第七話 父の情
父に連れられ初陣を飾ったのは、ニ年前に起こった四国河野の内乱だった。
どんな戦いだったのか──誰と戦ってたのか──正直なところ、自分はあまりよく覚えていない。
ただ、唯一覚えていること。
気がついた自分が──自分が敵に奪われないよう、大切に抱えていたものは。
──乳兄弟の、首だった。
◆◇◆
まだ薄暗い中飛び起きた通隆は、荒い呼吸を整えるように、冷たい空気を大きく吸い込んだ。
窓から見える空はまだ星が瞬いており、日の出までまだかなりの時間を要することが伺える。
「にぃに……いたいいたい? ちーうえ、呼ぶ?」
隣で寝ていた太郎が、ごしごしと目を擦りながら通隆の顔を覗き込んだ。
「だ、いじょうぶ……だい……じょうぶ……うん……だい、じょうぶ……」
ちょっと、悪い夢を見ただけだよ──。
自分に言い聞かせるように──そして何より、太郎を安心させるように彼の頭を優しく撫でて、通隆は少ない自分の荷物の中から小さな印籠を取り出す。
「厨へ行ってくる……お薬、飲んでくるから……先に寝てて」
重たい体を引きずるように、通隆は厨に向かった。
水を杓に一杯二杯、がばがばと勢いよく飲んだ後、小箱の中からことさら小さな丸薬を一粒口に含んで、水と一緒に飲み込んだ。
◆◇◆
十二月七日早朝、能島は騒然となった。
冬の遅い日が昇る頃、倒れて意識の無い通隆が厨で発見されたからである。
侍女からの報告を聴くや否や、慌てて厨に飛び込んできた武吉や花の声に通隆の反応はなく、少なく浅い呼吸で、意識は朦朧としたままだった。
「ちょっと! 早くしてッ!」
隣の伯方島から強引に連れて来られた医者を、さらに引きずるように花は通隆の元に案内する。
陶晴賢の許可を得て大内領内から武吉がスカウトし、移住してきたその医者は、通隆の体を観察し触診する。その際、懐から例の印籠が転がり落ちた。
中身を見て、医者は頷ずく。
「原因は、こちら……ですな」
薬? 医者から差し出された小さな印籠を、武吉は摘み上げる。
「ツガル、または罌粟と呼ばれる花から採れる、南蛮渡来の珍しく貴重なお薬です。一体、どこで手に入れられたのやら……」
「効能は?」
武吉の問いに、医者は淡々と答えた。
「主な効能は鎮痛と鎮静。よく効きますが、それ以上に副作用として習慣性が強く、摂取しすぎると幻覚、幻聴の症状が出たり、意識が混濁、最終的には死にいたります」
「毒薬じゃねーか!」
思わず武吉は叫んだ。しかし医者は淡々と言葉を口にする。
「毒も薬も、表裏一体、ということです」
気が付かれると、錯乱して暴れられる可能性もありますので、お気をつけて。
通隆が正気に戻るまではしばらく能島に滞在するとのことだったが、医者はそう言うとひとまず退出していった。
◆◇◆
「あの薬は、通康様がお与えになったものです」
急いで来島から義継を呼び寄せ、武吉は事情を聴く。
「曰く、悪夢を見た日に飲むように。よく眠れるから……と」
「悪夢……?」
武吉の言葉に、義継は頷く。
「私には、通隆様とひと月離れず産まれた弟がいました。通隆様は私の母の乳で育ち、私と弟は通隆様のいわゆる乳兄弟となりました」
しかし……。と一瞬義継は言い淀むが、一呼吸おいて続けた。
「通隆様の初陣のおり、弟もまた一緒に初陣を飾ったのですが……弟はその戦いで戦死致しました。その際、通隆様は獅子奮迅のご活躍で、弟の首を敵から取り戻してくださったのです」
すごいな。それは──と、武吉は息を呑んだ。
以前「戦になると人が変わる」と花が言っていたが、確かにここ数日一緒に過ごした通隆の様子からはまったく想像ができない凄まじさを感じる。
「……しかし現在、通隆様にはその記憶が無いのです」
「まったく覚えていない?」
そんなことがあるのか? 義継の言葉に、武吉は眉間に皺を寄せた。
「通隆様は、気がついた時には、弟の首を抱えていた。と仰られています」
そして以来、時々悪夢にうなされるのだそうです。と、義継は続けた。
「通隆様曰く、真っ白な空間をぼんやり歩いてると、いつの間にか大切そうに、血にまみれた弟の首を抱えているのだと」
「そして通康殿は、その悪夢を見た際に例の薬を飲むように言ってアイツに渡した……というわけか」
武吉の言葉を肯定するよう、義継は頷いた。
決して通隆に対して、通康が危害を加えるつもりがなかったことがわかり、武吉は安堵する。
劇薬は劇薬で、通康から息子に向けられた、確かな愛情なのかもしれない。
が、しかしてそれはそれ、これはこれ。
「とりあえず、あの薬は没収だな……」
悪夢か──と、大きくため息を吐いた。
「他に何か、良い方法があればいいんだが……」
しかし、現時点で武吉には、妙案がさっぱり思いつかなかった。
◆◇◆
「なにやら、能島の動きが活発なようです」
新高山城の一室にて。
寺の門番のように筋骨隆々でそっくりな男が二人、隆景の前に跪いた。
乃美隆興と乃美宗勝。少々年齢が離れているものの、従兄弟同士のこの二人は実によく似ていた。
静の隆興に動の宗勝。二人合わせて阿吽の金剛力士に例える者も中にはいる。
「宇賀島衆を潰して二十日……なにやら嗅ぎつけられましたかな」
吽形の仁王が冷静に見解を示した。
宇賀島衆とは、村上三家とは別のルーツを持つ水軍である。
尾道の対岸にある向島に程近い宇賀島を拠点にしていたのでそう呼ばれており、陶晴賢に味方して安芸の竹原、備後の鞆、備中笠岡など、小早川に近しい各領地を好き放題攻撃してきたため、十月半ばに小早川水軍および因島村上家、備後国外郡衆の連合で宇賀島に攻め込み、晴れて十一月十七日に攻略完了、相手方を滅ぼしたのだった。
阿形の仁王がふふんと得意げに鼻を鳴らす。
「因島の吉充殿は我が義弟。加えて栄姫様輿入れのあかつきには、来島の通康殿も毛利の縁者となりまする。能島の村上武吉が単独で大内方に味方したとしても、我が小早川水軍の敵ではございません」
「うーん、そうだね。まぁ、負けるつもりが無いことについては、確かに同意するけれど……」
隆景は目を細め、机に広げた海図を眺めた。
能美島、そして宇賀島。
陶晴賢に味方する水軍を、隆景率いる小早川水軍は現在連続で撃破している。
能島村上家は対外的な立場上、駄別安堵の許可をくれた大内の味方であるという立場をとっていた。
だがしかし、村上隆重と陶晴賢の確執の話もさりげなく聞いたことがあるため、調略の仕方によっては、案外味方に引き入れることも、可能かもしれない。
が。
「うわさでは、なかなかに情の厚い、面白い男だと聞いています」
──いつか、会ってみたいものですね。
隆景はそう言うと、新高山城からは見えない能島の方を見て、小さく微笑んだ。




