㉕-4 予兆
アルベルトとフリージアと別れ、マリアは帰路に着いていた。
気付けばお昼近い時間となっている。ティナも心配してくれているに違いない。
マリアはライン川に架かる橋まで来ると、まっさらに青い空を見上げた。
今朝見たよく分からない夢は、不安な今の状況を表しているかのようだった。
暗い闇は、今でもマリアの心に残っているかのような感覚さえある。
マリアは溜息を吐いた。
アルベルトとは、これからも上手くやっていきたい。
だが、永遠に話さないわけにはいかないだろう。
それでも、ティニア——レンが何も話さないのであれば、マリアから話すべきではない。
アルベルトは今も、何も知らないままだろう。
歯がゆいかもしれない。
焦りと衝動から、ティニアと喧嘩をしてしまうかもしれない。
アルベルトが知っていることと言えば、ティニアは偽名で、本当の名をレンであるということくらいだろうか。
「私、何も成長出来ていないわ。ラーレだった頃から、何も変わらない」
同じようなことを思い悩み続け、答えを見つけることすら出来ない。
マリアはその言葉を、ライン川へ落とした。
◇◇◇
次の日、マリアは少しだけ心が軽くなったように感じた。
仕事を休んでしまった罪悪感が、重みの正体であったのだろうか。
最近のマリアは、悩みすぎているのかもしれない。
元々、考えることよりも先に行動してしまうところがあった。
うじうじと思い悩むことが、成長したとも思えない。
花屋ぺラルゴでは、ミランダとメアリーが笑顔で出迎えてくれた。
いつも通り仕事をこなし、いつも通り花たちに向かう。
ありふれた日常。平和な時間。
それが、足元から崩れ落ちる日が来るのだろうか——。
マリアは一日、一時、一分、一秒を大切に噛み締めた。
◇◇◇
アルベルトは仕事中、シュタイン親分に呼び出されていた。工房の二階へ上がると、親分はバルコニーの高台から旧市街を眺めていた。
「オゥ、アルベルト」
「どうしたんですか、親分」
シュタイン親分は煙草を一本差し出したが、アルベルトは手でそれを制した。
「俺、煙草やめたので」
「そうカァ。……あんマり、フラフラしてっト家に強制送還するゾ。工房は刃物も扱うからナァ、怪我されたんじゃ溜まラン」
「すみません」
アルベルトは二度程、兄弟子に叱られていた。上の空だったのだ。
「うん?」
アルベルトはバルコニーから下を見つめ、怪訝な表情を浮かべる。
煙草を咥えたシュタイン親分は、その視線を追った。
「どうシタァ?」
「いや、あの眼帯の男、この辺りで見かけないなと思って」
「…………観光客には見えねぇな。あの整った姿勢、軍人にも見える」
シュタイン親分の言動は戯けておらず、緊迫が体を襲う。
「あっちは、孤児院の…………」
「あ、おいこら、アルベルト!」
「早退します、すみません!」
アルベルトはそのまま階段を降りると、すぐ近くのライン川沿いを走る。先ほどより、時間はあまり経過していないはずであった。それでも男の姿は見えず、焦りと不安が己を支配する。
息を切らし、孤児院を目指した。周りのことなど目に入ってこない。
胸が締め付けられる感覚。それは戦場で感じ取ったような、単純な勘でもあった。
「嫌な予感がする……。取越苦労であってくれ…………!!」
祈るように、何度もその言葉を繰り返すかのように。
アルベルトは駆け抜けていった。




