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暁の芽吹 -レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode25「BLACK OUT」
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㉕-1 冥想

 真っ暗だ。

 マリアは、目の前の姿を受け入れられずにいた——。


 自分は、どこに立っているのだろうか。

 もしかしたら、落ちているのかもしれない。

 音もなく、静寂は耳を突いた。

 足元は泥沼にあるかのように、重く冷たい。


 目に見える色が暗闇の黒なのかさえ、曖昧になっていくようだった。


 マリアは闇の中、空だと思う方へ手を伸ばした。

 虚空を撫でた指先には、何も存在していないようだ。

 上下間隔を失い、足元が竦む。


 ——寂しい。

 ——独りぼっちだ。


 何故だろうか。心から明かりが消え、泥沼に足を踏み入れたような気分だ。

 やがて感情は虚無感で支配される。

 涙が溢れそうになり、目元に触れようとした。


 そこには、何もなかった。

 まるで、自身の存在すら、存在していないかのように。

 

 マリアは限界を感じ、大声を出した。

 何も音は聞こえない。

 もう一度声を上げるが、同じことだった。


 マリアは自身の肩へ手を伸ばし、抱きしめた。

 やはり、そこには何も存在していない。


 曖昧な世界、境界——。

 何も存在しない。

 それなのに、自分の意思だけが存在しているかのように。 


 不意に背後に気配を感じ、マリアは振り返った。


「誰——?」


 自分の声が聞こえた。

 今まで見ていたものが、全て幻であったと意識した瞬間、目の前にはアパートの天井が広がっていた。

 涙が頬を伝い、耳に掛かった。


「……夢、なの?」


 もう一度、確かめるように声を出す。

 妙にリアルな夢だった。

 体の全身が、足の指先から毛先まで、全てが震え経つかのような感覚がある。


 窓の向こうからは、外の喧騒が聞こえてくる。


「はあ……。夢で、良かった」


 奇妙な夢だった。

 それでも、はっきりと覚えている。

 なんと寂しい夢だろうか。


 時計の針は、八時十五分を指している。


「寝坊した……」


 マリアが独り言を呟いた時、食器の振れる音が、台所から聞こえてくる。

 同居人のティナだろう。

 足音が迫ったかと思うと、控えめなノックの音が響いた。


「マリア、起きていますか?」

「……起きたところよ」

「仕事、休むのですか?」

「うーん……」


 何故だろう。再び孤独感が押し寄せてくるかのようだ。

 マリアは首を横に振った。


 こんな日は、仕事に没頭した方が良い。

 花束を作るのもいいだろう。今日は予約が三件入っている。

 植木鉢のアソートをしてみたいと、ミランダに提案しようと考えていた。


 何故だろうか、今日はそれらすらしたいとは思えない。


「大家さんに電話を借りてくる。今日は休むわ」


 マリアはそう言うと、パジャマを脱ぎ捨てた。



 ◇◇◇


 数えるほどしか休んだことはない。


 フローリストの仕事は好きだ。

 新しい知識を得ることも、花束を作ることも。

 目立たないような水仕事まで……、毎日が楽しかった。

 やりがいを感じられる仕事。

 それが、マリアにとってのフローリストだ。

 

 何故だろう。

 よく分からないような感情が押し寄せ、漠然と思い悩んでしまう。

 どうしてなのか、何故だろうか、と——。


 ティナと部屋にいるのが落ち着かず、マリアはアパートを出ると、歩きだした。

 マリアは、先ほどの電話のやりとりを思い返していた。


 すでに遅刻しているマリアを、ミランダは心配していたようだった。

 しかし、マリアは正直に言った。

 ——今日は、なんとなく行きたくないのだと。


「なんとなく休みたいだなんて……。初めてかもね」


 ミランダは、マリアに熱は無いか、痛みは無いか、心は重くないか。そう何度も聞いてきた。

 分からない、という曖昧な答えしか出てこなかった。


 マリアの中にあったのは、そのよく分からない感情だけ。

 心の病にでも、かかってしまったのだろうか。


 戦時中に、マリアは寝たきりになり、お荷物感と無力感を散々味わった。

 そんな日々に戻りたくはない。

 決して——。


 気付けばマリアの足は、勤務先である花屋ぺラルゴのある広場ではなく、教会と孤児院のある方角へ向かっていた。


「馬鹿ね。この時間、ティニアは診療所じゃない……」


 自分の呟きから、ティニアを求めて彷徨っていることに気付いた。

 どうして、こんなにもティニアを求めているのかは分からない。


 気持ちは晴れぬまま、マリアは教会と孤児院に背を向けた。

 行く当てなどない。


 ライン川から南へ行けばよかったかもしれない。

 こんな場所では、知り合いに会ってしまう。

 マリアが立ち止まったその時だった。


「マリアじゃないか」


 マリアは忘れていた。

 一番出会いたくなかった人物を——。


「アルベルト……」


 振り返ったマリアは、声の主ではなく、その隣の少女へ目を向けた。

 声の主——赤毛で長身のアルベルトと手を繋いだ少女は、慌てて後ろに隠れた。


「え、誰……?」


 マリアの言葉に驚いた少女は、更にアルベルトの後ろへと隠れる。

 アルビノの少女だ。

 まるで、あの時出会った少年——レンの姿が思い起こされた。


 アルビノの二人を比べ、マリアは押し黙ってしまった。

 フリージアは、レンには似ていない。むしろ、ティニアによく似ている。


「ああ、こいつは……」


 アルベルトの言葉で、マリアは我に返った。


「まさか、もう娘が……?」

「んなわけないだろ」

「そうよね……」


 思ったよりも、スムーズに会話できた。

 戸惑い、言葉に詰まると思っていた。


 アルベルトに、真実を話してはいけない。そう感じたあの時から、アルベルトを避けるように過ごしてきた。

 幸運にも、あれから今日まで、アルベルトに会うことはなかった。それだけではない、ティニアに対しても、会うことはなかった。

 ぺラルゴから花を届けに行っても、孤児院にはシャトー婦人しかいなかったのだ。

 最後に会ったのは、いつだっただろうか。

 毎日のように夕食を食べに行っていたのに——。

 心がずしりと重く感じられた。


「どうしたんだ? おい、マリア……」

「あ、ごめん。ボケーっとしちゃって」

「大丈夫か?」

「うん。で、この子は?」


 マリアは少女が怖がらぬよう、目線を同じ高さに屈んだ。

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