第六話 天文二十三年十二月六日 胃痛の隆景、頭痛の隆重
「又四郎! 又四郎!」
又四郎と呼ばれた青年は、「うわぁ……」という言葉を飲み込み、顔に柔和な笑顔を湛えて女性を出迎えた。
「いらっしゃいませ姉上。ようこそ新高山城へ」
本音としては来なくていいのに……と思わなくもないのだが、又四郎は一応、対面上は歓迎した。
そんな又四郎の考えなど気がついていない自由奔放極まりないこの姉は、いつものことではあるが、ずけずけと好き放題物申す。
「貴方、毎回こんな辺鄙な場所から郡山城まで通ってましたの?」
思わず「辺鄙で悪かったな……」と喉元まで出かけたものの、毎回この姉に言い返しては倍返しされてあえなく撃沈している兄二人の姿を見慣れているため、又四郎はとりあえず聞かなかったことにして微笑を続けた。
人生は短いのだ。不毛な争いをしている暇など無い。
「いやぁ大変ね。私ならやってられませんわ」
「……」
しかし、そもそも実家から二里ちょい、歩いて一刻もあれば余裕で辿り着く距離しか離れていない嫁ぎ先の城から見れば、そりゃ大概は辺鄙な場所だろうが──。とめちゃくちゃ言いたい又四郎であった。──言えないけど。
というか、そういえば前に「郡山城下に専用の屋敷作って!」って父上にお願いした時、特に理由もなく反対してましたよね? 姉上?
「それにしても父上も父上です! 私より十も年上のジジイに、私の可愛い愛娘を嫁がせる約束を勝手にして!」
「あー姉上……。それは致し方ありません」
父が決めた村上通康との同盟は、毛利方にとっては大変不利益な条件であった。
村上通康は同盟に際し、人質を要求してきたのである。
父と母の間に産まれたの最初の子──又四郎の長姉が、人質となって殺された事を知った上でだ。
しかし、そんな不利益を被ってまで同盟を結び、どうしても勝だなければならない相手──それは──。
「全ては陶を……いえ、大内に勝つためです」
姉上も、どうか理解してください……。
「……栄に会わせてくださいな」
真摯な又四郎の言葉に毒気を抜かれ、姉は不貞腐れながらも城の侍女に伴われて愛娘の元に向かう。
又四郎こと新高山城主小早川隆景は、姉の背を見送りつつ、胃の腑を抑えてため息を吐いた。
◆◇◆
「ちーちうぇー! どんぶらぁー!」
「おーぅ、にぃにたち、帰ってきたなー」
太郎を抱えた武吉は、櫓の上から海を見る。
能島は大島と伯方島の間の入りくんだ場所にあり、おまけに鵜島や見近島に隠れて進行方向次第では一見で判りにくい場所にあった。
我ながら、良い場所に城を作ったもんだ──と、ご先祖様を誇らしく思う武吉である。
その島の陰から数隻の船団がこちらに向かってきているのが見え、太郎はぶんぶんと小さな腕を大きく振り回した。
「ちょっと! 太郎ちゃん今朝熱が下がったばっかりなんですから、今すぐ降りてきなさいーッ!」
櫓の下から花が怒鳴った。冬の海風は確かに大人でも寒い。
「花! 通隆殿が戻ってきたぞ!」
「こちらからも見えております! いいから早く降りてきなさいッ!」
花の剣幕に「おお怖ッ」と武吉は肩をすくめた。
「太郎。しっかり肩に掴まってろよ!」
「あい。ちーうえ」
武吉は目を細めながら舌足らずな息子をおんぶ紐で縛り、櫓を滑るように降りた。
◆◇◆
「ただいま、帰りました……義兄上」
船着場から階段をゆっくり登り、通隆が恐る恐る、それでもどうにか無理やり笑顔を作ったようにぎこちなく笑った。
「おかえり。船はどうだったかい?」
「どうもこうも、コイツ、十日ちょい前に銃で撃たれたっての本当かぁ?」
