㉒-4 遠い世界で①
ティナの話は衝撃的だった。
怒涛の話ではあったが、全てを打ち明けられたわけではないだろう。考えを整理するために話を止めたのは正解だった。
次の日、マリアは何事もなかったかのように出勤した。
午後の鐘が鳴り終え、一瞬の静寂と共に日常の喧騒に町は包まれた。
どこか上の空であったものの、なんとか業務を終える。
ミランダはマリアの様子に気付いており、仕事が終わるとミュラー家へ招待された。
「レスティン・フェレスと、レンについて、知ってることを教えて」
玄関の扉が閉まるのを待ってから、マリアはミランダの背中に訴えた。無言のミランダに対し、マリアは言葉を待った。
「レスティン・フェレスの話は、どこまで知っている?」
ミランダに迷いはないようだった。
「遠いタウロス星圏にあるとか、彼らの技術で片道二百年くらいかかる、とか。ティニア――レンの事については、精霊のような存在で、レスティン・フェレスで待ち続けていたこと。それから、……レンの想い人の話を聞いたわ」
「……そうか」
レンの切なる想い、ティニアとして生きる彼女の想い。
それを語る資格があるとは思えない。
ミランダ達も、悩んだはずだ。
決して軽い話ではない。
「ねえマリア。マリアは、その話を本人の口から聞きたかったのではなかったか?」
「それは……」
「いくら何でも、プライベートなことだ。私は……」
「ミランダも、あまりマリアをいじめるな」
ミランダの言葉を遮ったのは、煙草をくわえて現れたディートリヒだった。
「マリア。俺たちがタウ族だと知って、話をしに来たんだろ?」
「……うん。アルベルトには、何も言っていないわ」
「レスティン・フェレスか……」
ディートリヒは遠い目をした。
「お願い。教えて……」
「レスティン・フェレスには地球とは異なる文化があった。俺たちは伝え聞いた話でしか知らないがそれでもいいか?」
「うん」
「地球の空と比べて、レスティン・フェレスの空は紫がかった空色だったという……」
「ディディ……」
聞きなれぬ愛称で、旦那の名を呼ぶミランダ。呼ばれたディートリヒは、無言で頷いた。
リビングのソファーへ通されると、マリアは腰かけた。以前はアルベルトと共に訪れていたものの、今回は一人だ。
ミランダはディートリヒの隣に座り、手を組んだ。
マリアは二人を交互に見つめた。
「船に乗って地球へ向かったそうね」
「ああ、そうだ。我々にとっては、遠き祖先と共に、レンの想い人――彼もまた人知を超えた存在だった。長い時を生きられる彼に率いられ、タウ族の地球移民作戦は決行されたんだ」
ティナに話した通りのことだった。
安堵と共に、心が締め付けられる。
「……レスティン・フェレスを旅立った船は、何の問題もなく地球へ無事に降り立った。百二十年ほどかかったと言われている」
「その頃、地球では領土争いが激化しており、各地で紛争が絶えなかった。地球の地理や政治に関する知識もほとんどなく、彼らは困難の中で新たな生活を築かなければならなかったんだ」
「彼らは地球に降り立つと、アスカーニエン家の祖である者たちに救われ、彼らと行動を共にした。アスカーニエン家は我等の、レスティン・フェレスの技術に触れることはなく、使おうともしなかった」
「とんでもない技術だものね……」
「そうだな」
それほどの技術を前にしても、手を伸ばそうとしなかった。
それだけアスカーニエン家は寛大だったのかもしれない。
続きを話すミランダは、静かに声のトーンを落とした。
「そのまま行けば良かったんだ……」
「……え? 用事が終われば、想い人はレスティン・フェレスへ帰ることが出来たんでしょ?」
「…………」
「確かに、移民であるタウ族たちの生活の基盤さえ整えば、想い人はレスティン・フェレスへ帰ることが出来た。だが……」
あのミランダが言葉に詰まっている。
ディートリヒは、視線を妻から床へと落とした。
少しの沈黙が、長く感じられた。
「西暦855年、……レンの想い人が命を落としたんだ」
「……‼ そ、そんな…………」
嘘だと思いたかった。
ミランダ、そしてディートリヒの表情は歪んだままだ。
「今でいうドイツの、エルベ川沿い、ハルツ山脈だったそうだ」
「だって、ティニア――レンは……。ずっと、レスティン・フェレスで待っていたって……」
「そうだな。何も知らないまま、彼女は待ち続けていた」
長い時を、レンは願い続けた。そして何も知らずに待ち続け、待っていたのは死の知らせだったなど――。
マリアが絶句していると、ディートリヒはミランダの肩を抱いた。
「……レンは何も知らないまま、五百年ほど待ち続けたんだ」
「…………」
「そして、レンは何の便りもない想い人を探すために、力を使い切る形で地球へ転移した」
「魔法のような力を使ったと考えてくれ」
流石にもう驚かなかった。
彼女の人知を超えた力――物理法則を超える力は、本物だったのだ。
「レンが地球へやってきたのは、西暦1105年頃だ」
「レンの力は強かったが、地球への旅路を一瞬で渡ったことで、力尽きたと言われている。だが、現地で彼女が知ったのは、想い人の死だった――」
「それを教え、支援してくれていたのが、当時のバレンシュテット伯、オットー様。彼の息子が、アルブレヒト様。つまり、熊公だ」
「そうだったのね。……それが、11、ううん。12世紀の話……?」
「そうだ」
ミランダは強い口調で言い切った。
「レンはその後も、熊公の――アスカーニエン家である子孫の間を転々としていた」
「…………」
「ずっとアスカーニエン家と共に居たんだ。そして、プロイセン公国が建国された後の1748年、事件が起きる」
「事件?」
マリアがすぐさま反応し、顔を上げた。ミランダの見つめる瞳は揺らぎ、動揺を隠せずにいる。
「想い人とともに行動していた者が現れ、レンの住んでいた町を襲撃したの」
「な、んですって」
嫌な予感がする。マリアは手を強く握った。
「その者は気がおかしく、狂っていた。レンはその者をなんとか止めて、故障させた」
「故障……」
――嫌な、予感がした。




