㉔-2 加速
遅れて部屋へ戻ってきたフリージアは、既にベッドで横になっていたティニアを心配そうに見つめた。
ティニアもフリージアの気配に気付いており、ゆっくりと起き上がると、布団をめくってみせた。
「……寝ようか」
「ティニア様、大丈夫?」
「うん」
ティニアはそう言っただけだったが、上の空のようだった。表情は硬いものの、涙は止まっている。
フリージアはベッドへ入ろうとせず、立ちすくんだままだ。
ティニアは懲りたように苦笑いを浮かべる。
隣の部屋から、物音は何一つ聞こえない。
「……フリージア、何か聞きたいこと……。ううん、言いたいことがあるの?」
「はい」
フリージアが頷いたところで、ティニアはまた布団をめくってみせた。フリージアは歩みだし、ベッドへと潜り込む。
フリージアにとって、ティニアは診療所で出会ったばかりの女性であった。
彼女の微笑みには、どこか無条件に安心できる何かがあるように感じられる。
どうして、自分は首や体に、あんなに怪我を負っていたのか。
一体今まで、どこに居たのか。
何をしていたのか、全く思い出せない。
素性のしれないフリージアに対し、ティニアだけではなく、診療所の医師レオンも優しかった。
そんなティニアを見つめる存在、アルベルト。何も関係ないような彼ですら、優しく迎えてくれた。
ティニアとアルベルトは、とても仲が良いように映っていた。
それは、フリージアにとっては身近な理想であった。
「どうして、いつも喧嘩をするの?」
フリージアはティニアを見つめた。
悪意のない、鋭い問いかけだった。
「いつもあんな感じだよ……」
「そうなんだ……」
仲良くすればいいのに。フリージアから、言葉にならない言葉が聞こえてくるかのようだった。
フリージアは、ベッドの脇のテーブルに置かれた、くまのぬいぐるみを見つめた。
パジャマを受け取ったときに、名前を聞いていた、あのぬいぐるみだ。
マントを羽織り、剣を掲げたぬいぐるみ。
大切そうに繕われたような、手作り感のあるぬいぐるみ。
そのぬいぐるみの隣に、白銀に光るものを見つけた。
「あれ、何ですか?」
「ん?」
ティニアが顔を乗り出すと、フリージアは指さした。
「これです」
「……懐中時計じゃないかな」
「へえ、これ時計なんだ。ティニア様のですか?」
「いや、僕のじゃないよ」
ティニアはそう言うと、懐中時計を手に取った。そして、フリージアの小さな手に乗せた。
「誰のだろう。うーん、きっとあの人のだよ」
「あの人?」
「あ、あの……。ほら、隣で寝ている、おにいちゃんのじゃないかな」
「そうなんだ」
ティニアは時計を見つめた。
所々に小さな傷が入っているが、大きな傷は一つだけ。
とても大切にされてきたかのように、輝いて見える。
——何故だろうか。
見覚えのない物なのに、心のどこかが強く鼓動するようだ。
「あれ?」
時計に触れていたフリージアが声を上げた。
「どうしたの?」
「これ、開かないんですか?」
「え? 開く?」
ティニアは首をかしげた。
「だって、時計なんですよね。ここに、一から十二まで数字が書いてあるんですよね。これは開くと、それが見えるんじゃないんですか?」
「…………」
ティニアは、不思議そうにフリージアの手のひらに乗る懐中時計を見つめた。
「確かにそうだね。あんまり強く触ると、壊れちゃうかもしれないから……」
「あ、はい」
「明日、あの人に聞いてみたらどうかな」
「……うん。そうします」
「今日は疲れたでしょう? ゆっくりお休み」
ティニアはそう言うと、柔らかく微笑み、フリージアの髪を撫でる。
ランプの明かりを反射し、銀色に輝いた髪を指で拾い上げた。
不意に、アルベルトが自身の髪に触れたことを思い出す——。
手が止まったことに気付き、固まったままフリージアへ視線を送った。
「……な、長くて、素敵な銀色の髪だね」
「そうですか? へへへ、嬉しいな……」
フリージアは嬉しそうに微笑んだ。パジャマの下からは、痛々しい痣が見える。
ティニアは、そっとその首筋に触れた。
「……本当に、もう痛くない?」
「うん。なんともないです。そんなに、あざが見えますか?」
フリージアの問いかけに、ティニアは首を横に振った。
「うーん。すぐ消えるよ」
「……そういえば、ティニア様のお部屋、鏡ないんですね。あたし、鏡がないと見えないので」
フリージアは部屋を見渡した。綺麗に片付いている部屋ではあるものの、ありそうな鏡は一つもない。
小物はそれなりにあるものの、どこか寂しく、殺風景にも見える。無駄なものがないせいかもしれないと、フリージアは思った。
「あー。鏡、好きじゃないんだよね」
ティニアはそれだけ言うと、フリージアを抱きしめるように布団で埋めた。
「わぷ」
「はいはいはい。そろそろ寝ようね」
「はーい」
小さな返事が聞こえた。
フリージアは顔だけ布団から出すと、天井を見つめた。
「……ねえね、ティニア様」
「うん?」
「だいすき。ずっといっしょにいてね」
「……おやすみ。フリージア」
「おやすみなさい」
ティニアは、サイドテーブルにあったランプを消した。
ドアの隙間から、光が漏れている。
ドアを見つめるティニアは、両耳に手を当てた。
目を閉じたまま、そのまま動かなくなる。
眉間に皺を寄せ、何かを堪えるように、膝を抱えた。
フリージアは目を閉じた。見ていてはいけないことなのだと感じ取った。
疲れから、心地よい眠りに落ちた少女は、やがて夢の中へと潜り込んでいった。




