↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の芽吹 -レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode26「運命の輪」
PR
159/250

㉖-3 力

 控えめなノックの音が鳴り、アルベルトは気怠そうにドアへ視線を送る。

 窓の向こうはまだぼんやりと薄暗く、明け方であることが分かる。


「……鍵、かかってないぞ」


 応答はない。


 長い夜を眠れなかったせいで、アルベルトの額はじんわりと汗ばんでいる。その汗を拭うように、ソファから起き上がる。

 ドアを開けると、そこにはティニアが寝巻のまま立っていた。ティニアは視線が合った瞬間に俯いてしまう。


「どうしたんだ、何かあったのか?」


 驚いたのはアルベルトの方だ。ティニアは頭を下げた。


「昨日はごめんなさい」

「いや……。悪いのは俺だ。一方的に、感情的になって……」


 ティニアは首を横に振った。短い金髪が、大きく揺れた。

 アルベルトは言い淀み、押し黙ってしまう。

 ティニアは不安そうに唇を震わせた。


 アルベルトは拳に力を入れた。


「……お前の気持ちを考えなかった。疲れているのは分かっていたのに」


 ティニアは俯いたまま、首を何度も横へ振った。


 アルベルトの視界に、白銀の髪が見え隠れした。どうやら、フリージアが聞き耳を立てているようだ。それが単なる興味ではなく、心配しての行動であることは十分理解している。


「……ちょっと、部屋に入れるか?」

「え……、うん」


 ティニアは警戒するように、部屋の中へと足を踏み入れた。アルベルトは、ゆっくりとドアを閉める。

 鍵はかけなかった。


 ティニアを怖がらせないよう、ゆっくりと振り返ったアルベルトは、不眠から軽い眩暈に襲われる。


「う……。くそ……」

「だ、大丈夫……!?」

「……ああ、大丈夫だ」


 アルベルトは崩れ落ちるように、ベッドに腰を下ろした。

 呆然と立ち尽くしていたティニアだったが、迷ったようにその隣へ腰を下ろす。


 軽く三日は眠れていない。アルベルトは不眠から、自身の頭が冷静ではないことに気付いた。

 こんな状況下でも、隣に座ってくるティニアに、心が躍る。

 しかし、素直に喜ぶ気にはなれなかった。


 不安定な関係。

 心の不安を取り除きたい。

 それらは、一方的な我儘でしかないのだろうか。


「ごめん。僕のせいで、また眠れなかったよね……」


 ティニアの声は震えていた。


「いや……」

「僕は、君を傷つけて、振り回してばかりだ」

「いや、俺の方だよ」


 ティニアの名前は、本当はレンであるということ。

 レンは、中世ドイツの貴族——アスカニア家に恩があるという。

 知人から聞いた話でしか知らないことに、心が痛む。

 それらを、彼女が語る事はないのだろうか。


 不意にアルベルトは、自分はどうであったかを思い返した。

 自分から、彼女に過去を語ったことはない。語れるような軽く、明るい話題ではないからだ。

 それは、彼女も同じなのではないだろうか。


 生きるためであったとしても、決して許されることではないことをしてきた。

 例え、それが戦争であったとしても——。


 アルベルトは、以前ライン川にかかる橋の上で話したことを思い返す。

 目の前の彼女に言われた。戦争への後悔を抱えて欲しいのか、と——。


 そしてはっきりと告げられた、抱えようとは思わないという彼女の正直な意思表示。

 戦争の苦しみはアルベルト自身だけの苦しみであり、それを誰かに分けるなど以ての外だと言った。


 人肌を求め、愛情を乞えば捨てられる。

 打たれ、蹴り飛ばされ、一切れのパンすら受け取れない。

 そう孤児院で学び、売られ、軍学校へ進学した。


 全部、わかっていたことだったのに——。


 戦場以外では、相手を欺き、嘘を並べ立て、直接ではないものの、多くの命を奪うこととなった。

 いつしか嘘を重ねることに慣れ、惑わすことを得意とし、演技を続けてきた。


 そんな自分が、平和な日常を望んだ理由。

 平穏な世界へ足を踏み入れたくなった理由。

 理由は一つだ。


「………………」


 沈黙してしまったアルベルトへ、ティニアは心配そうな眼で見上げてきた。その表情がたまらなく愛しく、抱きしめたくてたまらない。


 アルベルトは、自身の欲情にも似た想いに罪悪感を抱いた。


 同時に、アルベルトを再び眩暈、そして吐き気が襲う。

 今は弱さを見せたくはない。それでも、彼女はきっとそんな自身の弱さを見抜いてしまうだろう。


「今日は無理しないで。仕事も休んでよ……」

「親分に、何か言われたのか……?」

「ううん。見ていれば、わかるよ……」


 ティニアは、アルベルトの頬に指で触れた。

 彼女の指は、とても冷たい。

 心地よい刺激が、全身へ駆け巡る。


「少し、いいか」

「なあに……?」


 アルベルトはゆっくり立ち上がると、手や腕を広げた。

 再び抱きしめられると思ったのか、ティニアは体を強張らせた。しかし、アルベルトはその姿勢のままティニアの返答を待った。


 ティニアは首を傾げると、その愛くるしい顔で苦笑いを浮かべる。


「い、いつも急に抱きしめるのに、……今度はどうしたの?」

「いつも急で悪かったな」


 気恥ずかしくなり視線を外すアルベルトに対し、ティニアは困ったように頬を指先で掻いた。


「うん。その、びっくりしちゃう、かな……」

「……そうか。お前に、抱きしめてもいいのかを聞くべきだったな」

「ええ、何それ…………」


 いつものように引くわけでもなく、頬を赤らめるティニア。

 こういったことに慣れていないだけなのか、それとも気恥ずかしいだけなのか。

 意図せず上目遣いになったティニアの瞳、そして唇に、アルベルトの視線は吸い込まれた。


「抱きしめられたら、許してもらえるの?」


 その唇が、静かに動いた。

 

「いや、許すとかそういう事じゃないんだ。ただ、俺が安心したいんだ……」


 アルベルトは乱れた呼吸を落ち着かせると、ティニアを見つめ直す。ティニアは目を逸らすことなく、真っ直ぐ見つめ返した。

 先ほどまでの沈黙とは違う空気に、ティニアは息を飲んだ。


「今、お前を抱きしめてもいいか、教えてくれ」

「…………」


 ティニアは唇に力を入れた。目を閉じると、眉間に皺を寄せる。

 苦痛を感じているように見えた。

 そんなにも拒絶されることなのかと思い、アルベルトは腕を下げた。


 項垂れるアルベルトに対し、ティニアは困ったように口を開く。


「……どうしたらいいの? その、抱きしめられる、って…………」

「え……。あ……」


 ティニアは今までに見たこともないような頬を赤らめた表情で、視線を外していく。指先が震えていることに、アルベルトは気付いていた。


「何もしなくていい。その、委ねてくれたら……」

「……わかった」


 ティニアはアルベルトの胸へ顔を埋めた。その動きは、まるでスローモーションのようにゆっくりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。