㉗-1 アイリス
マリアの目の前には、背の高い男が立っていた。
男の名をラウル・ジークフリートと云う。
ラウルは季節に似合わず、黒い外套に身を包んでいた。
右眼を覆っていた眼帯の下からは、金色の瞳が姿を現している。
右眼にはレンの金色の瞳、左眼には機械仕掛けの青い瞳を宿したオッドアイ。青い瞳をよく見れば、精密な機械の部品のようなものが上下に動いている。
ティナの話通り、ラウルは全身が機械で出来た——機械人形だ。
マリアはなんとか、か細い声を絞り出した。
「…………母って……?」
ラウルの言葉をにわかに信じられない。
そもそも、母が何を意味するのか、マリアには分からなかった。
子を産むために作り出されたとは考えにくい。
マリアの疑問を汲み取ったかのように、ラウルは一瞬だけ視線を落とした。
「母とは、聖母を意味する」
聖母。
短いその言葉は、マリアの背筋を凍らせるのに十分だった。
「聖母って、そんな宗教みたいな——」
マリアに、引きつったような笑みが浮かぶ。その瞬間、マリアはティナとの会話を思い返した。
ヴェルローラは邪教を信仰している、いわば宗教団体であるということを。
「まさか」
血の気が引いた。
「ヴェルローラが神と崇める存在への生贄。それがお前だ」
「な……」
ラウルの声色はどこか笑っているようにも感じられた。
「じゃあ、目覚めっていうのは——」
「器の完成を“母なる目覚め”と云い、お前が母に成り代わる事を指す」
「母に成り代わる……?」
「そうだ。完全なる母を作り出すために、お前は作られた」
ラウルは視線を逸らしていた。
「なんで母なの? どうして、ヴェルローラは聖母を欲しているの……?」
「——お前の“目覚め”に関わる事だ。今は話せない」
これ以上責めたとしても、ラウルが口を割るとは思えなかった。
「お前が作り出されたのは、俺の罪だ。俺は、その後始末をしなければならない」
「前から、私を壊すって言っていたものね……」
「此れは俺の責任だ」
「ラウル……」
ラウルは金色の瞳を隠すように触れた。
「……一体何があったの? 私、聞いた話でしか知らないのよ」
ラウルについては、主にタウ族であるというミランダやディートリヒから聞いている。
ラウルは気がおかしく、レンが故障させて停止させたという。
そして、原因となった右眼を取り除き、レンは自身の右眼をラウルに与えた——。
「話を逸らすな。今はお前の話をしている」
それでもと思い、マリアは胸に手を当てた。
「貴方だって苦しんできたんでしょ? 長い間、ずっとずっと……」
ラウルはわざとらしくため息を吐いた。
「レンは、俺なんかの為に、片目を失った。俺の罪は、償っても償いきれないことだ。お前が口を挟むことでは無い」
身動き一つ取らなかったラウルは、一歩踏み出した。
ラウルは間合いを詰めることを得意としていた。
破壊する気があるのなら、既にマリアの命はなかっただろう。
呆然と見つめるマリアに対し、ラウルは吐き捨てるように言った。
「おい」
「何よ……」
マリアは不満げに顔を逸らしたが、ラウルは気にも留めていない。
「お前は奴の事を、レイスの前世——ティニアの事を何処まで知っている?」
「ベビーシッターとして作られた、非戦闘用機械人形だったことなら——」
「補足してやろう。レイスの前世——ティニアは、レスティン・フェレスで製造された機械人形だ。女型ではあるが、人間のような性別はない」
性別がない。その言葉は、二人が機械人形であるという事を改めて実感させた。
「奴が姉を名乗るのは、俺よりも稼働日が先だっただけに過ぎない。製造は俺の方が先だった」
「でも、姉弟なのでしょう? そんな言い方——」
ラウルは鼻で小さく笑った。
「ふん。ボレードの癖に、姉を名乗るなど」
「……ボレードって、差別用語になってるっていう?」
無意識に、マリアから言葉が漏れ出た。
「そういう情報は与えていたのか。ボレードとは、レスティン・フェレスの言葉で“ネジが一つ足りて居ない存在”を表すからな」
「本来は、秀でた能力がなくとも、多くの人の力になれるという意味合いだったって聞いているわ」
ラウルは不服そうに、口元を僅かに歪めた。
ラウルの名前であるジークフリートにも、何か意味があるのだろうか。
「ティニア・ボレードに与えられた役割は、生まれてくる皇子のベビーシッターだった」
皇子というのは、初耳であった。
本当にティナはラウルの言う通り、『尤もらしい事実だけを並べ、核心を話さない』人なのだろうか。
「まだ理解できないか? 奴は子供の行動・思考パターンをよく理解していると云う事だ」
ラウルの機械仕掛けの瞳が、再び動いたように見えた。
ラウルの言葉は、マリアが理解しないでいたい事を露わにした。
「ケルンメンシュを理解するためには、己がそうであると認識するのが一番手っ取り早いと判断したのだろう。其の為に、奴は嘘を吐いた」
「そ、そんなこと——」
「あいつは計算高い。全てを話しているように見せかけ、肝心なことは話さない。実に奴らしい」
ラウルの言葉が、不思議と腑に落ちてしまう。
納得してしまった自分に、悔いが生まれていく。
「たった十八歳のお前に、母なる器という説明は重すぎると、奴が判断したのだろう」
目を背けることが出来ず、マリアは俯く。
「成程。確かにお前に話すには、重過ぎた話だったか」
ラウルはマリアの前に跪くと、マリアの顎を指で拾うように、顔を上げさせた。
「ッ……」
「聞け。お前の心臓は、ケルンメンシュと同じく機械で出来ているが、孤児を使用した物をケルンメンシュと云う」
ラウルのオッドアイに、マリアが映っている。
「だが、お前の材料を教えてやろう。お前の材料は、“人間のようなもの”だ。ケルンメンシュとは根本から異なる」
マリアの指先に、一瞬だけ力が入った。




