㉑-2 涙
あまりの息苦しさに、ティニアは重い瞼を開けた。ゆっくりと起き上がろうとすると、体に重みを感じた。見れば、赤毛の男――アルベルトが隣で眠りこけている。
「なに、これ。っていうかここ、どこ」
ティニアは直ぐに周辺の音から、ここが診療所であることを悟る。
ティニアは壁とアルベルトに挟まれている。それだけでなく、アルベルトの腕がティニアの腰に回され、身動きが取れない。
ティニアは密着するように眠る男の頬を、指先で軽くつついた。アルベルトは疲れが出ているのか、起きる気配がない。
「そうか。君はまた、夜を眠れずに……」
アルベルトの目元は青黒く変色しており、疲れ切った表情で眠っている。
ぐっすりと眠るアルベルトを前に、ティニアの心には罪悪感が生まれた。
「僕のせいだ。僕は君を振り回してしまった。君を眠れないようにしたのは、僕のせい……」
「う……」
ティニアが嘆きを呟くのとほぼ同時に、眠るアルベルトの表情が歪んだ。
額に汗が滲み、魘され始めた。
「今もまだ、悪夢に魘されているんだね……」
ティニアは、そっとアルベルトの頬へ触れた。
「軍へ協力した見返りに、薬を受け取って服用していたんだよね? 軍との関りが切れて、薬も切れていたんだね……」
その声が、眠るアルベルトに届くことはない。
「どうしてレオンの診察を受けなかったんだよ。てっきり眠れているのかと……。君はずっと、寝れぬ日を過ごしていたというの?」
ティニアに、焦りと後悔の波が押し寄せていく。
「どうしよう…………」
アルベルトは尚も苦しみだし、べっとりと汗をかき始めた。
「……俺は何をして、…………皆死んだのに」
アルベルトの寝言から察するに、恐ろしい大戦の夢を見ているかのようだ。
「君は本当に、あの戦場にいたというの? 誰よりも優しい君が……」
第二次世界大戦の恐ろしさ、戦場にいたアルベルトの苦しみは、自分の想像を遥かに超えていたのかもしれない。多くの人が巻き込まれ、死に、怒り悲しんだ恐ろしい戦争だった。
「俺は、……俺は……」
アルベルトはブツブツと何かを呟いている。
「…………君の話を、僕は聞こうとしたことがあっただろうか」
赤色の髪をそっと撫でたところで、アルベルトの表情が和らぐことはない。
「僕は、何をしていたんだ。君を苦しめて、怒らせて……。君をまた一人にした……」
「う……うう……」
アルベルトは歯を食いしばり、そしてその名を口にする。
「キツネめ、俺がこの手で……」
ティニアのアルベルトを撫でる手が止まる。
「……のキツネ……、お前だけは」
「何があったの? ねえ、アル……」
それでも、返答は返らない。
「ああ…………とう、さん……」
「………………」
「ちがう…………。俺は認めない。俺は、あんな奴の……」
アルベルトの呼吸が収まり、無呼吸となる。
「ねえ、起きて。起きてよ。駄目だよ、呼吸をして……」
ティニアは何度も呼びかけ、体を揺する。アルベルトの服が、汗にしては酷く濡れていることに気付いた。病室を見渡すと、同じくずぶ濡れの木彫り椅子があった。椅子からはまだ水が滴り落ちている。
「え……。この雨の中で外へ?」
病室の窓の外を、雨水が滝のように流れている。時折雷鳴も轟いており、ティニアは状況を察した。
「まさか、僕を抱えて診療所へ?」
悪い想像とは、加速するもの。
ティニアは動く腕で、アルベルトを揺らした。
「起きて、ねえ起きて……」
もはやそれは願いであり、許しを請うように。
体をゆするティニアは、無意識に男を抱きしめる。
「大丈夫だから。大丈夫、大丈夫。僕が居るから……」
「あ……ああ……」
アルベルトは眠った状態のまま、ティニアを抱きしめ返してきた。
「君は今ここにいるよ。僕もここにいる。誰よりも優しい君は、一人じゃないよ。どうか、その苦しみをちょっとでいいから、僕にちょうだい……。そんなに一人で抱えて苦しまないで」
「ああ、ティニア……」
アルベルトの抱きしめる手に力が入る。アルベルトの表情は和らぎ、呼吸が安定してくる。
しかし、ティニアは脱力し、項垂れた。
「そうか、ティニアか。僕は……」
ティニアは辛そうに眉間にしわを寄せると、口元を歪ませた。
「もう泣かないと決めたのに、僕は。……ねえ、僕は、結局、彼女の…、ティニアの代わりなのか……?」
自虐的に笑むものの、その腕の中で、胸の中での笑みは、誰もしらない。




