第二十話 盟約
──義益の義兄上が亡くなったと聴いた。
自分は「そうなんだ」と単純に思っただけで、何の感情も湧いてこなかった。
でも武吉の義兄上はやつれるほど泣いて、しばらく部屋に引きこもってしまった。
余程辛かったんだろうなと思っているうちに、何日かした後、能島に一人の来訪者がやってきた。
するとその日のうちに隆重が牢に篭って出てこなくなってしまい、また武吉の義兄上の様子が前よりもずっとおかしくなった。
すごく気を張り詰めていて、なんだかものすごく怒っているみたいなんだけど、すぐにまた泣きだしそうな感じもして──。
「今はあの人のこと、しばらくそっとしてあげて頂戴。通隆」
花姉上にそう言われて、来訪者の接待やら義兄上の気遣いやらであたふたして手の回らない他の大人たちの代わりに、ずっと太郎の相手をしていたけれど。
本当は、義兄上の力になりたいと思っているのに何の手助けもできず、「俺にできることがあれば、なんでも言って」と、口に出せない自分がとても歯痒かった。
何もできない役立たずの自分が、とても情けなく思ったんだ──。
◆◇◆
「いかにも、我は村上次郎兵衛義直。我が通隆様のお心を惑わす愚か者を成敗しに参った」
武吉を無表情で見下ろす通隆──否、義直の冷たい視線。
首に絡む指の力は強く、武吉の気道を今にも潰しかねない。
何故、戦場でもないのに、義直が──気が遠くなりながらも武吉は懸命に考えた。
そして、実のところ自分でも意図していなかったのだが、不意に武吉の口から言葉が漏れる。
「通隆は……無事、か……?」
途端、手を離した義直に頬を拳でぶん殴られて、武吉は床を転がった。
義直から離れたおかげで一気に気道に酸素が入って、武吉は盛大にげほごほと咳き込む。
「当たり前だッ! 通隆様は我がお守りしているのだッ! その身、その魂は、我が傷一つつけさせぬッ! それなのに貴様がッ!」
武吉の腹を、思いっきり義直が蹴り飛ばす。そして仰向けに倒れた無抵抗の武吉を、何度も何度も踏みつけた。
表情の薄かった先程とは打って変わって義直は眉をつりあげ唇を噛み締めて、憤怒の形相で武吉を睨みつける。
義直本人に自覚は無いようであったが、怒れる彼の目尻から、微かにポロポロと涙が溢れていた。
涙の主が精神なのか肉体なのかは判らないが──あぁ、これはまるで、子どもの癇癪だなと、咳き込みながらも思わず武吉に笑みが溢れる。
能島城に居るはずなのに、武吉はここのところ自分のことばかりにかまけており、久しく通隆の顔を見る機会がなかったのだ。
時々、あの三線の音が聴こえていたような気はするが、武吉の方が思いっきり切羽詰まっており、義益の身に何が起こったのか、今能島がどのような状況に置かれているのか等、一切説明せぬまま通隆のことを八日もの間、完全にほったらかしにしてしまっていた。
それなのに。
── 我が通隆様のお心を惑わす愚か者を成敗しに参った──
きっと心根の優しい通隆のことだから、武吉のことを心配して、心配して──どうにもできない通隆を責めてしまっていたのだろう。
その通隆を内から見ていたであろう村上義直が、今の状況は決して通隆のせいではないと怒り狂って出てきてしまうほどに──。
「お手を……お手を煩わせて、申し訳ない……義直殿」
咳き込みながら、武吉はよろめきつつもゆっくりと床に両膝をつき、義直に向かって額を床に擦り付けるほど頭を下げた。
「全て、この村上掃部頭武吉の、不徳のいたすところ故……お許し頂きたい」
鼻か、口か──切れたところから、ボタボタと血が床に滴り落ちる。
息をするたび、武吉の喉からヒューヒューと笛のような音が漏れ出てくる。
