
どうして服のまま、ベッドで寝ていたのだろうか。
足に、怪我までして。
部屋の床に、素足をつける。
冷たい床には、マリアの靴が揃えてある。几帳面なティナが揃えたのだろうか。
「ティナ、こんな時間にどこへ行ったのかしら——」
そう言いかけた時だった。
ティナに嘘を吐かれたことを思い出す。
頭痛と吐き気がマリアを襲い、視界はぼやけた。
——“人間のようなもの”と云う言葉が、マリアの頭に反響していく。
指先がカタカタと震え出す。
ラウルは、レンのことも語っていた。
——己が記憶を別人に挿げ替えられる恐怖が、お前には理解できるか?
——だが、それももう終わる。インストールは、最終段階を迎える。
ティニア——レンは、どんな想いで、マリアと暮らしていたのか。
ティナの立てた仮説は、当たってしまった。
頭の中に込み上げてくる幾多の考えで、耳鳴りがしそうだ。
マリアはベッドから立ち上がると、リビングへのドアを開ける。
ガチャリ。
同じタイミングで、玄関ドアから音がした。
「ティナ……」
「鍵が、掛かっていなかったのですが——」
ティナは青ざめたマリアに気づいた。すぐにマリアの足元へ目を向ける。マリアの両膝は血の滲んだ包帯がある。
「何か、あったのですか? まさか、何者かが襲撃を——」
「違うの」
周囲への警戒を解かないまま、ティナはマリアへ駆け寄る。
「……ラウルに会ったの」
「ラウルに、ですか……? シュタイン・アム・ラインで……?」
「うん……」
「何をされたのですか?」
「膝の怪我は、違うの。これは私が——」
マリアは、独り言のように呟き、ティナを見上げる。
心配してくれていることが、素直に嬉しい。
「ティナの立てた仮説、ほとんど当たっていたわ……」
「ティニアさんのことですね」
ティナの言葉を聞き、マリアは頷く。
「ティニア=レンは、生かされていると……。あの状態を、生きているとは言えないって——」
マリアは目を閉じた。
ラウルの言った言葉が、マリアの口から出ることはない。
どれだけ辛く惨い思いをしてきたのだろうか。
「それから私のことも、話してくれたの……」
——母なる器。
マリアを生み出すために、多くの犠牲を払った。
——ラウルの語った犠牲。
母なる器を作るために生み出された失敗作——ケルンメンシュたち。
押し黙ったマリアに対し、ティナは優しく微笑む。
「無理に話そうとしなくとも構いませんよ」
「ううん。話すわ……。でも私、話を最後まで聞けていなくて……」
「話せる範囲で構いません。今は私しかいませんから」
マリアは頷くと、遠くへ視線を飛ばす。
「ラウルは、私を母なる器と呼んだわ」
マリアは胸に手を当てる。
痛みを抑えるように、指に力が入る。
「そして、生贄とも……」
ティナは何も言わずに、マリアの話を聞いてくれている。
「——私は人間のようなもので、作られたって……」
声が震えた。
彼女の表情を知ることが、少しだけ怖い。
「は、母とは、聖母を意味する……。それらを、M計画と——」
それらは現実として、改めてマリアの脳裏へ刻まれていく。
「ラウルが……。そうですか。貴女に話したのですね」
ティナは視線を落とした。
「やっぱり、知っていたのね……」
「……はい」
マリアは、ティナが前を向くまで待った。
「どうして、私をケルンメンシュだって、嘘を吐いたの……!? なんで、中途半端な説明をしたのよ!」
そこまで言って、マリアは我に返る。
「……ごめん。怒っているわけじゃないの。……私は、理由が知りたいのよ」
マリアはティナを信じていた。
盲目的に依存しているからではない。
ティナは再び目を閉じると、胸元に手を当てる。
「——マリア」
「なに……?」
「貴女は、目覚めてからたった十八年しか経過していません」
「……そうね」
ラウルも語っていた、目覚めてからの十八年は短いのだろうか。
今が三十歳だと思って生きてきたマリアにとって、半分程の年月だ。
長い時を生きてきた者たちにとっては、一瞬の出来事なのかもしれない。
そんな時の流れを生きることは、寂しいことではないだろうか。
「ヴェルローラの身勝手な行動の末に、貴女は作り出されました。そんな貴女に、あんな惨い事実を伝えたら……。貴女は、壊れてしまうのではないかと……」
「…………」
「ごめんなさい。正直に話すべきでしたね」
マリアは首を横に振る。
「どうして、こんなに貴女を信頼出来るのか分からないわ。教えて欲しいくらいよ」
「マリア……」
「でも、ティナをこれ以上苦しませたくないの……。だから、もう嘘はつかないで欲しいの」
苦笑いを浮かべたマリアを、ティナは抱きしめた。強い抱擁に、マリアは狼狽えてしまった。




