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第九話 天文二十三年十二月十六日 毛利の姫君

「うわぁ。亡き来島殿のために、ここまで体を張られるとは。この又三郎、実に感心いたしました」


 大袈裟に驚く吉充(よしみつ)に、「誰のせいだ誰の!」と武吉(たけよし)はじっとり睨む。


 大山祇神社参拝のその後、そそくさと能島城に帰った武吉だったが、どういうわけか因島(吉充)経由でアレコレ(武吉の粗相)を知った叔父(隆重)に、言葉どおりボコボコにされたのが二日前。


 顔はまだ腫れぼったく、切れた口の端の傷や青あざがまだかなりの範囲に残って目立ち、元の人相とは一見するとかけ離れて見える状態である。


 元々毛利の姫との婚儀の間は包帯を巻いた上で頭巾で顔を隠すつもりであったが、何かのはずみで全て外れて素顔が晒されたとしても、これではすぐにはバレないだろう。


 文字通りの怪我の功名。うん、個人的には少々不本意ではあるけれど。


(そもそも、あの日叔父貴が対応してた毛利の使いってのが、小早川殿の後で控えていたあのでっかいオッサンとか聞いてねぇし)


 乃美(のみ)宗勝(むねかつ)。小早川家の分家の出身で、小早川水軍を指揮する豪快かつ有能な男。


 ちなみによく吉充が惚気(のろけ)ている愛妻の実兄だそうで──。


(まぁ、俺の嘘は速攻でバレてて、ただの胡散臭い兄ちゃん判定されてたわけだ……)


 自分なりに、考えて行動したつもりだったのだが──やはり、慣れないことはしないほうがいいのかもしれない。と、武吉には珍しくしょぼんと肩を落とした。



  ◆◇◆



 婚儀の前日夜、武吉は花と通隆(みちたか)と一緒に来島城──ではなく、伊予河野(かわの)氏のお膝元、湯築(ゆづき)城の麓にある、通康の屋敷へ向かった。


 通康と毛利の姫との婚姻は、通康の独断ではなく元々河野家も合意の上で進められていたとの話なのだが、通康の正妻は、河野通宣(現当主)の異母姉。


 最初から人質の意味合いの強い婚姻とはいえ、正妻の居る城で婚儀を行うのもそれはそれとして如何なものか──との配慮で、姫君は輿入れ以降は来島城ではなく、湯築城下で暮らしてもらうことになっているらしい。


通隆(太兵衛)、大丈夫か?」


 武吉の言葉に、通隆はこくりと頷く。


 思ったよりは頻繁に服用はしていなかったようで、幸いにも(アヘン)に強く依存している様子はなかったが、ここ数日は眠っていたりぼんやりしていることがとても多く、足元もふらついておぼつかない様子だった。


 印籠(薬箱)も、父親から貰ったとのことで当初は不安がって手放そうとはしなかったが、とりあえず話し合って中身のみを預かることで話はついている。


 途中義継(よしつぐ)も合流して、一行はこっそりと忍び込むように屋敷に入った。


「お待ちしておりました」


 薄暗い屋敷の最奥の部屋に、一人の男が座って武吉らを出迎える。


「河野の、御当主か……?」


「いかにも」


 河野通宣は武吉の問いに頷く。


 年齢は隆重(叔父)と同じくらいだろうが、やや色白であまり血色の良さそうな男ではなかった。かといって、義益(従兄)のように病的なまでに真っ白というわけではなかったが。


「姫君につきましては、つつがなくお迎えすることができました。明日の式に向けて、今はごゆるりとお休みになられていますよ」


 声を顰めた通宣の言葉に、武吉は問う。


「行列の規模は?」


 この時代、新郎側が新婦の城まで迎えに行き、式の前日までに大規模な行列を作って新郎の城までやってくる。


 普通であれば大大名の正室クラスになると万単位の人間が動員されることが多いのだが、しかし、毛利の姫君は来島村上家当主の側室扱いの上、現在は毛利側にとっても、日常的に大内方との小競り合いが頻発している非常事態。


「お互いの事情を顧みて、かなり小規模に抑えていただきました。毛利側の侍女が二十名、警護が十余名といったところでしょうか。お迎えは来島ではなく、伊予河野(当家)から派遣いたしました」


 お恥ずかしい話ですが──と、通宣は苦笑した。


「本来、私が結ぶべき同盟(婚姻)だったのです。しかし……ウチの妻とその実家が大変怖くて……その代わりに見かねた通康が受けてくれたものの、まさか亡くなるとは思わず……」


 故人を思い出したのか、通宣の目からほろりと涙が溢れた。


「能島殿。お話を聞いたところによると、貴殿は完全に巻き込まれてしまったご様子。このような仕儀に至り誠に申し訳なく思っております」


 しかし──と通宣は続ける。


「どうぞこの婚姻の成功に向けて、なにとぞご協力のほどよろしくお願いいたします」


 由緒正しき大大名の当主とは思えぬ腰の低さで、通宣は頭を下げた。



  ◆◇◆



 天文二十三年十二月十六日。


 祝言は、日没後に行われる。


 といっても親族顔を合わせての祝宴が行われるのは翌日で、今日は新郎新婦当人同士の顔合わせと三三九度の儀式のみ。


 生涯三度目の白い直垂(ひたたれ)を身に(まと)い、武吉は思わず自嘲を浮かべたが、あくまで今回は影武者だと首を横に振った。


 直垂に合わせた白い頭巾を被って口元を隠した。が。


(よくよく考えたらコレ、酒を飲む時めちゃくちゃ邪魔だよな──)


