㉒-2 遠い昔話①
歯を食いしばりながら、込み上げてくる吐き気を抑えようとしていた。
額からは、汗が滴り落ちていく。
マリアが落ち着きを取り戻した時には、目の前の光景は見慣れた部屋へと変わっていた。
ティナは水をグラスへ注ぐと、マリアへ差し出した。
「……ありがとう」
「いつからですか」
「…………」
マリアは何も答えず、水を少しだけ口に含んだ。幸い吐くようなことはなく、マリアは少しずつ水を飲んでいく。
グラスを空けたところで、ティナへ顔を向けた。
「……アウローラの拠点が襲撃される前から。ずっとなの」
「そんな……」
ティナはマリアの背中を優しく撫でた。
「もう、平気。ごめんね。話の途中で」
「……おかしなところはありませんか?」
「……今のところ、大丈夫。でも……」
打ち明けるべきだろうか。マリアは言葉を詰まらせた。
その時、マリアの脳裏に、ある想いが浮かぶ。
(自分から打ち明けなければ……。ティナが打ち明けてくれたように――)
その想いは、迷うマリアを一蹴した。
「紫がかった青空が見えたの」
呟くように、囁くような言葉だった。
ティナの表情を見る余裕はなかったものの、驚いているようだった。
マリアは幾度となく見せられた風景を話し出した。
「これくらい。腰くらいまである草っぱらがあって、遠くには青々とした山脈が見えたわ」
「…………」
ティナは何も言わず、黙ってマリアの言葉を聞いている。
「どこの風景なのか、全く分からないの。でも、何度も見えるのはおかしいかなって……」
「…………フェレス」
「え?」
ティナはマリアを撫でる手を止めると、遠くを見つめた。
「マリアは、レスティン・フェレスという言葉を知っていますか」
「レス……」
「レスティン・フェレスです」
ティナは静かにそう言った。
マリアにとってその言葉は、聞き覚えのある言葉だった。何か、遠い昔に聞いたような言葉だ。
「あるわ。……でも、それが何なのかは分からない」
マリアにとって、正直な言葉だった。
ティナは目を閉じた。
「どこかで聞いたことがあるみたいな感じだから、それが何を意味するのかは分からないわ」
「そうですか」
「……ティナ?」
ティナは目を開けると、ゆっくりとした動作でマリアの手を取った。ティナの手が、震えている。
「ど、どうしたの……?」
心配するマリアに対し、ティナは無言だった。
震えが収まってきたところで、ティナは静かに立ち上がった。
「長くなります。腰を据えて、話しましょう」
ティナはそう言うと、フラフラするマリアを支えながら、ソファーへと促した。
マリアがソファーに腰を掛けたところで、台所からはカタカタという音と共に、シューという音が聞こえた。
火にかけてあった、ヤカンからのようだ。
ティナはそのまま台所へ立つと、慣れた仕草で紅茶を淹れだした。
甘く香ばしい香りが、部屋の中に広がっていく。
ティナは二つのカップを持つと、ソファー近くのテーブルへ置いた。
二つのカップからは、温かな湯気がマリアを誘う。紅茶はハイビスカスとローズヒップなどを合わせたフレーバーであり、マリアが買っておいたとっておきである。
「どうぞ」
「ありがとう」
「…………」
「レスティン・フェレスの話は、したくない?」
突き付けられた単語に、ティナは一瞬身震いすると、鳥肌の立った細い腕を掴んだ。目は更に泳いだものの、静かに目を閉じ深く呼吸する。
ティナは何かを恐れている。何か強いトラウマがあるかもしれなかった。
「いえ、話さなければならないことですから……」
ティナはそう言うとカップに手を伸ばした。
カップに触れる指が震えており、ティナは静かに深呼吸を繰り返す。
落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりとカップを手に取った。
「レスティン・フェレスとは、この星――地球から遠く離れた場所にある星と、その世界のことです」
「……へ? 星って、空で輝いている、あの……?」
「そうです」
――ティナは、一体何を言っているのか。
マリアは口を半開きにしたまま、呆然とティナを見つめることしか出来なかった。
「……レンは、ここから遠い世界、レスティン・フェレスという星から来たのです」
「え…………」
「レスティン・フェレスはここからずっと遠く、近年になって確認されたタウロス星圏にあると言われています」
「ちょ、ちょっと待ってよ……。遠くにある星で、世界? レンは、異星人であるということ?」
マリアは他の星に人が住んでいるなど考えたこともなかった。だが、ティナの話すことが偽りであるとは思えなかった。
過去にティナやミランダ達が語ってくれたことが、頭の中を巡る。
「レンは精霊に近い存在であり、長い時を生きていました」
「レンは、ケルンメンシュなんじゃないの……?」
ティナは更に俯いた。
しかし、レンを――ティニアを実際に見ていればわかる。
彼女は口癖だけではなく、物理法則というものを超えてしまうということを。
最近、その口癖を聞かなくなってしまった。
何か理由があるのだろうか。
マリアの疑問に、ティナは俯いたまま答えた。
「ケルンメンシュになる、ずっと前の……。遠い昔の話です」
マリアが目を丸くしたまま惚けていると、ティナは持っていたカップを見つめた。
カップの中の紅茶は、透き通った赤に近いオレンジ色をしている。
ティナは一瞬だけ、とても懐かしむような、慈しむような表情を浮かべた。




