第二十四話 隆景の弱点
「あーくそッ! よく見えねえッ!」
一方、こちらは大久野島の武吉たち。四人とも観戦に夢中になり、手がややお留守になっている。
能島側が鶴翼で小早川側を囲んだところまではわかったが、双方が固まって混戦状態になってからは、遠目からではよくわからなかった。
「ああ、通隆様……」
不安な義継が手を合わせて祈る。
しかし、心配しているのは義継だけ。
「もう少し様子がわかると思ったのですが……大崎衆や大三島に聞こえるようにと、戦場をあちらに寄せたのが少し仇になりましたね……」
「まぁ、本来の目的ではそれで正解なんですけどね」
しょんぼりと肩を落とす隆景に、吉充が逆だとツッコミをいれた。
「もうちょっとこう……こっちからだと……」
武吉が少しでも見えないかと一歩、前に進む。
その時だった。
「おわーッ!」
岬の先端、あると思っていた地面を踏み外し、武吉が崖を滑り落ちる。
大潮の──それも満潮を少し過ぎた時刻のため、水位が高いことは幸いしたが、武吉はそのまま海にざぶんと大きな飛沫をあげて転落してしまった。
「武吉殿!」
慌てて隆景が武吉を追いかけるように滑り降りる。
「あーもうッ! 義継殿! 貴殿は陸から回ってくれ!」
吉充も舌打ちしながら義継に指示して、落ちた二人を追いかけるように崖を滑り降りて着水した。
吉充が水面に顔をあげると、武吉を支えようと引っ張り上げつつ自らも沈みかけている隆景が見えたため、急いで二人に近寄る。
「コイツのことは俺に任せて。隆景様は先に陸へ」
吉充は岬の麓に広がる浜への上陸を促した。隆景は素直に頷き、武吉を吉充に預ける。
隆景も水軍を率いてはいるが、小早川水軍の実質的な大将は乃美宗勝であり──溺れた者の扱いは、因島村上家水軍大将の吉充の方が慣れていた。
しかし、怪我を負っているとはいえ、武吉がこうもあっさり溺れかけるなんて──と武吉に触れた途端、感じた違和感で吉充は叫んだ。
「お前ッ! 熱出てんじゃねーの!」
「う……」
水面から顔を上げ、ゲホゲホと咳き込みながら武吉は首を横に振る。
落ちた衝撃で発熱することもあるにはあるが、既にこの高熱、初めから出ていたと考えた方が腑に落ちる。
怪我を負っての満身創痍──まぁ、熱が出ない方がおかしな話だ。
「無茶しやがって……よッ!」
水の中ならともかく、陸に上がると小柄な吉充では大柄な武吉の体を支えきれない。
吉充はそのまま武吉を浜に転がした。大波がくると膝から下にまだ水が少しかかるが、満潮は過ぎているのでじきにかからなくなるだろう。
武吉の濡れた衣服を剥ぎ取った吉充は、自らも脱いで武吉の肌を温めるべく武吉に寄り添おうとした──のだが、先に陸に上がったにもかかわらず一人挙動不審な隆景を思い出して、声をかけた。
「こっちは大丈夫ですから。隆景様。ご無理はなさらず」
隆景が武吉のことを、心底心配していることは間違いない。
しかし溺れた武吉よりも顔面蒼白で、足腰立たず座り込んで震えるその男に、絶対無敵の軍師の面影はなかった。
吉充は一旦、脱いだ自分の着物を羽織る。濡れた衣服が張り付いて気持ち悪いが、不満を口にしている場合ではない。
「裸の……それも自分より大柄な男が怖いと、昔言っていましたね。でも、貴方の武吉を心配する気持ちは十分伝わります。なんで、無理はしないで」
ちと寒いかもしれませんが、貴方も風邪ひかないように影の方で着物脱いだら、しばらく目瞑っていてください。
つとめて明るく言う吉充に、隆景は無言で、這うように岩陰の方へ移動した。
◆◇◆
情けない。と隆景でも思う。
子供の頃の──人質時代の出来事なのに。
もう、十年以上前の話なのに。
けれど、忘れることなどできない。
夜な夜な大内義隆に組みひしがれる恐怖を。
身体を貫く痛みを。
「大内の殿から寵をいただけた」という事実のみを喜び──また妬み、誰一人隆景のことを心配することのない周囲に対する絶望を。
そして当時の毛利としては大変な栄誉であるはずの出来事を、心の底から喜べない自分を。
「……おぇぇ」
込み上げる胃液と嗚咽を吐き出して、隆景はぐちゃぐちゃな顔で濡れた着物に突っ伏した。
両手で肩を押さえつけてもガクガクと震えが止まらず、体に力が入らない。
恐怖が心を支配して、友人一人助けられない自分が、心底情けない。
最初から全て吉充に任せたほうが丸く収まったはずなのに、思わず飛び出してしまった上、武吉に対して何もできない考えなしの自分にも、辟易する。
そしてなにより、溺れた者の命を助ける為の行為であることはわかっているはずなのに、裸同士で寄り添う大柄な武吉と小柄な吉充が、最悪の過去と重ねて見えてしまうところが実に愚かで──。
「おえぇ……」
繰り返す自己嫌悪を示すよう、再度、隆景は嘔吐した。
◆◇◆
大久野島の騒動など知る由もなく、義直は件の男に木刀を振りかぶる。男は腕部のみ防具をつけており、小手であっさりと義直の攻撃を弾いた。
男はさらにそのまま義直の腕を掴み、投げ飛ばして海に落とそうとする。
「何者だ……貴様!」
身体を捻ることで勢いを殺し、体勢を整えて隣の船に着地した義直。邪魔する兵らをどちらの軍か確認するまでもなく海に蹴り落とし、義直は男の待つ船に戻った。
「……何者だ」
もう一度義直は繰り返す。
「小早川水軍、乃美兵部丞宗勝!」
高らかに名乗った男に対し、義直の気は高調する。
「村上次郎兵衛義直! 大将首もらったぁ!」
義直の名を聞き、宗勝は目を見開いた。
言うや否や木刀で襲いかかる義直に、宗勝は組手だけでその攻撃をいなす。
接触した拍子、宗勝は義直に問いかけた。
「宮島に現れた鵺とは、貴様だな?」
宮島に上陸し、宮ノ尾城を目指した陶軍の一部を壊滅させた謎の人物。
命名は見分の際の元春と隆家による冗談からだが、毛利の中では正体不明の化け物として噂になっていた。
「鵺? なんのことだ?」
宗勝に問われた義直が、何のことだか判らずに今度は眉を顰める。
その間、義直の木刀を宗勝がつかんだ。その力はとても強く、義直の力では、推しても引いてもびくともしない。
「訳のわからないことを、ごちゃごちゃと……」
木刀を何とかしようとする義直だったが、だんだんイライラと気が立ってきた。
「腹立つ野郎だ。もう一度、海に蹴り落としてくれるッ!」
言うや否や義直は木刀から手を離し、軽い身のこなしで宗勝の脛を蹴飛ばした。
そして、宗勝がよろけたところをすかさず肩から体当たりし、そしてそのまま、二人は船の上からざぶんと水飛沫をあげて落ちていった。




