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暁の芽吹 -レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode26「運命の輪」
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㉖-4 節制

 アルベルトは、そっとティニアの肩や腰に腕を回した。

 ティニアは強張ることなく、その身を委ねてくる。


 許された抱擁だからなのか、ティニアがより柔らかく感じられた。

 アルベルトの胸の奥で絡まっていた糸が、ゆっくりとほどけていく。


「——ねえ」


 沈黙に耐えられなかったのか。それとも厭になったのか。

 ティニアの声が、腕の中から聞こえた。


 夜明けの町の静けさが、彼女の心音を聞かせる。

 さらに、自分の心音と、部屋の掛け時計のこつこつとした音が重なる。


「……どうした?」

「このままでいいの? これで君は安心できるの?」

「ああ。安心できる」

「そっか。不安だったんだね……」

「……いきなり抱きしめたり、今まで悪かった」


 ティニアはアルベルトの腕の中で、頭を横に振った。


「……僕、君のことが、分からないんだ」

「俺一人くらい、分からなくたっていいだろ」

「昨日の……、喧嘩したままだったら、どうしようかと思った」

「喧嘩か……。そしたら、お互いでまた謝ればいい。これからはそうしよう。俺はお前の傍にずっと居たいと思っている」


 ティニアは何も答えなかった。

 このまま時間が止まってしまえばいい。

 二人だけの空間で、二人だけで存在できればいい。


 名残惜しそうに腕を解く。ティニアは胸を抑え、今にも泣きだしてしまいそうな表情を浮かべていた。

 苦しんでいるようにも、悲しんでいるようにも思えなかった。

 つい、その頭を、髪を撫でてしまう。


 ティニアは落ち着かない様子で、アルベルトの服の裾をつついた。


「今日、仕事休んでよ」

「……そういうわけには」


 ティニアの我儘は珍しく、そして唐突だ。


「僕も休むよ……」


 その言葉は、素直に嬉しかった。


 不意に、服の裾をつつくティニアの手が、銀色に煌めいた。


 きっと懐中時計だろう。

 ティニアは何かを思い出せたのかもしれない。

 彼女が今もそれを持っていることに、アルベルトは心を撫で下ろした。


 だが、孤児院を尋ねてきた男の姿が脳裏を過ぎる。男からのプレゼントだったら——。


 アルベルトの脳裏と胸に、ぷすりと針が刺さった。

 何かが頭に浮かび——刹那、それらは消えていった。

 いつもなら耐えがたいその痛みも、今は静かに受け止められたのかもしれない。


 彼女と向き合うのであれば、彼女の秘密ごと受け止める必要があるのだろう。


 アルベルトはなるべく微笑んだ。


「……わかった、休むよ」

「そう、良かった。ありがとう……」


 本当に嬉しそうに、ティニアは微笑み返した。


「いや、お礼を言うのは俺の方だよ。……フリージアはどうするんだ? 孤児院に連れて行こうか?」

「ううん、僕が孤児院に頼んでくる。フリージアね、昨日から文字の勉強を始めたの。君が寄付してくれた、星の王子さまを読んでる。とても楽しそうなんだ」

「そうか。それは良かった」

「うん。連れて行って良かったと思えたんだ。……どう? 眠れそう?」


 顔を上げるティニアはアルベルトに近づいた。呼吸も届く距離だ。アルベルトは衝動を抑えつつ、彼女の頭を優しく撫でる。そのまま髪をいじり、優しく手櫛する。


「……添い寝でもしてくれたら、眠れるかな」


 一瞬だけ、沈黙が流れた。


「いいよ」


 その言葉が嬉しかった。例えそれが、心配から出た言葉であったとしても。


 アルベルトはティニアの髪を掬うと、指先で遊んだ。

 どうしていいのかわからず、ティニアは困ったように見上げてくる。


 困らせたいわけではない。

 自我を制し、なんとか彼女から離れた。


「……もう少ししたらフリージアを孤児院へ送って、診療所にも連絡を入れるね。そしたら、一緒に居られるから」


 ——嬉しかった。

 それなのに、切なさで心臓が苦しい。


「いいから。お前は普通に出勤するんだ」


 ——何故だろうか。彼女の優しさや気遣いを、素直に受け入れられない。


「でも、それじゃ君が——」

「心配するな。ちゃんと休んでいるから、お前は普段通りにしていたらいい」

「……本当に大人しくしてる?」


 少しむくれたように、疑うような視線を向けてくる。


「ああ、今日はちゃんと休む。親分からも忠告されてたからな。あの人、そういうの破ると五月蠅いし」

「それなら、親分には僕が知らせるよ。君はとにかく休んでいて」

「わかった。ちゃんと休むから、な」


 アルベルトの言葉に、ティニアは胸を撫で下ろした。

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