断章(前) 天文二十一年某日 義直の死
──村上次郎兵衛義直殿、お討死──
「通隆様はご無事か!」
弟の死の知らせを聞いた時、真っ先に出てきた言葉は、弟と一緒にいたはずの主人であり乳兄弟である通隆の安否だった。
二歳下の義直とは、決して不仲ではない。むしろ世間一般から見れば仲は良い方だろう。
しかし村上義継にとっての優先順位は、比べるまでもなく実の弟よりも遥かに通隆の方が上であった。
「それが……」
伝令兵が言い淀む。
まさか、主人まで──顔面蒼白の義継を見た伝令兵は「いえ」と首を横に振った。
「私が派遣されるまではご無事でした」
しかし──と伝令兵は再度口ごもり言い淀む。
なんだと促す義継に、伝令兵は言葉を選びながらおそるおそる口にした。
「御乱心なさって……いえ、あれはまるで鬼か神が乗り移ったかのような有様で……敵も味方も関係なく、近寄る者らを切り伏せられております」
伝令兵の言葉を聞き終わる前に、義継は近くの馬に飛び乗った。
自分は今、通隆ではなく、通康の兵としてこの戦場にいる。
勝手に持ち場を離れることに躊躇いが無いわけがなかったが、それでも、通隆の元に今すぐ馳せ参じねばという気持ちが抑えきれなかった。
果たして、義継が見たものは。
獣のような咆哮をあげながら、憎悪と殺気をむき出しに振り撒いて、真っ赤な血に染まって敵陣に突っ込む通隆の姿だった。
「返せ……」
小柄な体躯を活かして素早く動き、そして的確に相手の急所を一撃で狙ってその命を奪う。
「返せ……」
敵の骸から噴き出る大量の血液を頭から被ろうと。
「返せ……」
後ろから矢を受け、よろけても。
「その首を返せぇぇェェェ!」
一人の男を袈裟斬りに斬り倒し、その腰にぶら下げた首を奪った。
直後、先ほどとは打って変わり、まるで別人のように通隆は静かに──穏やかにその場に座り込んだ。
包んでいた布を剥ぎ取って、ここが戦場であるということも忘れたように、中から出てきたその首を──義直を、愛おしげに抱きしめる。
「通隆様!」
迫り来る敵の間に、義継は慌てて馬に乗ったまま足軽を蹴散らし間に割って入って槍を一閃した。
バラバラであった指揮系統も、義継や、義継を追ってきた村上の家臣らがきたことで持ち直しかけようとした、その時──。
「な……何を……通隆様……?」
義継の背後──通隆の投げた短刀が鎧の隙間から刺さり、貫通した脇腹から鋭い切先が飛び出て見えた。
「我に近寄るな。下郎が」
義継が振り返ると、見たことないほど冷たい通隆の目とぶつかった。
痛みで義継が落馬する。
何故、どうして、通隆様の顔をしたあれは誰だ──様々な思考が義継の脳裏を巡ったが、流れ出る血液に合わせて、同時に義継の意識も途切れていった。
◆◇◆
「呼び出してすまない義継」
その後意識を失った義継だったが、通康率いる村上軍本隊が間に合ったことで命は助かった。
しかしあの戦を引き上げた翌日、すぐに義継は通康に来島城に呼び出され、今に至る。
「通隆様のご容態は……」
持ち場を離れたことを咎められるのかと思い覚悟を決めていた義継であったのだが、顔を合わせてすぐのこの通康の言葉に、もしや通隆の身に何か良くないことがあったのかと義継の血の気が引いた。
「……今は、眠っておる。医師から、南蛮渡来のよく効く鎮静剤を処方されてな……」
そう言いつつ、怪我をした義継に配慮しつつ、ゆっくりと歩きながら通康が案内したのは──。
(地下通路……? 確かこの先には、牢しかなかった筈だが……)
義継が案内されたのは、最奥の牢。
「通隆様!」
頑丈な手枷足枷をつけられ布で目隠しをされた上、さらには猿轡を噛まされた状態で床に倒れた通隆を見て、痛みをこらえて我を忘れて義継は駆け寄った。
牢の格子は実に頑丈で、義継が手を伸ばしても、通隆には届かない。
「どうしてこのような……通隆様はあなた様の唯一の男子……御嫡男ではありませんか!」
「……そう、だな」
義継が振り返ると、そう絞り出すように呟き、そして顔を抑えてうずくまる通康の姿があった。
「すまない、この場にはこの子の乳兄弟のお前しかおらぬ故……許せ……」
嗚咽を堪えながら、通康は父の顔をぐしゃぐしゃに崩して涙をこぼす。
「わからぬ……私にもわからぬのだ……義継。いったい太兵衛に何が起こったのか……」
通隆の周囲にいて生き残った者らの証言から、敵兵が味方のフリをして近づいて奇襲、そして通隆を守って義直が殺された──通康は泣きながら家臣から得た情報を、義継に伝えた。
「故に、今のこの子にとっては、目に見える者全てが敵で、全てが信じられぬ者なのかもしれぬ……」
義継を刺した後も、救援に来た何人もの家臣が通隆に斬られ、中には亡くなった者もいたとのこと。
なんとか取り押さえて来島まで連れ帰ったが、薬で眠らせるまで、ずっと呪いの言葉を吐きながら暴れていたとのこと。
該当の者の家族には戦で亡くなったと伝え家臣たちには緘口令を敷いたが、人の口に戸は立てられぬ。被害の甚大さゆえに、廃嫡の動きがみられるのも時間の問題かもしれない──と通康は涙ながらに義継に語った。
「太兵衛は来島にとって絶対に必要な者。同時に、厄災をもたらす者……ああ、あの時の大山祇の神託は本当であったのだ……」
通隆の母親が大山祇の神に仕える巫女であったこと。そして彼女がお産と同時に亡くなり、彼女の父親が呪いともとれる神託の言葉とともに赤児の通隆を連れてきたこと──来島の家臣は程度の差はあれど、ほぼ全員が知っている事実である。
そのような経緯の後、通隆の乳母に選ばれた女性を母に持つ義継は、当然詳しい事情を知っていた。
「……ぅう……ぅぅうー」
気がついたのか、通隆が猿轡越しにか細い声をあげる。
「通隆様! 気がつかれましたか!」
義継は嬉しそうに通隆に駆け寄ろうとした。牢の中に入ろうと、通康から鍵を受け取り、かちゃかちゃと鍵を開けようとしたその時。
「ぅぅうー……ううううー」
「通隆様……?」
牢越しではあるが、どこか妙な違和感を義継は感じる。
そんな中、身じろぎした時猿轡がずれて、通隆の大きな鳴き声が響いた。
「うあぁぁぁあん」
その泣き声は明らかに様子がおかしく、義継も通康も、顔を見合わせ困惑する。
いつまでも泣き止まぬ通隆の様子に、義継はハッと我にかえって叫んだ。
「医師を! 早く!」
義継の言葉に、慌てて通康が回れ右して城内に戻る。
かくして通康に連れられ泣き叫ぶ通隆をなだめつつ、じっくり診察した医師は、残酷な結果を二人に伝えた。
通隆は戦のことどころか、自分が生まれて十五年の間に起きた出来事を、全く覚えていないこと。
それどころか、知能が著しく低下して、今は言葉も喋れず赤子同然の状態であること。
あまりのことに受け止められず、通康と一緒に義継はふらついて座り込む。
この時の戦で、義継は大切な義直と通隆の双方を失ってしまったのだ。




