⑱-1 夕暮れの違和
スイスの夕暮れ時、ライン川はまだ白く光っていた。空を厚い雲が覆っているせいか、いつもよりも薄暗い。
マリアとアルベルトは、ミランダの自宅――ミュラー家を訪れていた。出迎えたのは、不動産を営むミランダの旦那、ディートリヒだ。ディートリヒはくわえていた煙草を落としかけ、唖然としている。
状況が読めないまま事情を玄関で聞くことをせず、ディートリヒは二人を自宅に招き入れた。
「そこで座ってろ。ミランダは今着替えているから、そのうち来る」
ディートリヒは煙草をテーブルにある灰皿へ押し込むと、ソファーへ腰かけた。腕を組みながら、二人が座るのを見届けると、交互に見つめた。
「アルベルトは少し落ち着け」
「…………」
「ティニアのことだろ? 二人で来たのは」
その時部屋のドアが開き、ミランダが現れた。ミランダはマリアとアルベルトに気付くと、目を丸くした。
「マリアにアルベルトじゃない。いらっしゃい」
「こんばんは、ミランダさん」
「なんだかんだ、仲いいわね。二人とも」
ミランダは当たり前のように、ディートリヒの隣へ座る。ディートリヒは幅を詰めると、ミランダの肩を抱いた。
マリアはその光景を微笑ましく感じたが、表情が緩むことはなかった。
アルベルトは改めて姿勢を正すと、ミランダとディートリヒを交互に見た。
「ティニアが変なんだ」
「……ふむ。ただの悪化じゃないと考えているんだな?」
「ああ。笑わないだけならまだしも、別人のようなんだ。俺をアルブレヒト様って呼んだり……」
「なんだって? マリアもその件で来たのか」
「うん」
マリアとアルベルトは、交互に説明を加える形で話し始めた。
◇◇◇
三十分程に渡り、アルベルトはティニアの異変について説明した。
ミランダ、そしてディートリヒは険しい表情を浮かべる。
「思っていたより、深刻だな。そいつは確かに、おかしい」
ディートリヒの言葉に、アルベルトは項垂れるように頷いた。
「あいつも、俺たちに何でも話すわけじゃないからな。だが、相談するのなら、俺たちじゃなくてアドニスの方がよかったんじゃないか?」
アルベルトは首を横に振った。
「アドニスはティニア寄り過ぎる」
「それは嫉妬から来ているんじゃないのか?」
「……そんなことより。ティニアには、アルブレヒト様って知り合いがいるのか?」
アルベルトの言葉に、マリアは視線を泳がせた。
マリアが言い淀んでいると、ディートリヒが口を開いた。
「いるぞ」
「どんな奴だ」
「おい。そう前屈みになるなよ。だが、ティニアの体調と関係があるのか? お前が個人的に聞きたいだけじゃないのか?」
アルベルトは押し黙った。
「マリアはどこまで知っているんだ」
「この間、ミランダさんから聞いたわ。でも、名前を知らなかっただけで、ティニアからは何度も聞いてた話なの」
「なるほどな」
「……聞いていた話と、アルベルトが言われてる”アルブレヒト”という人物が、同一人物ならだけれど」
マリアは思案したままのミランダに視線を移したが、ミランダは顔を上げようとはしなかった。腕を組んだまま、黙り続けている。ミランダの様子に、マリアは指先が強張り、背筋が冷えた。
「そうだな。よくある名前だが、同一人物だろうな」
「私はその方のお父様の話ばかりが多かったから、あまりアルブレヒトさんの事は知らないのよね。自慢の息子って話なら何度も聞いたわ」
「ああ、そういう……」
ディートリヒは何かを言いかけたが、アルベルトが眉を上げて割り込んだ。
「父親の方が知り合いなのか?」
「まあ落ち着け。どう言えばいいんだろうな……」
「……私、それを話していいか、悩んでたの。というよりも、アルベルトはアルブレヒト様じゃないのに、アルベルトにそう声掛けするなんておかしいでしょ? ティニアが変なのよ」
「何があったんだ」
ディートリヒの言葉に、アルベルトは視線を落としたまま、重い口を開いた。