 と少しは思ったのだが、今の自分の人相が、女性を怖がらせるには十分だったということを思い出し、まぁ、ちょっと濡れるかもしれないがいっか。と、しっかり隠して、花嫁の待つ部屋へ向かった。


 ──が。


「……」


 思わず武吉は、部屋を間違えたかと回れ右をした。


「通康様。どこに行かれます?」


 式を取り仕切る侍女臈(じじょのろう)役の女が、慌てて武吉に声をかけた。


 どうやら、間違ってはいない──ようなの──だが。


「え、ええ、え?」


 思わず武吉は素で狼狽えた。


 自分に向かい合う形で、()()()()と座っていたのは、十歳くらいの小さな一人の少女だった。


「え、栄ともうします……」


 相手の少女も大柄で、なおかつ怪しい覆面姿の武吉に、大層驚いたようで──しかし、気丈にも震えながらもきちんと、武吉なぞよりよほど丁寧に、頭を下げた。



  ◆◇◆



 本来、三三九度の後には『お床入りの儀』という、初夜を迎える儀式があるのだが。


(いや、無理でしょうよコレ……)


 幼女相手に手を出す趣味はない。ていうか、目の前にいるのが大層な美人だったとしても、花の手前手を出すわけにはいかない。


 実のところ、床入りを断る色々な言い訳を考えてはいたのだが──。


(うん、決めた。ここは素直に()()()しよう)


 ()()()()かな──と思っていると、何やら屋敷の別棟が騒々しくなった。


 遠くから、誰かが「火事だーッ!」と叫んでいる声が聞こえる。


 実際に火が燃えているのかどうかはわからないが、毛利方の侍女や護衛と一時的に離れるため──栄姫と二人きりになりたいがために、あらかじめ武吉が河野家にお願いしていた企てだった。


 驚いて固まる栄姫に、武吉は優しく話しかけた。


「栄姫様、少々お付き合いお願いしてもよろしいでしょうか?」


 問いかけはしたけれど、彼女の答えを聞くより早く、武吉は彼女を抱き抱えた。


「叫ばないで! 舌を噛みますからッ!」


 よっとッ! と、彼女を抱きかかえたまま、武吉はあらかじめ置いていた箱を足場に塀を乗り越え、船着場に向かった。


「こっちです! 能島殿!」


 小舟を操る義継が小声で叫ぶ。

「よっしゃ任せろッ!」


 武吉は栄姫を抱えたまま、桟橋から小舟に飛び移った。


 潮に乗って陸からどんどん離れていく状況に、目を白黒させている栄姫。


 武吉は彼女に跪いて頭巾を外す。


(それがし)、来島ではなく、能島村上家頭領、武吉と申します」


「の、能島……?」


 小さな少女は首を傾げた。嫁ぎ先については多少なりとも聞いていたかもしれないが、この姫君は能島と来島、あまり違いをよくわかっていないかもしれないなと武吉は苦笑いを浮かべた。


「実はちょいと当方、ワケアリでして……貴女を、来島当主の側室ではなく、来島()()()()()()()に迎えたいと思っています」


 そういうと、武吉はある方向を指差す。


 水面に、ゆらゆらと揺れる灯りが増えた。


 もう一艘の小舟が武吉の船に近づいて、板をわたして固定する。


 船を操っていたのは花で、そして、乗っていたのは──。


「こちらが、来島の当主()()()の村上通隆殿。御歳は十七」


 武吉が簡単に紹介した。


 通隆も武吉と同じように、白い直垂を纏っており、花の足元には、朱塗りの器と酒の入った壺が置かれている。


「そんなわけで、侍女臈(進行役)が随分若く心元なくて申し訳ありませんが、もう三杯ほど三三九度お付き合いいただけませんかね? あ、ご実家には内緒の方向で痛ったッ!」


 余計なひと言を言ったせいで花に土器(かわらけ)をぶつけられたが、気を取り直して武吉は「このとおり!」と頭をさげた。


「す」


「す?」


 栄姫の言葉を、思わず武吉はくり返す。


「素敵! よかったですわ!」


 栄姫がぴょんぴょん飛び跳ねて、隣の船に移った。


「私、お母様からお(じじ)様に嫁ぐことになって可哀想! と言われてましたの。それでとても落ち込んでおりました! でもとっても素敵! 通隆様とおっしゃるのね! よろしくお願いいたしますわ!」


 薬の影響でややぼーっとしている通隆に飛びついてくっつく栄姫。


「……ジジイって歳じゃねーだろ来島殿」

「えっと……三十五、六くらいでしたね……通康様は」


 確かに栄姫にしてみれば随分と年上で、なおかつ彼女の許容範囲から外れているようなのでその言い分はもっともなのだが、自分らにとってはそれ程年上とも思えぬ通康の随分な言われように、十九歳の武吉と義継がヒソヒソと頭を寄せた。

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