後ろからうんざりしたような声を出して、一人の男が上陸してくる。
「お帰りなさい叔父上。何かありましたか?」
叔父──父の同腹の弟である村上隆重はげんなりとした顔で「どうしたもこうしたもあるか!」とぼやいた。
「操船技術はほぼ満点。船団率いた現場指揮については少々不慣れじゃけど、まぁ初めてにしては及第点。許せる範囲かのぉ」
「ち、父上に、教えてもらった……から……」
褒められて、ほんの少し通隆の顔がほころぶ。
「まぁ、そこまではえぇんよ。じゃが」
隆重は眉間に寄せた皺をほぐすように指で揉む。叔父とはいえ父の末の弟なのでまだ若く、三十路に入ったばかりのはずなのに、そういう仕草はなんだか武吉から見てもじじ臭い。
「いざ乗っ取りしよぉ思ぉたら、コイツ船底まで逃げよったんよ」
聞いとった話と違うんじゃけどー。と隆重は武吉をじっとり睨んだ。
「だからその、完全にはまだ傷が塞がってないし、本調子じゃないんだろ?」
「……」
武吉はフォローしたが、しかし通隆は黙って俯いてしまった。
武吉が訝しんでいると、そこに。
「にぃにーッ!」
よたよたとまだ足取りが怪しい太郎が、彼なりの駆け足で通隆に飛びついた。
「にぃにー! あそぼー!」
「……しばらく、頼めるか?」
息子の可愛らしいワガママに、武吉は苦笑を浮かべながら通隆に問いかけた。
通隆を能島に連れ帰って以降、通隆は太郎のお気に入りで、くっついて離れない。
(通隆の奴、そんなに梅に顔は似てねぇと思うんだけど、ただまぁ、どこか似ているところがあるんだろうなぁ)
妻の異母弟──叔父と甥にあたる二人を、武吉は目を細めて眩しそうに見送った。
さて。と武吉はじっとりと睨んでくる自分の叔父に向かい合い、武吉は真面目な表情を向ける。
「こっちは仕事の話をしよう。叔父上」
叔父は自分の後見であり、能島水軍の実務的な指揮官である。
かくいう三日前、来島の弔問から通隆を連れ帰り来島のアレコレを事後報告したところ、「ワシのおらんところで勝手に決めるなッ!」と大目玉を食らったばかりであった。
閑話休題。
「出て行った時と船が二隻ほど少ない気がするんだが……」
「あー、お前の話を聴いての……大内と毛利の情報集めるべきじゃと思って、間諜を放っておいた」
大内にもか? 武吉は意外そうに目を見開く。
隆重はフンッと鼻を鳴らす。
「陶のクソガキャぁ、ワシゃあ好かん」
キッパリと言い放つ隆重に、武吉は苦笑を浮かべた。
武吉が能島の当主となった三年前、大内領内で大事件が起こる。
後の世にて『大寧寺の変』と呼ばれるその事件は、家臣である陶隆房が、主人である大内義隆に対し謀反を起こして自害に追い込んだ事件であった。
その後、隆房は義隆の甥にあたる、のちの九州の大大名大友宗麟の異母弟義長を当主として迎え入れたが、事実上彼を傀儡とし、大内家は隆房改め陶晴賢が実権を握って現在に至っていた。
「……その陶に、厳島周辺での駄別安堵を撤回禁止されたのを、まーだ根に持ってんのかよ」
「当たり前じゃッ!」
隆重は即答。
「奴にとっては島民に対する人気取りじゃろうけど、こっちとしては稼ぎを減らされてえぇ迷惑じゃッ!」
「まぁまぁ……落ち着け叔父上」
ヒートアップする隆重を、武吉は「どうどう」と落ち着かせようとしたのだが。
「言っておくがお前も頭痛のタネじゃバカタレッ! いらんことばっかりしてからにッ! まぁたワシに隠れて中途島に行ったらしいのぉ」
武吉とは違い、直接対決した経験からか義益に対する隆重の心証はめちゃくちゃ悪い。
今回は完全に武吉のヤブヘビだった。




