第三話 来島の忌子
「何処に行っていましたのよ! この烏呼者!」
吉充の舟に乗せてもらい、来島に戻った武吉だったが、花と顔を合わせた早々、助走付きで顔面を拳で勢いよく殴られた。
「落ち着いてください姫様……痛ったぁッ!」
驚いて間に割って入った義継も、花に腹を蹴り飛ばされてうずくまる。
「あの子を追って考えなしに、冬の冷たい海に飛び込むとかッ! 私が! どれだけ! 心配したと思ってらっしゃるのですかッ!」
「わ、悪かった……です……」
殴られた顔を抑えつつ、よくよく見ると花の顔には目尻に涙の跡が残ったままである。
彼女の言うことももっともであると納得した武吉は、素直に彼女に謝った。
そもそも自分たちが何故来島に来ることになったのかといえば通康が死んだからであり、おまけにその死因が溺死だったことに動揺してなくもない。
そんな中「飛び降りて撃たれた通隆を追いかけて、夫が海に飛び込んで行方不明」などと聞かされた花は、そりゃあ不安で不安で気が気ではなかっただろう。
すみませんでした。と平謝りする武吉の数歩離れた後ろで、吉充が「ウチは優しい嫁でよかった……」と内心惚気ていたことはさておき。
「ところで、通隆様は……」
不安そうな義継に、武吉は小声で耳打ちした。
「今のところは無事だ」
ある人に預けて、医者にも見てもらってる。そう言う武吉の言葉に、義継はホッと安堵の表情を浮かべた。
しかし、武吉はそんな義継の胸ぐらを掴んで、自らに引き寄せる。
「吉充曰く、アイツを撃った硝煙は来島からあがってたそうなんだが……」
心当たりは?
感情を抑えつつ、怒りの表情を浮かべた武吉に、相対して義継は表情を曇らせた。
「……あります」
ため息ひとつついた後、義継は意を決して武吉を見つめた。
「その辺りの事情や、殿が貴方様を後継者に選んだ理由もお話ししますので、どうか」
義継はそう言って、深々と頭を下げた。
◆◇◆
「自分はとりあえず、先に来島殿の弔問を済ませてきますね!」
と言った吉充と別れ、武吉は先程と同じように義継に誘われて地下道を歩く。
ただ、先程と違うのは。
「おい、怖いならついてこなくてもいいぞ?」
「こ、怖くなんかないです! そ、そう! 貴方がまた突然海に飛び込まないように! 私は錘です!」
何故か武吉にぴったりとくっついて、花も一緒だった。
経緯が経緯だけに「邪魔」とはとても言いづらい。正直狭くて、思わずハッキリ口に出てしまいそうになるが。
「だいたいお前の生まれ育った城だろうがよ」
「こんなところには来たことがございません!」
夫婦の微笑ましいやりとりに、思わず義継の口からクスリと笑いが込み上げた。
間も無く、くだんの座敷牢へ到着する。
「あの子は、此処で……?」
驚いたような花の問いに、義継は頷いた。
「はい。通隆は普段、こちらで過ごされております」
先ほどは見回す余裕も時間もなかったが、牢の中は件の見慣れぬ楽器だけではなく、兵法書や絵巻物などが綺麗に整頓された状態で並べられている。
(人の世の 役目を終へて 帰るのみ 我が名は海に 心は空へ……か)
口調は妙に幼いと思ったが、いっちょまえに辞世の句なんか詠める程度は、学があるということだろう。
「で、いい加減教えてもらいたいんだが、なんで花や来島の者たちは、こんなにアイツを忌避するんだ?」
周囲を見回しながら、武吉が義継に問いかけた。
「……通隆様の、御生まれのせいです」
床に置かれた三線にそっと触れながら、義継は口を開いた。
「昔、父君の通康様がとある娘を見初めまして、一夜の情を通じられたとのこと。ところが、互いに名乗ることなく別れたその娘は、大山祇の神に仕える巫女だったとのことです」
