㉕-2 屈託
ティニアを診療所へ送り届けた後、アルベルトはフリージアと手を繋いだまま町をただ歩いていった。
フリージアを孤児院へ届ければ良かった。
それが出来なかった。
フリージアは不思議に思いつつも、繋いだ手を離すことはなかった。
少し楽しそうに回りを眺め、指をさした。
「アルお兄ちゃん、あれは何?」
気になったものは、全て尋ね聞いた。アルベルトは丁寧に説明してくれた。
フリージアは、休日の貴重な時間を自分に割いているのだと考えていた。
「他に見たいものでもあるか? 食べたいものとか……」
そう言いながら、アルベルトはまた孤児院へ繋がらない道へと、大きく曲がった。
フリージアは食べ物を思い浮かべているのか、嬉しそうな唸り声をあげた。
煉瓦で出来た民家を更に曲がったところで、美しい朱色の髪を靡かせた女性が目に入った。
「マリアじゃないか」
「アルベルト……」
マリアは一瞬間をおいて振り返った。珍しく束ねていない髪が、ふわりと舞った。
「え、誰……?」
マリアは目を見開いたまま、フリージアを見つめた。
そういえば初対面だったなと思い、フリージアへ視線を送る。
「ああ、こいつは……」
「まさか、もう娘が……?」
「んなわけないだろ」
「そうよね……」
マリアは冗談を言っているだけだと思ったが、本当にそう思い込んだかのように呆然としている。
しかしアルベルトは、マリアの視線がフリージアではなく遠いところを見つめていることに気付いた。
今のマリアは、様子がおかしい。
花の配達であれば、カートを押しているはずだ。
マリアは遠い目をすると、考え事を始めたのか押し黙った。
「どうしたんだ? おい、マリア……」
「あ、ごめん。ボケーっとしちゃって」
「大丈夫か?」
「うん。で、この子は?」
マリアはフリージアの目線まで屈んだ。
「ティニアが保護したんだ。名前はフリージア。フリージア、挨拶しな」
「……初めまして。フリージアといいます」
「ふ、フリージア……?」
マリアは眉をひそめた。
フリージアとは、ティニアが心因性昏迷状態になった際、何度も摘みたいと言った、花の名前。当然の反応だろう。
「ティニアが名付けたんだ」
アルベルトの発言を聞き、納得した様子だ。
「そう。初めまして、私はマリアよ」
マリアは手のひらを差し出した。アルベルトの後ろに隠れていたフリージアは、照れつつもその手を取った。
「マリアさん。綺麗な方ですね」
「あら、若いのにそんなお世辞なんていいのよ?」
「そんなことないです。特に、髪がとても綺麗です」
「本当? 結構自慢なのよね」
マリアはそう言うと、髪の毛をすくい取った。そういえば髪を束ね忘れたことに気付く。しかし、紐のようなものなど持ち合わせてはいない。マリアが髪の毛から手を離すと、髪は風に乗るように靡いた。
「お前こそ、今日仕事は?」
「や、休んだのよ……」
「そうか」
それを聞かれるとは思わなかったマリアは、正直に答えることしか出来なかった。
だが、アルベルトはそれ以上聞いてこない。
空気の読める男で、こういう時は気が利く。
「……で、肝心のティニアは?」
ここで聞かない方が不自然であると思い、マリアは疑問を投げかけた。
「診療所だよ。今、送ってきたところなんだ」
「それにしては随分と遅くない? もう九時半を過ぎたくらいだと思うけれど」
丁度通りにある時計を、三人は見上げた。確かに時計の針は九時三十四分を指している。
「あー。送ってから、随分と歩いたからな……」
「歩いてた? 散歩でもしていたの?」
「そうだな。……散歩かもしれないな」
含みのある言い方だと、マリアは感じた。
いつもなら、すぐに聞き返していただろう。
これ以上、彼に関わり続けていいのか。
心に浮かんだ想いに、マリアは黙ってしまった。
手を繋いだままのフリージアは、アルベルトを見上げた。
心配そうに見上げる少女の腕や足は、やせ細っているように見える。
二人は、ずっと歩き続けていたのだろうか。
マリアも目的を定めずに歩き続けていた。
アルベルトも、マリアと同じなのかもしれない。
晴れぬ心から逃げるように。
意図せず、ただ歩き続けてしまった。
何かをしていなければ、と。
立ち止まってしまえば、押しつぶされてしまいそうで。
以前、ティニアに言われた言葉が蘇る。
『二人とも、結構似てるよね』
アルベルトもまた、何か思い悩んだまま歩き続けていたのではないだろうか。
そう思えた瞬間、マリアは優しく微笑んでいた。
「あなたはいいけれど、フリージアちゃんは疲れちゃったでしょ?」
「ま、まだ大丈夫です」
首を横に振ったフリージアは、慌ててアルベルトを見上げた。フリージアの握る手に力が入っているように、マリアの目には映った。
気を遣っているのだろうか。
マリアはアルベルトと距離を置こうとしていた。
同じ町に住んでいる。
そんなことが、出来るわけがない。
そんな簡単なことも、分からなくなっているのだろうか。
避けていたことに、アルベルトは気付いたのかもしれない。
罪悪感が押し寄せ、マリアはアルベルトへ視線を送る。
アルベルトは、気恥ずかしそうに笑うだけだった。
何故かは分からないが、マリアの鉛のような重みは、霧が晴れたように軽くなっていく。
それがたとえ演技であったとしても。
彼が裏のない人であることは、よく分かっている。
「どこかお店にでも寄りましょうよ。私も歩き回っていて、足がもうぱんぱんなのよね」
マリアはそう言うと、近くにあった店を指さした。
「美味しいケーキをショーウインドウで売ってるお店でね、店の奥にはお茶が飲めるスペースがあるのよ」
マリアはフリージアに向かってウインクした。
「ケーキが食べられるのですか?」
「そりゃそうよ。ケーキ屋だもの」
マリアの言葉に、フリージアは分かりやすいように目を輝かせた。
「アルお兄ちゃん、あたし……」
「分かった。驕るよ」
「やったあ!」
フリージアは繋ぐ手をブンブンと揺らした。手を引っ張るフリージアについていくアルベルトも、どこか嬉しそうだ。
年相応な少女の無邪気な姿に、マリアは安心した。曇っていた心が、晴れ渡るように安心していく。
マリアの視界に、茶色のものが入った。それはフリージアの首元にある、痣のようだ。タートルネックの服ではあるものの、かなり目立っている。
ティニアが保護した——。マリアは、アルベルトの言葉を思い返した。




