第二十六話 天文二十四年四月十八日 賽子
「というわけで無事熱が下がり、ようやく花の許可がおりました。叔父上」
すまなかったと武吉は演習の報告を待ってもらっていた隆重に軽く頭を下げた。
しかし、報告を聴くために呼んだのは隆重と通隆二人であるはずなのに、やってきたのは隆重のみで──。
「叔父上、通隆は……?」
「そのことなんじゃが……」
隆重は言いづらそうに視線を逸らせた。
「四日前にお前の嫁に追い返された後、一度実家に帰りたいとか言って、昨日来島に戻ったぞ」
「はぁッ!」
聞いてない! と武吉は慌てて立ち上がる。しかし熱は下がったものの元々の怪我は完治しておらず、武吉はその痛みでやや顔を顰めた。
「なんで許したんだよ! アイツは来島で殺されかけたんだぞッ!」
初めて会った地下牢での出来事を──さらに撃たれて崖から転落した通隆を思い出し、武吉はわなわなと震える。
「ちょっと……そんな物騒な言い方やめてくださいまし」
事実ではありますが、私の実家ですよ? と横で聞いてた花が不服そうに武吉を窘めた。
「あれから幾月も経ちましたし、多少は来島も冷静になったことでしょう。……まぁ、義母上はことのほか通隆のことを嫌っておいででしたので、そこだけ少々不安ではありますけれど……」
まぁ義母上の子は幼い異母妹だけですし、他に義母上の御眼鏡にかなう嫡男のアテもお松の婿の目星もない中、流石に直系男子通隆を殺す勇気と度胸はないでしょう。
「忠臣、乳兄弟の義継もいることですしきっと大丈夫ですよ!」
花はにっこりと笑って旦那を黙らせた。
◆◇◆
甘かった。と通隆はため息を吐く。
来島への帰省のため、隆重に頼んで先触れを出してもらい、小早と漕ぎ手を借りて通隆は来島城に向かったのだが、癇癪を起こした父の正妻に籠城されてしまったので城内に入れず、未だに船の上にいた。
攻撃されなかっただけマシな状況ではあるが、海の上でいつまでも漂っているわけにもいかないので、通隆は方向を変え、四国の湯築城下にある来島村上家の別邸に向かう。
文通は続けていたが、婚儀以来──久しぶりに栄姫に対面。突然の来訪に驚いたものの、彼女は嬉しそうに迎え入れてくれた。
──もっとも表向き、姫は村上通康の妻ということになっているため、栄姫と比較的歳の近い通隆の訪問は、栄姫の連れてきた侍女たちにとっては歓迎できない状況らしい。
なので通隆は父の死を知らない侍女たちに、渋い顔を向けられてしまう。
そんな侍女たちから隠れるよう、栄姫は通隆に耳打ちした。
「三線、無事届きましたわ。ありがとうございました!」
クスクスと笑いながら栄姫は続ける。
「厳島の宮ノ尾城で、宍戸の父上にもお会いしたのですって? お手紙で、貴方様と能島様のことを褒めてらっしゃいましたわ」
豪快に笑う栄姫の実父、宍戸隆家のことを思い出し、通隆はぽんっと手を打った。
「とても明るくて豪気な方だったよ」
ちょっと押しが強くて驚いたけど。通隆の言葉に、栄姫は「その気持ち、よくわかりますわ!」と笑いながら頷いた。
一晩泊まって翌朝の、天文二十四年四月十八日。
「通隆様! ご一緒していただけませんか?」
朝食を食べ終わると栄姫はニコニコと笑いながらどこからか盤双六を持ち出してきた。
早朝起きてすぐに、通隆は甘崎城の義継に「湯築城の邸宅で至急会いたい」と文を出した。が、相手の都合もあるのでそんなにすぐには会えないだろうと思い、通隆は彼女の申し出を受け入れる。
「何か、お心を曇らせるようなことがございましたか?」
「え……?」
賽子を振りながら問いかける栄に、ドキリとしながら通隆は聞き返す。
「昨日から、どこか遠くの方をみていらっしゃるといいますか……少々心ここに在らずなご様子が見受けられますので」
「……すごいね、栄は」
なんでもお見通しだ──と、通隆は苦笑を浮かべた。
「私は殿方の政には疎いですし、通隆様より幼い自覚はございます」
けれど。
「適切な助言はできなくとも、お話を聴いて差し上げることはできますわ。小早川の父上からの受け売りですけれど、言葉を口に出すことで、頭の中の整理もできますでしょう?」
カツン……コロコロと軽い音を立てて、栄姫の持つ筒から賽子が転がる。
四、三。出た目から栄姫は一つの駒を七つ進めた。
次は貴方の番ですわ。と栄姫に促された通隆は賽子を転がしながら彼女の勘のよさに驚くと同時に頼もしさを覚え、口を開いた。