武吉は息を呑む。
知らなかったにせよ、現役で海神に仕える娘に手を出す勇気は流石に無く、考えただけで恐ろしい。
「巫女はその職を辞して通隆様をお産みになったとのことですが、産後の肥立が悪く、間もなく亡くなられ……」
武吉の最初の妻である梅は、太郎を産んだ直後に亡くなっている。
思わず共感してしまい、武吉は思わず顔を顰めた。
そんな夫の隣で、花が複雑そうに武吉の顔を見つめる。
「巫女亡き後、巫女の父親が赤児の通隆様を通康様のところに連れて参りました……大山祇の、神託とともに」
神託──嫌な予感に、武吉は無意識に唇を噛んだ。
「曰く、この赤児は来島にとって絶対に必要な者。同時に、厄災をもたらす者だ……と」
「迷信だろそんなの! 俺だって大山祇神は信じているけど、神はそこまで人間に介入しない!」
思わず武吉が声を荒げた。
その神託は誰がどう考えても、明らかに胡散臭い。
「ところが、その胡散臭い神託を……その……皆がうっかり間に受けてしまう要因がございまして……」
「あの子は、人が変わります。戦になると」
言い淀みながら言葉を選ぶ義継を遮り、花がハッキリと口を開いた。
「あ、もちろん私は、戦場で直に見たわけではありませんけれど……父があの子を戦場に連れて行くと、必ず勝利するのですが、その代わり、お味方も酷く被害が出て、皆口を揃えて言うのです」
彼女は震える拳をぎゅっと握りしめる。
「あの子は感情が昂ると、敵味方がわからなくなるのだと。近づく者は敵味方関係なく皆あの子の餌食になり、肉塊となるか、海の藻屑と消えてしまうか……」
── 来島殿が妙なことを言っていました。彼は海神大山祇の呪い子にて、戦神素戔嗚の祝い子である……と──。
先程従兄から聞いた言葉が、武吉の脳裏をよぎった。
「生前通康様は、自分の死後の通隆様の行く末を案じておられました。故に、通隆様とある約束をされていたのです」
義継の言葉に、武吉は耳を疑った。
「もし万が一、通康様が死んだら……通隆様は即刻、通康様の後を追うように、と」
◆◇◆
実に手のかかる奴よあの武吉は。本当に厄介ごとばかり持って来おって……。
医者が武吉と吉充を追い出した後、少し眠った義益は起き上がると、傾きかけた日の差し込む縁側を歩いて、もう一人の客人の元に向かった。
制止する医者を逆に止めて、汗の滲む少年の額を、義益は濡れた手拭いで拭ってやる。
齢は十七と言っていたが、まるで病弱な自分のように、随分細くて小柄だと義益は思った。
もっとも、通康が大柄な人だったので、彼もこれからもっと伸びるのかもしれないが。
「ちち……うえ……」
高熱でうなされる少年の口からこぼれた声に、思わず義益の手が止まる。
少し目が開いているが、ぼんやり焦点が定まっておらず、見えているのかわからない。
「……今は、ゆっくりお休みなさい」
頬に触れる義益の手に安心したのか、単に意識を失ったのか……彼は再び目を閉じて、やや荒い呼吸の中眠りはじめる。
自分より彼の容態を優先するように。そう医者に命じて義益も立ち上がり、退室した。
「父……か……」
義益は空を見上げる。
早朝降った小雪は積もることなく姿を消して、今は抜けるような冬空の青天と、その西側にはやや夕陽がかった橙色の空が広がっていた。
日が遮ることなく義益に当たるので暖かくはあったが、それでも冬の冷たい風が頬を撫でる。
「……いや……私が口を出せることではないな」
義益に思うことはあっても、全ては、あの従弟が決めること。
小さく咳き込んで、義益は静かに自室に戻った。