身体中激痛が走るが、これは、治りかけていた骨折が、また折れたかもしれないな──と武吉は自嘲した。
だが、しかし──。
「貴様、謝る相手が違うであろう?」
冷ややかなる義直の正論に、武吉は首を横に振る。
「もちろん、通隆にも心を込めて直接謝りまする」
怪訝そうな義直に、武吉はすぐに返答した。
── そんなモン近づくのも無理に決まってるでしょォッ! 死ぬ気ですかアンタぁッ! ──
酒の場ではあるが、元々義直と対話をしたかった武吉に、義直の実兄である義継は、それは無理だと否定をした。
しかし現状、義直の機嫌はすこぶる悪いし、殴られすぎて武吉の意識も飛びそうだが、義直はなんとかギリギリのところでこちらの話を聴いてくれている。
彼が自ら名乗るように主人を護るために取り憑いた村上義直の亡霊なのか、それとも義直の死を受けとめきれずに自らの内に作りだした義直の意識をそれと思い込んでいるだけの通隆なのかは、武吉にとっては些末なことであり──とにかく義直に話を持ちかけるなら今しかないと思った。
「盟約を……通隆と来島を護るために、俺と盟約を結んでいただけないだろうか。義直殿」
「………………はぁ?」
突拍子のない武吉の提案に、義直は胡散臭そうなものを見るように目を細めた。
◆◇◆
「つまり、貴様は我のせいで通隆様のお立場が、悪くなっていると言いたいのか」
あ、もう一回殴られるなコレ──と武吉は覚悟したが、意外なことに義直はそのまま無言で考え込んでしまう。
武吉は恐る恐るだが、義直に進言した。
「ひとまず来島の家臣団は、義直に殺されるんじゃないかと皆戦々恐々なんだよ。頭領は強いにこしたことはないが、敵味方構わず皆殺しにしてしまうのは大変よろしくない」
「……うむ、なかなか難しいが……善処しよう。我のせいで通隆様の評判を下げることは本意ではない」
あ、意外と話、通じそう。
義直は、通隆がおかれている現状を初めて把握したようで──困ったように眉を顰める義直を見て、武吉の顔が綻んだ。
しかし、相反して義直の表情は渋いままで──。
「ただ、実際の戦場では、真に誰が敵で誰が味方かわからんぞ? なにせ生前の我を斬って首を落とした輩は、来島の紋のついた鎧を纏っていたからな」
義直の言葉に、武吉はドキリと心臓が脈打つ。
わなわなと震える武吉の様子など気づいてないようで、淡々と義直は続けた。
「まぁ、所謂戦場で死んだ者から拾って回った寄せ集めの鎧だろうが……近づく者を手当たり次第先手必勝で仕留めた方がやはり間違いはないと……おい! 何をするッ!」
急に武吉に飛びつかれ、義直は抵抗した。
先ほどのように、拳を顔面に叩き込もうとしたところで──。
「あああああ、怖かったよなぁ! さぞ痛かっただろうに!」
義直の言葉が義益の遺体と被り、傷だらけで血まみれの義益の姿を思い出してボロ泣き状態の武吉に抱きしめられ、拍子抜けした義直は抵抗を諦める。
「……あれだけ殴った後だ。お前も今、めちゃくちゃ痛いだろうが」
無理をするんじゃない──。そう言って、義直は武吉にデコピンをお見舞いした。
「ともかく……通隆様をお守りする盟約の件は了承した。通隆様の為になるのなら受け入れよう」
だが。と語尾を強め、義直は武吉に詰めよった。
「次は無いぞ。また通隆様を困らせるようなことがあれば、お前を殺す!」
呼び方が『貴様』から『お前』になっていることに、果たして本人が気がついているのかどうかはわからない。
しかし、心の距離がちょっと近づいた気がして武吉は嬉しくて思わず「うん」と笑ってしまい、義直が気持ち悪い物を見るかのように、物理的に武吉から距離をとった。




