断章(後) 天文二十二年某日 義継の忠義
「兄上! 通隆様があけびを見つけてきました! 三人でいただきましょう!」
書類整理中であったのに──時と場所と空気を選ばず、ニコニコと無邪気に笑う義直に、義継は呆れたようにため息を吐いた。
「お前……通隆様と稽古していたんじゃなかったのか……」
調子のいい弟は「そうでしたっけ?」とすっとぼける。
「とにかく、早く行きましょうよ……あけび、通隆様の大好物ですから、あっという間に全部食べられちゃいますよ?」
ほら。
弟の指差した先に、口いっぱいあけびを頬張って、口の周りをベタベタにしたままバツの悪そうな顔の通隆がいた。
「な、なんだよ義継。言いたいことがあるならハッキリ言えよなッ!」
種をペッペッと吐き出しながら、通隆が義継を見上げる。
「お行儀が悪いッ!」
いいですか! 貴方は来島の御嫡男なのですよ! といつものように説教を始める義継に、通隆はくるりと義直の手をとって回れ右。
「逃げるぞ義直!」
「あ、お待ちください通隆様!」
お待ちなさいッ! あっという間に姿が見えなくなった二人を追いかけようとするが、何故か足が動かない。
「待って……通隆様……義直……!」
二人の明るい笑い声だけが遠くから聴こえて、何故か義継の涙が止まらなかった。
◆◇◆
「すけえもんのじょー、おきた?」
うたた寝をしてしまっていたのか……通隆が顔をじっと覗き込んでいる。
「……申し訳ございません。通隆様」
あの戦から約一年と少し。通隆は表舞台に立つことはほとんど無く、拘束されたまま座敷牢に囚われ続けていた。
一度は赤子同然まで退行してしまった知能と精神だが、実際は十六の少年であり──元通りには程遠いが、しかし一年かけて徐々に成長はしている。
「ねーえ、じろべえってだあれ?」
通隆の突然の言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。
「……すみません、口に出ていましたか」
義継の言葉に、通隆は無邪気に「うん」と答えた。
「村上次郎兵衛義直。覚えてやってください。通隆様の、死んだ忠臣の名でございます故」
ちゅうしん……? 首を傾げる通隆に、義継は「通隆様を心から慕い、守った者です」と、なんとも言えない顔をして言い直す。
「うん、わかった!」
以前はどこか捻くれた性格で──今なら「う……るさい! そんなことは知ってるよ本当は!」とでも言い返してきそうな状況なのに、素直に頷く通隆を見て、再び義継はなんとも言えない顔をした。
「そうだ。もうすぐ九月ですね。通隆のご好物のあけび、見つけたらこちらに持ってきましょう」
夢の中の通隆を思い出し、義継は提案する。
しかし。
「あー……うん、まえに、ちちうえがおなじことをいって、たべたけど……タネがおおくて、あんまりすきじゃない……」
申し訳なさそうに、通隆は肩を落とす。
「あ、すけえもんのじょー、どうしたの? どこかいたいの?」
自分の知っている主人は、もうどこにもいないのだと痛感し、義継はまた涙が止まらなかった。
◆◇◆
「通隆様の中に、義直がいる?」
ある日義継の元に、神妙な顔でそのような話を持ってきた家臣らがいた。
たまたま高熱を出して出陣を見送り、先日の戦に出れなかった義継は唖然として問い返す。
「そんな馬鹿な」
「いや、しかし……実際そう名乗る姿を目撃している者が複数おるのだ」
義継は思案する。
来島村上家は、現在四国の河野家に仕えている状況である。
その河野家は、数代前の当主の頃から内乱が発生しており、当主の命については断るわけにもいかず、お飾りでもいいと通隆の派遣を要請してきたのだ。
しかしあのような状況なので、義継の個人的な意見としては通隆を頻繁に連れ出して欲しくないのだが──。
「鬼神のような強さで、向かってくる者らをバタバタと切伏せ……」
「なんだと!」
あの時の通隆だ──義直が死んだ時の戦を思い出し、義継は戦慄する。
しかしあの状態の通隆が何故義直の名を名乗るのだろう。
── 我に近寄るな。下郎が──
(もしあれが義直であるならば、何故あの時は兄である俺のことを認識しなかったのだろう……)
「しっかし、義直の奴、あんなに強かったっけ?」
「それだッ!」
自分の抱いた最大の違和感を口にされ、噂を教えにきた家臣の肩を、義継は強く掴む。
武門の生まれにも関わらず体を動かすことが少し苦手で、ちょっと走っただけですぐ息があがっていた弟。
もちろん、あの時のような闘い方が、義直にできるわけが──。
「あーでも死んじまったらそういうの関係ないのかも……イテテテテテ」
「うちの弟を妙な悪霊扱いしないでもらおうか!」
義継に頬をつねられ引っ張られた男は、義継の剣幕に「すみませんでした」と平謝りした。
◆◇◆
とはいうものの。
火のないところに煙はたたない──通康が主君とはいえ河野に嫡男の現状を報告していないのか、またしても河野の要請で出陣を余儀なくされた通隆。
今回は義継も参陣し、通康に願い出て通隆の側で控えていた。
そんな通隆はというと、陣の奥でカタカタと震えている。
「通隆様。大丈夫でございます」
安心させるよう、義継は通隆の手を握る。
しかし。
「通隆様ッ!」
通隆はその手を振り解いて駆け出し、あろうことか陣から出て行ってしまった。
とたん周囲がざわつき、遠くの方で「敵襲!」と叫ぶ誰かの声が聞こえる。
「通隆様ッ!」
雪崩のように押し寄せる敵兵を押しのけ、義継は通隆を追いかけた。
果たして。
そこには先ほどのように震えていた少年の姿はなく、弟の首を追いかけていたあの時と同じように、大量の返り血を浴びながら敵を切り伏せる通隆の姿があった。
しかし。
「我は村上次郎兵衛義直! 我が通隆様には指一本触れさせぬッ!」
通隆の姿をした何かはそう叫び、笑いながらどんどん敵を肉塊に変えてゆく。
(違う……)
義継は首を横に振る。
アレは間違いなく、あの時の通隆だ。
しかし、断じて義直ではない。
義継は駆け出し、敵に向かって刀を振りかぶる通隆の間に割って入り、そして通隆の持つ大ぶりな刀を脇差で受けた。
刀と刀がぶつかって火花が散る。
「通隆様!」
義継が呼びかける。しかし通隆は義継を一瞥しただけで、敵同様に再度刀を振り下ろして義継の腹をおもいっきり蹴り飛ばした。
「我は通隆様にあらず! 我は村上次郎兵衛義直! 通隆様をお守りする、忠実なる家臣なり!」
── 村上次郎兵衛義直。覚えてやってください。通隆様の、死んだ忠臣の名でございます故──
通隆の名乗りを聞いて、義継の頭の中にかつて自分が通隆に語った言葉が反芻した。
(ああ……もしかして)
次いで顔面を正面から殴られ、気を失いかけながらも義継は考える。
自分の頭では、過去の大山祇の予言も通隆に何が起こったのかも完全には理解できない。
けれども確実に言えるのは、義直を名乗るあの者は、義直にあらず。
しかし同時に、全てを一度失ったまっさらな通隆の中に残った、変質してしまったかつての主人の残滓かもしれないもの。
(通隆様……)
義継はこの場で気を失い、そして再び気がついたときには──。
「すけえもんのじょぉー! しなないでぇぇぇぇー!」
しがみつきながらぼろぼろと涙をこぼす、今の主人の顔があった。




