⑱-2 彼女のために
アルベルトは辛い記憶を思い出すかのように、顔を歪ませた。
「『庭園に花を摘みにいかなくては』って、前触れもなく突然言いだすんだ。俺に対して、丁寧な口調で」
「ああ、例の庭園の話だな」
「そういう、変だなと思った時はレオン――レオン医師に、『なるべく否定しないように』と言われていたんだ」
「俺たちもそう聞いているが……」
「ああ。だから俺も、肯定して『後で一緒に行こう』って言ったんだが、『わかりました、アルブレヒト様』って返される。そんな感じなんだ……」
「ふむ……。それで、ティニアはどうしたんだ」
ディートリヒは背もたれから起き上がった。ミランダは無言のまま、話を聞いている。
「その後で、『あ、違った』とか、『何でもない』って言うのはまだいいんだ。ただ、その後は決まって思いつめた顔して、自室に籠るんだ。何の音もなく不気味で、心配になってノックして開けたら部屋には誰も居ない」
「散歩にでも行ったんじゃないのか?」
「そんな状態でか? 更に可笑しいのは、好きな花はフリージアだとかいうところなんだ」
ディートリヒは黙ると、横に居る妻――ミランダを見つめた。しかしミランダは愛する旦那の視線と合わせる事はなく、腕を組んだままだ。
ミランダの言葉を待たずに、ディートリヒは顔を上げた。
「その話、診療所の医師には?」
「また入院にでもなれば、ティニアが落ち込むと思って……」
「いや、お前の手に負えることじゃないだろ。まあ診療所でもやれることは限られてそうだな」
マリアは話に割って入ろうと、口を開けた。しかし、思い留まった。
ティニアが診療所を、入院を避けるのはレオンが敵である可能性があるからではないだろうか、と。
マリアはずっと、ティニアが入院を避けている理由は、孤児院にあると考えていた。閉鎖が決まったとはいえ、里親との手続きはティニアが行っている。
思い留まってしまったマリア、そして押し黙るミランダを横目に、ディートリヒはソファーの背もたれに寄り掛かった。
「その、庭園がどうのって話は、何もわからん。ティニアは確かに花好きだが、フリージア――特に香りの強い花をそこまで好んでないことは知っている。そうだろ、マリア」
「……うん」
「そもそも、あいつが好きな花は紫雲英とか、アジアの花が多いんだ。野原に咲くような小さい花が中心だな。あとは、一番はあれだ、あれ」
首を傾げながら、勿体ぶるかのようにはっきりと言わない事に、マリアは少々の苛立ちを感じた。
「なによ、あれって」
「だー。日本語? 難しいんだよ、なんだったかな……」
ディートリヒはミランダをチラ見した。しかし、ミランダは尚も押し黙ったままである。マリアは仕方なく回答を口にする。
「何? リコリスのこと?」
先日話題に出した花であった。日本ではたしか。
「彼岸花よ、日本の言葉だと」
押し黙っていたミランダが口を開いた。
「ああ、ヒガンバナか!」
アルベルトは大きな声を上げ、一人で納得したようだった。
「あなた達、何の話しているの。何も話が進まず、大混乱じゃない」
ミランダは呆れたように溜息を吐くと、隣に座る旦那へ向けた。
「全然、まとまってないじゃない。あなた、真剣に話してる?」
「すまん……。ミランダ……」
ミランダはそう言うと、ディートリヒとの間を少し開け、座り直した。
自然とディートリヒが腰に手をかけたが、振り払われた。
「マリアは」
ミランダはマリアを見据えた。
「マリアは、ティニアから直接話を聞きたいと思っているのではない?」
「それは……」
「アルベルトも、本人とちゃんと話し合ってから来るべきだ」
「…………」
マリアは一瞬だけミランダへ視線を向けると、アルベルトへ顔を向けた。
「私は、話せる範囲で、話せることを話したい。でも……」
「…………」
「ごめん。私も、本人から聞きたいことが沢山あるの」
マリアの言葉を、アルベルトは俯いて受け取った。マリアは口元を引き締めると、ミランダを見つめた。
「ティニアからも、ちゃんと話を聞く。聞きたい。でも、今のティニアの状態で、素直に話を聞けるとは思えないの。何よりも、あの子のことが心配なのよ。今の私たちに出来ることがあれば教えて欲しいの」
「…………」
ミランダは尚も押し黙った。
マリアは俯いていたアルベルトへ視線を向けた。
「ええっと。アルブレヒトという方は、ティニアの恩人の息子さんよ。昔、国境地帯を任されていた、地方の王さま寄りの……」
「は? どこの国だ」
すかさずアルベルトの問いが入り込む。だが中世の時代を話した所で、さらに混乱するだけであろう。
――それでも。
マリアは口を開いた。
「……ブランデンブルクの初代辺境伯よ」
声が震えていることに、マリア自身も気付いた。
恐る恐るアルベルトへ視線を向けたマリアだったが、アルベルトは目を見開いて答えた。
「熊公?」
「え?」
「ディア・ベアーだろ?」
「……さすがに知っていたか」
「じゃあ、ドイツの、ブランデンブルクの……?」
アルベルトは無意識に言葉を口にした。
「じゃあ、アルブレヒト様ってのは……子孫のアンハルト公国の者か、アスカーニエン家の人か?」
それが自然な反応であると、マリアは思った。中世の辺境伯自身が知り合いであるとは思わないだろう、と。
マリアが言葉を決めかねていると、静かな一言が放たれた。
「違う」
明確に否定したのはミランダであり、その強い口調で放つ言葉に、マリアだけでなくディートリヒも耳を疑った。




