第二十五話 臥竜鳳雛
かくして。
双方の大将が海に落ちたことで互いに引き分けということにし、能島と小早川は双方共に撤退する。
大久野島の四人は戦闘終結後、吉充配下の因島衆がこっそり双方の拠点に送り届けた。
能島に帰った武吉だったが、そのまま高熱が下がらずしばし本格的に寝込むことになり、花をまた怒らせたことはさておき。
一方、隆景は新高山城ではなく、乃美宗勝の居城である賀儀城を指定し、吉充に送ってもらった。
「模擬戦とはいえ戦の結果、明確に白黒つけられず申し訳ございません。隆景様」
先に賀儀城まで帰っていた宗勝が、ずぶ濡れからまだ湿ったままの状態で隆景を出迎える。
しかし、吉充に支えてもらいつつ、力無く船から降りてきた顔色の悪い隆景の様子を見て、宗勝は何があったかを察して表情を曇らせた。
「もしや、また……」
主人隆景が、過去の──少年時代に大内義隆の寵愛を受けていたことは大内の関係者の間では有名な話だった。
宗勝の拳がわなわなと震える。
元々父譲りの才能ももちろんあったが、『千里眼』とも称される隆景の全てを見通すその目は、自身の身を護るために培われた人間観察と心理分析、情報の取捨選択を決断できる胆力の賜物である。
故に小早川家の家臣一同、目を光らせてはいるし、隆景の策士としての評判もあがったこともあり、近頃では義隆のようにその身や立場につけ込んで、隆景を己の思い通りにしようとする輩も随分と減った。
しかし義隆が死に隆景が成長した今でも陰で隆景に手を出そうとする命知らずな者は多い。
「大丈夫ですよ宗勝。何もありません……」
あの者たちは、何も悪くはない。
首を横に振る主人に、宗勝はそれ以上は何も言わなかった。
「そんなことよりも、どうでしたか? 彼は」
彼。それは通隆──否、義直を名乗る者のこと。
宴席の場に隆景はいなかったのだが、武吉と義継の見解の相違を含めて、宮島の『鵺』の正体について隣の吉充がこっそり報告をしてくれている。
武吉が宮島の頃よりさらに追加で怪我を負っていたことはさすがに予想外の出来事ではあったが──元々宮島で負っていた怪我、および先日会った際の治癒の具合から、模擬戦の際に武吉が外れる確率が高いと隆景は睨んでいた。
その際、代理の大将は、叔父の隆重か義弟の通隆が選ばれるだろう──と。
宗勝は隆景に、通隆およびその中にいると思われる義直について報告した。
「確かに、一武人としての評価は目を見張るものがあります。特に気迫と覚悟と豪胆さは、幼いながらも素晴らしい」
だがしかし。と宗勝は続けた。
「鳳雛……といえば聞こえはいいが、あれは現状、ただの雛ですな。あれが次期来島村上家頭領かと思うと、頭が痛くなる話です」
同じく水軍を率いている宗勝の手厳しい一言に、隆景は苦笑を浮かべた。
「つまり、現状、彼は自分のことでいっぱいいっぱいで、周囲にまで気が配れていない状態だ……と言いたいわけですね」
それは、彼の境遇から考えると致し方なく、考慮するべき面もあるかもしれないけれど。
しかしある時点から体調を崩し、娘婿の武吉と息子通隆を代理に全く表舞台に出てこなくなってしまった村上通康のことを考えれば、通隆だろうが義直だろうが来島の次期頭領教育は待ったなしで急がねばならない案件なのは間違いない。
(もっとも、それは後見である能島殿が、一番理解していることでしょうが)
熱でうかされながらも、うわごとで通隆を心配していた武吉を思い出し、隆景がクスリと笑った。
「いかがされましたか?」
「いえ……鳳雛の側に、熱出して寝込んだ竜がいたなぁと思いまして」
アレが、臥竜という器ですかのぉ──。主人の言葉に、宗勝が頭を抱えた。
件の栄姫婚姻前の大三島での鉢合わせの一件──宗勝による武吉の評価は、義直と似たり寄ったりのどんぐりの背比べだったが。
「……まぁ、殿がそうおっしゃるのなら……少なくとも、悪い者ではないのかもしれませんな」
渋い表情を浮かべつつ、宗勝は隆景にそう言った。