「この間、海戦の模擬戦をした……のだけれど、ちょっと、ある人に確認したいことができたんだ」
けれど。小さなため息を吐いて、通隆は賽子を転がす。
二、二。通隆は同じ場所にあった二つの駒を、一度ずつ動かした。
「自分の抱くこの疑問を口に出してしまうと、その人との関係が壊れてしまうかもしれない」
通隆から筒を受け取って、栄姫は賽子を転がす。
一、五。栄姫はどう動かそうか──駒の置かれた盤面の数を数えた。
「お気になさらず。聴いておりますので、続けてくださいませ」
栄姫は少々悩んだ末、遅れている二つの駒を一、五と一つずつ動かした。
二、四と賽子の目が出た通隆は、一番前進していた駒の一つを六進めて内地に入れる。
「……嫌われたくないな」
通隆はポツリと呟く。
「でも、きちんと会って話をしなければ、貴方様の気持ちが、前に進めないのでしょう?」
「あっ……」
三、一。一番遅れていた栄姫の駒が、通隆が先程内地に入れた端石を切った。
「……強いな。栄は」
やられちゃったなー。笑いながら通隆は賽子を転がし、六、二と出して、端石を再度盤上の六の位置に置いた。
「止まったままでは、いつまでもモヤモヤした気持ちが続くだけですわ」
どうか、勇気をお出しくださいませ。じっと見つめながらハッキリと言い切る七歳下の十一の少女に、通隆は眩しそうに目を細めた。
「本当に、栄は強いなぁ」
◆◇◆
湯築城下に義継がやってきたのは、翌日のことであった。
「遅くなり申し訳ございません通隆様」
顔を合わせるなり、義継は通隆に平伏した。
「また、来島城への連絡が間に合わず、お方様の乱心を止めることができませなんだこと、ひらにご容赦の程……」
「あ、うん、いいよ義継。もう済んだことだし……」
通隆は立ち上がると乳兄弟に近づいて、彼の側に座り直す。
「そんなことよりもね、義継……単刀直入に。教えて欲しいことがあるんだ」
今、この屋敷には誰もいない。
栄姫に理由は話さなかったのだが、何かを察したらしい彼女は朗らかに笑いながら「近くの寺に詣でて、そのあと藤でも愛でて参ります」と侍女たち全員を引き連れて出かけて行った。
働く下男下女たちにも、義継が来訪している間は近づかないようにと人払いをしてある。
──ゆえに。
ごくりと通隆は唾を飲み込んだ。そして昨日の妻の言葉を反芻し、勇気を出して、内なる疑問を義継にぶつけた。
「義継、俺の中に、義直はいるの?」
「!」
義継が目を見開く。
彼は通隆の問いにどう答えたものかと即答できず、思わず視線を泳がせた。
通隆は義継の肩を掴み、さらに問いかける。
「この間の模擬戦の時、蟇目矢が雨のように降ってきたところまでは覚えてる。けれど、いつの間にか模擬戦は終わってて俺はずぶ濡れで、隆重から惜しかったなと労われた」
武吉の従兄弟の死以降、色々なことが重なって──久しぶりに見た師匠の笑顔は嬉しかったが、それがきっかけで通隆の中に芽生えた違和感は、考え出すと止まらなくなった。
「父上が存命の頃も、こんなこと時々あったよね。一体何が起こったのか俺は覚えていないけれど……時々義直の首の夢を見て、そして気がついたら、皆の視線が怖くなった」
今回の義母の籠城の件もそうだ。
たとえ義母一人が乱心の癇癪を起こしたとしても、それに従う者たちが──それも義母らに対して反対意見を述べる余地が無いほど多くの者が存在しないと、あの規模の籠城にはならないだろう。
「ねえ、義継!」
「では、お聞きしますが、通隆様」
つとめて優しく、義継は通隆に声をかける。
「仮に貴方の中に義直が……私の弟が居るとしましょう」
その声は本当に優しく、普段の穏やかな彼と変わりはなかったのだが。
「しかし、それでは何故、弟は実の兄である私の前に現れてはくれないのでしょうか」
そっと通隆の手に義継は触れた。しかしその手は冷たく、小さく震えている。
「弟が死んだあの戦の時も、河野を守る戦の時も、荒ぶる通隆様は私のことを認識することなく暴れ回り、次に気がついたときには、決まって貴方が目を覚ます」
義継の右手が、通隆を掴んだ。
声だけは優しいのに、獲物を捉えて離さない。
「ちょ……痛い、義継……」
「ねえ、通隆様。でてきてください」
そこにいるのでしょう? 義継の左手が、通隆の首に触れた。




