⑳-6 青き瞳の少女
診療所ではレオン医師が直ぐに対応し、ティニアは奥のベッドに運ばれた。看護師であるアニーが下がる頃には、ティニアは寝息を立てて眠っていた。
原因は不明のままであったが、アルベルトは胸をなでおろした。ベッドの横にある椅子へ腰かけると、長く溜息を吐いた。
横たわり眠るティニアの胸が上下するだけで、冷静さが蘇るようだ。
「まったく、気楽なもんだ……」
アルベルトがそう呟くと、傍らでカルテを記入していた医師レオンが顔を上げた。
「君の方こそ、大丈夫ですか」
「すまん。あー、こいつにはその、言わないでもらえるか」
アルベルトは血相変えて診療所へ飛び込み、また過呼吸になりかけるという失態をしてしまった。さすがにそれがティニアにバレては格好がつかないと考えたのだ。
指を指しながら照れた表情を浮かべると、アルベルトは恥ずかしいのか頭を掻き出した。
「今までは記憶が混濁しても、意識を失うことはなかった……。こいつに一体何が起きているんだ」
「力不足で申し訳ない」
「いや、レオンを責める気はないんだ」
「入院するかは別として、注意深く様子を見る必要があるでしょうね」
レオンはそういうと、カルテに向かい直した。
ティニアは健康そのものであり、どこにも不安な箇所は見当たらない。
アルベルトも心配しているが、彼女自身も不安なことだろう。
レオンは歯がゆさを感じ、顔を歪めた。
「心配ばっかかけさせやがって……」
アルベルトは祈るように項垂れた。
「それだけ、彼女のことを愛している証拠ですよ」
「……お前、よくそんな恥ずかしいことを平気で言えるな」
顔を赤らめたままのアルベルトはその言葉を否定せず、眼の前の医師を呪った。
「まったく……。聞こえていたらどうする」
「聞こえていたらって。……まさか、まだ告白されていないのですか?」
「こ……」
慌てて椅子から立ち上がったアルベルトは、素っ頓狂な声を上げる。
「しまった、忘れてた……!」
「え、告白をですか? いくらなんでも、ここで告白するのは辞めてください。それから、ここは一応診療所です。声を抑えて下さい」
「わ、悪い。……修道院の前に椅子を置いてきてしまったんだ。取りに行ってくる」
「い、椅子? 修道院というと、アドニスさんの教会ではなく?」
ただ、修道院の名をレオンへ伝えようとしただけだった。頭では違和感を覚えたが、すぐに消え去った。
「……聖ゲオルク修道院の前で倒れたんだ。で、持ってた椅子をそのまま、修道院前に置いてきてしまった。すぐに取りに行ってくる!」
「あ、アル!」
「後は頼んだ……!」
アルベルトはそのまま病室を後にした。静寂が戻った室内では、ティニアの寝息だけが聞こえる。レオンはティニアの脈拍を測り、安堵の表情を浮かべる。
聖ゲオルク修道院は、ここから少し離れた場所にある。アルベルトは、そんな場所からティニアを抱えてきたのだろうか。
アルベルトの話に可笑しな箇所はない。レオンは心に何か引っかかりを感じつつ、ティニアへ歩み寄った。横たわるティニアは、果たして本当に眠っているだけなのか。
「……彼女の身に、一体何が起こっているのか……。僕の腕では何の力にもなれないのか……」
ティニアに起きている異変を、一から洗い直す必要があるだろう。
そして、彼女が口にする数々のキーワード。
ティニア本人は知らないというだけであったが、目が泳ぐ場面もあった。
何か話せない事情もあるのかもしれない。
「ティニアさん、君のどこが悪いのか。それとも、どこも悪くないのか。僕にはわかりません。それでも……どうか、アルと共に歩んでいって欲しいのです」
勿論、彼女からの返答はない。
「なんて。お願いする事ではありませんよね。……それでも、君はアルの傍にいるべきだ。僕はそう思います」
レオンは静かに眠る女性を見つめると、病室を後にした。
診察室の窓は雨粒により、こつこつと音を奏でた。薄暗さが一気に増し、空は雷を轟かせる。最近のシュタイン・アム・ラインの町の天候は不安定だ。
「また雨ですか……。アルは今頃、雨に打たれているだろうな。タオルでも、用意しておきましょうか。風邪を引いたら大変ですからね」
窓の外を眺める医師は、かつて入院していた女性を思い浮かべた。
「ティナさん……。マリアさんと同居されたのでしたね。同じ町に居るんだ、一生会えないわけじゃないのに。どうして……」
レオンはゆっくりとカーテンを引いた。そこには、アルビノの幼い少女が眠っている。ティニアが保護した少女は十歳前後であり、その怪我は打撲痕がほとんどだった。激しい虐待にあっていたのであろう。
出血は、刃物による切り傷のようだった。ティニアの止血は完璧で、診療所で見た時には、すでに出血は止まっていた。
点滴の管が繋がれたやせ細った少女は、今も眠ったままである。
「君も、ゆっくりと。……無理せずに目覚めてください」
レオンが扉をゆっくりと締めると、静寂が病室を支配する。
雨音が鳴り響き、シュタインアムラインには雷が激しく轟いた。風は窓枠を揺らし、ガラスには雨が叩きつけられる。
病室で眠っていた少女の瞼が痙攣し、更にゆっくりと、静かに瞼が開く。
深淵のように煌めく、青い瞳。
少女の瞳にぼんやりと映ったのは、見知らぬ天井だった――。




