⑲-2 全ては誰がために
ティニアだ。
診療所の扉の前で、呆然と立ち尽くし、天を仰いでいる。
慌てて駆け寄るマリアと、大きく息を吐き出すアルベルト。
そして、息を飲むティナ。
ティニアの表情からは感情が抜け落ちている。
「ティニア……!」
マリアは、叫ばずにはいられなかった。
「…………」
彼女は何も語らない。
「どうしたの……。探したのよ、心配したわ」
「ごめんなさい」
ティニアの目は虚ろいでいるというよりも、生気がない。
――心因性昏迷状態。
マリアが口を開いた時、ティニアの言葉が先に聞こえた。
「今日はマリアが来る日でしたよね」
「……忘れたわけじゃ、なかったのね」
「忘れてませんよ」
ティニアは視線をマリアへ移すと、後方にいた男の存在に気づいた。男は呆然としており、呼吸を忘れたように、静かに立っている。
「アルブレヒト様、どうされたのですか」
――アルブレヒト様。
アルベルトの息を飲む音が聞こえた気がした。
話に聞いた通り、一目でおかしいということが分かる。
「ここで、何をしているんだ」
帰ろう。アルベルトは、そう言葉を連ねるつもりだったが、声は擦れて途切れてしまう。
「待っています」
ティニアはそう言うと、視線をアルベルトから診療所の扉へと移した。
「待つって、何を……」
そう言いながら、マリアはティニアの側へ駆け寄った。
ティニアはマリアを見ることはなく、真っ直ぐ扉を見つめている。
ティニアはブツブツ呟くと、その腰に纏っていたケープをまくり上げる。血で汚れたスカートを三者へ見せるとともに、すぐに首を横に振った。
目を見開いたアルベルトは、慌てて駆け寄る。ティニアは視線を動かさずに、首を横に振った。
「私の血ではありません」
「何があった! またどこか怪我を……」
アルベルトは血相を変えると、ティニアの腕を掴んだ。そのアルベルトの手に、ティニアの指が優しく触れる。
「ですから、私の血液ではありません」
「アドニスか?」
「…………」
ティニアは視線を、目線に合わせようとはしない。その瞳はいつもの輝きを失い、薄く曇っていた。
「アドニスはどこだ?」
「……先ほど、お帰りになりました」
「近道したから、きっと入れ違ったのね……」
「……女の子を保護していたのです。これは、彼女の血液です」
淡々と語ると、ティニアは俯いた。
彼女は――目の前の彼女は、一体誰なのか。
マリアは不安に駆られていた。
本当にあのアルビノの少年が、レンはティニアなのか。
少年特有の残酷さ、無情さもなく、ティニアのようにお道化る様子もない。
彼女は一体誰なのか。
「ティニア。ティニアは具合、悪くないのよね?」
「はい。問題ありません」
「…………」
ティニアは下げていた視線を上げると、マリアとアルベルトを見つめた。その時、アルベルトの背後にいる者に気付いた。ティナだ。
「う…………」
ティニアが呻き、頭を抱えて苦しみだした。
「ティニア!」
「どうしたんだ、ティニア!」
抱き留めたアルベルトの腕を振りほどく様子もなく、歯を噛み締めて顔を歪ませる。
「あ、ああ…………。違う、違……う…………」
激しく首を横に振った。急に脱力し、崩れ落ちるのをアルベルトが抱き留めた。
「私は…………。ぼ、ぼくは…………」
浅い呼吸を繰り返すと、ティニアの虚ろに濁っていた瞳が、急に色を取り戻した。すぐに抱き留められていることに気付き、顔を上げた。
「……あ、アルベルト…………」
名を呼ばれ、アルベルトは呼吸を忘れた。
視界に入っていないことに気付き、マリアは慌てて声を上げた。
「ティニア……!」
「マリアまで……。ハァハァ……。僕は一体……」
「少し体調が悪かったみたいだ。大丈夫か?」
「………………」
ティニアはアルベルトの腕を掴みながら、自分の足で立ち上がった。
「大丈夫。……落ち着いた」
「無理をするな」
「そうよ。無理しないで……。お願いだから」
必死に懇願するマリアへ微笑みかけると、すぐにティニアは視線をティナへ向けた。
「ごめんね。……ティナさんまで」
「……何故、私に謝るのですか」
「それは……。色々と、お騒がせしてしまったようで」
「いいえ。二人は町中を駆け回っておられましたが」
「ごめん。二人とも」
アルベルトは長い溜息を吐き出すと、ティニアの両肩へ手を置いた。ティニアは躱すことなく、それを受け入れる。
「無事ならいいんだ。帰ろう」
「うん」
ティニアは苦笑いを浮かべた。酷く疲れているようだった。
「ティナさん。騒がせてしまったお礼で、夕飯を一緒にいかがですか?」
「ティニア、無理をしないでって言ったでしょ? 今晩は静かに過ごしてよ」
すかさずマリアが間に入る。
「もう大丈夫だよ」
「でも……」
「本当に大丈夫だよ。ふふふ。心配性だなあ。ね、ティナさん、一緒に夕飯どうかな?」
ティナの事だ、断ってくれるだろう。マリアはそう考えていた。
「……そうですね。お邪魔させていただきます」
「ティナ……?」
「四人で作れば、すぐに出来上がりますよ」
ティナはそう言うと、マリアを宥めるように視線を送った。
マリアは、ティナには何か考えがあるのだろうと思うことで納得させた。
「帰ろう」
アルベルトは羽織って居た上着を頭からティニアに被せると、抱きかかえるように腕を回した。その仕草はどこか乱暴であり、アルベルトらしさがない。
「あ、でも、買い物しなきゃ……」
「この時間にやってるお店はほとんど無いわ。私が適当に部屋から持っていく!」
「あ、マリア。待って……」
呼び止めようとしたティニアに、マリアは振り返ることなく歩き続けた。
「先に帰っていて!」
マリアはそういうと、すっかり夜になっていた町を駆け抜けていく。
残された三人は、顔を見合わせた。
「それじゃあ、帰りますか」
ティニアは淡々と言った。つい先程まで苦しんでいたとは思えないほど、その声は落ち着き払っていた。
その姿に安堵したのか、アルベルトはティニアの肩へ腕を回した。その様子を黙って見つめるティナは、特に語り掛けようとはせず、静かに二人の後ろを歩いていった。