「ともかく、お疲れ様でした宗勝。思いの外、相手の船を沈めることはできませんでしたが、どうか皆を労ってあげてください」
隆景は、すみませんが部屋を貸ります。と、ふらつく足取りで歩みを進めた。
「新高山城に戻る前に、少し休ませてください」
そう言って板戸にもたれかかりながら、勝手知ったる賀儀城の奥に進む。
「……そなたもどうか、私のことなど気にせず早く着替えて。どうか風邪をひかぬように」
不器用ながらも気遣いに溢れた家臣に隆景は微笑む。
主人の苦手な大柄な男である自覚のあった宗勝は、配慮を主人に見抜かれて俯いた。
◆◇◆
「だーめーでーすー! とりあえず本日は立ち入り禁止ですー!」
武吉の部屋に向かう廊下で、薙刀片手に花が立ち塞がる。
「めーですー!」
太郎も木の棒片手に一緒になって、母の真似して通せんぼをしていた。
模擬戦の報告のために武吉の元に向かっていた隆重と通隆は、どうしようかと困惑の表情を浮かべ、顔を見合わせる。
「とにかく! 熱が下がるまで絶対安静! 貴方たちが近寄るとあの人絶対おとなしく寝てないので! ひとまず、せめて今日だけは近寄るのをやめてちょうだい!」
花の剣幕に凄まれ、二人はそそくさと回れ右して退散した。
まったく……二人の背が見えなくなると、花はくるりと回れ右して──。
「だから寝てろって言ってるでしょうがッ!」
「ちちーえ! めーッ!」
花たちが隆重と通隆に気が向いている間にそっと部屋を抜け出そうとしていた武吉であったが、あっさりバレて捕まり、部屋へ連れ戻されてしまった。
「どうしてこう! 大人しく寝ていられないのです! 貴方はッ!」
「だって暇なんだもーん」
花は武吉の額に触れて──。
「全然熱が下がってないッ!」
却下。とばかりにデコピン一発お見舞いした。
「まったく……子どもですか貴方はッ! 太郎ちゃん! 父上にぎゅーって!」
「あーい!」
花がそう言うと、横になった武吉の上に太郎が重石のように飛び乗った。
「ぐは……太郎、胸の上はやめろ……もうちょい下……」
「うー……」
父の顔が遠くなる故に太郎が不服そうに、しかし素直に武吉の腹の上に移動する。
「……ったく、重くなったな」
熱がうつってもしらねーぞ。と、自分の腹の上でぴったりくっつく太郎の頭を優しく撫でた。
「貴方のは怪我と過労が原因ですから、たぶん大丈夫です。うつりません」
武吉の言葉にぴしゃりと花が訂正する。
そんな武吉は太郎の頭を撫でつつ。
「なぁ、花。……変なこと聞くけど、甘えるってどうすればいいんだ?」
「はぁ?」
花は武吉の言葉が理解できず、きょとんと目を瞬かせた。
「あ、うん、変なこと聞いたな……」
悪かった──そう言う武吉の頭を、花はがしりと掴む。
「どういうことか、聴かせてくださいまし」
頼れっていったでしょう? そう言ってじっと見つめる花に、武吉は根負けしてぽつりぽつりと口を開く。
「俺、お袋のこと覚えてねーんだ。肥前のばあさん……祖母に育ててもらったけど、祖母には能島村上を追い出された後、苦労の末迎え入れてもらった別の家族がいて……衣食住の保証だけはしてくれたけれど、肉親の情を示され、甘えを許されるような環境じゃなかった」
唯一の血縁だったばあさんが死んだからってのもあるけれど、叔父上が迎えにきた時、俺は喜んで肥前を出て能島に来た。
「そっから今に至るわけで……太郎見てたら、なんか俺、あの頃の自分は寂しかったのかなぁと急に思ってよぉ……」
祖母に対して抱いていたような感情を、かつて義益に対しても抱いていた。
けれど、やはり表立って甘えを見せるわけにもいかず。
そして、彼は──。
急に武吉の頬を、花が摘んで引っ張った。
何をするんだと抵抗する武吉に、花はクスリと笑う。
「とりあえず、まずは太郎ちゃんの真似してみましょっか?」
「ちーうえ、ぎゅーッ!」
花の言葉に、腹の上の太郎が嬉しそうにしがみついた。
「きゅ、急にできるかぁーッ!」
武吉は真っ赤になって叫ぶ。
恥ずかしさで、ちょっとだけ熱が上がった気がした。




