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暁の芽吹 -レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode22「紅茶の香りと、長い時の流れ」
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㉒-1 経過した年月

 マリアは夢を見ていた。

 はっきりと夢だと自覚できたのは、目の前に広がる景色が何度も見たものだったからだ。


 紫がかった青空には、白い雲が心地よさそうに浮かんでいる。

 辺り一面、腰までの高さのある草で覆われた草原に、マリアはいた。


 音という音はなく、風の音も草の擦れる音も聞こえない。


 不意に気配を感じ、振り返る。

 紫がかった空に、黒い雲が覆いつくしていく。

 まるで、その空間にはマリアしか存在していないかのようだ。


 マリアはこの景色を知らない。そもそも、この景色はスイスなのか。それとも、イタリアのシチリア島なのだろうか。

 戦時中、ドイツ近辺から南下している間に見た風景とも違っている。


「…………」


 不意に意識がはっきりとし始め、夢から覚めたことを徐々に受け入れる。

 目の前には、シェアハウスとは違う天井――引っ越し先であるアパートの天井が広がっている。


「はあ……。何なんだろう」


 魘されるわけでもなく、ただ心地いいとまで感じる――謎の夢。

 幾度となく現れるこの夢に、何か理由を探してしまう。


 気になるのは、それが夢の中だけに留まらないことだ。

 眩暈や頭痛などを伴う、不思議な発作のようなもの。

 このところ毎日のように続いていることに、不気味さを感じる。


 鳥の羽ばたく音を耳にし、窓へ目を向ける。

 外はまだ明るい。

 部屋の掛け時計は、六を指しているが、朝ではなく夕方だ。


 仕事を終えて帰宅し、ベッドに身を投げたことを思い出した。

 ゆっくりと体を起こし、サイドテーブルに置いてあったグラスで水を飲み干す。


 水は、心配したティナが置いてくれたのだろうか。

 冷たい刺激は喉を通り、やがて胃に到達する。


 その感覚は、まるで人間であるかのようだ。

 マリアは、機械の心臓――コアを埋め込まれた実験体、ケルンメンシュである。

 

 それはマリアにとって、受け入れるしかなかった現実だ。


 かつて共に暮らしていた義理の姉レイスはティナとして、今はマリアと同居している。

 あの時の日々に戻れるわけではないが、マリアはこのまま時が止まればいいと感じるほどだった。


「ティナと話をしなきゃ……」


 話――。何を話すかは決まっている。

 かつての同居人である、ティニアのことだ。


 ティニアはレンという名で、その身を隠して生きている。

 信頼するミランダたちの話は事実であろう。


 ティニアが直接マリアに、それらを打ち明ける日は来るのだろうか。


 恐らく同一人物であろうティニア――レン。

 彼女のことを話さなければならないが、マリアには迷いが生まれている。

 本人と話がしたい、そう考えていたからだ。

 事実を知ったと分かれば、ティニアはレンとして、敵としてマリアと対峙するのだろうか。


 本人の知らぬところで、彼女の話を聞いてしまっている。


 夢のことに気を取られているわけにはいかない。

 マリアは身支度を整えると、台所兼リビングへ向かった。


 ◇◇◇


 台所では、ティナがお湯を沸かそうとヤカンをコンロに置いたところだった。

 テーブルには茶葉と、二つのカップが置いてある。


「おはようございます、マリア。体調はいかがですか」

「おはよう、ティナ。うーん、なんとなくスッキリしないのよ。あ、水ありがとう。美味しかったわ」

「水分を摂った方が良いと思いまして。ぐっすり眠っているようでしたので、起こしませんでしたが」


 長い金髪を三つ編みにして、胸の方へ垂らしたティナは、リビングの窓を眺めていた。


「ちょっとは外に出たほうがいいんじゃない?」

「……そうですね。明日は散歩に出ようと思います」


 病み上がりとはいえ、ティナは部屋にほとんど引き籠っている状態が続いている。彼女はティニアとアルベルトが喧嘩をした時を最後に、外出をしていない。

 ティナはあの日以来、何も語ろうとはしなかった。マリアの意思を尊重し、気持ちが整うのを待ってくれているのかもしれない。


「ねえ、ティナ」

「どうしました?」

「ラウルは今、どうしているの?」


 眼帯の男――ラウル。

 関係性はまだわからないものの、アルビノの少年レンと行動を共にしていた男だ。

 アウローラの拠点を襲撃した、謎の敵組織・ヴェルローラに所属している。


 彼は二重スパイであり、情報を流していたという。


「……分かりません」

「私、ティナが診療所に入院していることを話したのよ。あいつは、ティナの居場所を知らない感じだったわ」

「スイスという国、そしてシュタイン・アム・ラインを警戒しているのかもしれません。私たちの存在がヴェルローラに知られることは避けなければなりませんから」

「所長を撃ったのは、眼帯の男だって噂があったわ」


 ティナの表情が硬くなった。その仕草だけで、返答が予測できる。


「やっぱり、……所長を撃ったのは、ラウルなの?」


 ティナは目を閉じたまま、黙って頷いた。


 アウローラの所長は、マリアにとって父親のような存在であった。

 所長は初老の男性で、顔をくしゃくしゃにして笑う人だった。


 どこかの国で軍人をしていたという噂もあったが、戦場に戦士を派遣する会社を経て、活動していたと聞いている。


 年月が経過したからだろうか。

 涙さえ出ない。

 機械の心臓であると知ったことで、自分の感情さえ信じられなくなっていた。

 マリアの表情が曇ったのを、ティナは見逃さなかった。


「何か理由があるの?」


 マリアの問いかけに、ティナはまた黙って頷いた。


「所長は、とある財団と関わりを持っていました。それがある時、財団の素性がヴェルローラへ知られそうになっていました」

「まさか……」

「情報漏洩を避けるために、意図的に撃たれたのです」

「そ、それだけの理由で、所長は殺されたの?」

「所長は全てを受け入れていました。だからこそ、撃たれるならラウルに、と――」

「…………。所長は、ラウルとも顔見知りなの?」

「はい」


 ティナは静かに答えた。


「ラウルって、一体何者なの?」

「…………」


 ティナが言葉を口にしようとした刹那、マリアを激しい頭痛が襲った。続けざまに眩暈が襲い、足元がおぼつかなくなった。頭の中が回るようだった。

 マリアは吐き気に襲われながら、その場に崩れ落ちる。


「マリア!」


 ティナが覆いかぶさるように、背中からマリアを抱きしめた。

 しかし、マリアの目の前には、先ほど夢に見た光景――紫がかった青空が広がっていた。

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