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暁の芽吹 -レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
番外編①「特別じゃない日」
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番外編①-3 あまく、あまい

 八百屋、魚屋、肉屋……。手際よく、ティニアは町の露店を練り歩いてく。

 買い物を長引かせようと、あれこれ話しかけたが、彼女を不機嫌にさせるだけであった。


「君がいると……」


 突然、ティニアの言葉がクリアに聞こえだした。

 続く甘い言葉を期待したものの、連なって出てきた言葉に落胆する。


「荷物が少なくていいね。ちょっと重い小麦粉も買っていこうかな」


 最初は自分で持つと言っていたティニアも、無言でアルベルトに荷物を押し付けるようになっていた。元々荷物は全て引き受けようとは思っていたものの、あまり感謝されているようには感じられない。


「俺はただの荷物持ちかよ」

「そうだね」


 すっかり彼女のペースに飲まれている。

 とうとう買い物が終わってしまった。

 この荷物では、喫茶店へ入る事も出来ない。


 アルベルトは荷物の影から顔を出すと、むくれて見せた。


「マリアみたいにむくれたって、どうせ君は荷物を持っちゃうじゃない」

「それはそうだが……」


 小麦粉の布袋を肩に乗せると、両手が塞がってしまったことに気付く。これでは手を繋ぐことは疎か、抱きしめることも出来ない。

 照れているとはいえ、自覚のない彼女の前では、デートは成立しないだろう。


 ティニアはアルベルトの前を、空の鞄を手に持ったまま歩いていく。

 機嫌がよくなったのか、鼻歌を歌いだした。


 どこかで聞いたことのある旋律は、何かのピアノ曲かもしれない。

 ティニアのピアノをまた聞ける機会は来るのだろうか。


 不意にティニアが足を止めたかと思うと、くるりと振り返った。金髪が滑らかに流れていく。


「ケーキ買っていこう!」

「は? ケーキ? 誰かの誕生日か?」


 口元に人差し指を当てると、ティニアは鼻歌を歌いながらケーキ屋へ向かって歩いていく。

 昨日のティニアの誕生会には、孤児院で働くシャトー婦人手製のケーキが用意されていた。

 アルベルトの頭では、誕生日=ケーキなどという構図はなく、プレゼントも些細なものだった。


 甘いものが食べたくなっただけだろうか。

 ケーキの並ぶショーケースの前で、目をキラキラさせながら、目移りしている。その愛らしさを前に、来て良かったと噛み締めた。


「君はどれがいい?」


 ティニアは微笑んだ。


 ――お前がいい。

 そんな言葉が頭を過ぎったが、ここは素直に答えたほうがいいだろうと判断した。店主も笑みを浮かべながら、こちらを見ている。


「俺はケーキに詳しくないんだ。あまり食べたこともない」

「僕は、どれがいい? って聞いたんだよ」

「そうか。そうだったな」


 アルベルトは小麦粉の布袋を持ち替えた。

 ティニアの横に並ぶ。距離の近さにティニアは視線を泳がせたが、アルベルトは真剣にケーキを見つめた。


 フルーツのタルトに乗っているのは、苺だろうか。杏子にも見える。

 クルミが乗っているような、茶色いケーキは何だろうか。初めて見る。

 チョコレートケーキはオーソドックスかもしれない。

 小さなクリームのかかったケーキなら、二人で分けるに丁度よさそうだ。


 アルベルトが決めかねていると、ティニアが店主に話しかけた。


「ここの生活には慣れました?」

「ああ、おかげさまで」

「僕、グラウビュンデンにはまだ行ったことがないんだよね」

「山深いですからね」


 店主はそう言うと、決めかねていたアルベルトへ声をかけてきた。


「このナッツトルテは、エンガディナー・ヌストルテって言って、クルミを砂糖やクリームと一緒にキャラメル状にして、生地の中に詰めた焼菓子なんですよ」

「故郷のトルテなんですよね」

「ああ、そうです!」


 店主は誇らしそうに笑った。故郷を思い返しているのだろうか。

 アルベルトにとって、故郷はイタリアでも、ドイツでもない。

 それでも、シュタイン・アム・ラインが故郷であると言えるのであれば、誇らしくもなるだろう。


「そしたら、エンガディナー・ヌストルテを」

「ありがとうございます。少しお待ち下さい」


 店主は白い厚手の箱に、エンガディナー・ヌストルテを詰めた。

 アルベルトに手渡そうとしたものの、両手は塞がっている。


「あ、持てないんで。ティニアが持ってくれ」

「僕はこっちの鞄を持つよ」


 ティニアはそう言うと、右手に持っていた鞄の一つを受け取った。


「ケーキ、落とさないでね?」

「な……。子供じゃあるまいし、落とさないさ」


 ずっしりと重いわけではないものの、それなりに重みのあるケーキ箱を右手に持ちあげた。

 いうまでもなく、アルベルトがケーキの箱を持つのは、初めてのことであった。


「おじちゃん、ケーキください!」


 子供の元気な声が、ケーキ屋に響いた。

 見れば、母親らしき者が子供を連れてケーキ屋を訪れたところだった。


「あいよ! 何にしますか?」


 子供はアルベルトの持っているケーキ箱に気付くと、アルベルトを見上げた。


「おにいちゃん、何買ったの?」

「エンガディナー・ヌストルテだよ。このナッツの……」

「あ、それ! とっても美味しいよ!」


 子供は無邪気に笑った。子供はショーケースに顔を近づけると、目を輝かせた。まるで先ほどのティニアのようだ。


「じゃあ、僕らはこれで」


 ティニアはそう言うと、アルベルトの横に並ぶ。

 二人で、歩きなれた通りに差し掛かる。

 もう少しで家についてしまうが、アルベルトは会話に集中出来なかった。

 繊細なケーキ箱を持っているからだ。


 足元に気をつけながら歩くアルベルトを横目で見つつ、ティニアもそれに続いていく。

 アルベルトはケーキの味を思い浮かべながら、肩にのしかかっていた重さを忘れていった――。



― 番外編① 完 ―

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