第十九話 天文二十四年四月八日 能島からの手紙
「これは……」
毛利隆元がどっと疲れたように目頭を抑えて言葉を失う。
「彼奴は……ふざけとるんか……」
宍戸隆家が怒りで肩を振るわせる。
「……」
吉川元春はその手紙を、無言で何度も見返えした。
唯一、その手紙を持ってきた小早川隆景だけが、ニコニコと機嫌よく笑っている。
「どういうつもり……なんじゃろうのぉ。能島の村上は」
手紙の内容とは、ちぐはぐな表情の隆景の様子と他の兄弟らの様子を見比べながら、彼らの父である毛利元就は思案する。
「先日なにやら厳島で騒動があったらしいが、大して交流のない毛利に、前に口約束をしたとはいえ手切れの手紙をわざわざ送ってくるとは、ただの阿呆……ではあるまい? さすがに」
「父上! そうです! そこなんです!」
隆景は膝を打って立ち上がった。
武吉からの手紙には、先日の厳島での礼と、しかしながら故あって今回は大内方に加勢するということが簡潔に記載されている。
文面だけならそれ以上でもそれ以下でもなさそうではあるが、隆景は嬉しそうに、それでも自ら率先して答えを言わず、皆が武吉の真意を読み取るべくあーでもないこーでもないと思案にくれる様子を心待ちにしながら眺めていた。
元就としては、能島の頭領のやりたいことは現時点でよくわからんが──我が子の中で一番頭の回転が早く、かつ慎重であるこの息子が、彼にずいぶんと入れ込んでいて大層気に入っているようだということだけは理解した。
とにかく息子を見る限り、この手紙が毛利にとって悪い話ではないのだろう。非常に判断しづらい状況ではあるが。
「あ、ちょっとこの手紙、借りていいですか?」
何かに気づいたらしい隆元が、確認するように手紙に鼻を近づけた。
そしてまじまじと見つめると立ち上がり、武吉の手紙を蝋燭に近づける。
はたして。
「微かに季節外れの蜜柑のいい香りがしましたので、もしかすればと思いきや……能島殿からの、追記を発見いたしましたよ」
「お見事です! 兄上!」
手紙の余白部分に隠されていた、武吉の手紙の続き。
炙ったところが焦げて茶色く浮かび上がった文字には、「自分が見たままを、双軍正直に報告する」と短く書かれていた。
元春が「どういうことだ?」と言いたげに首を捻る。
何となくではあるが、この中では限りなく正解に近い部分まで察しているらしい隆元は、しかし……と眉間に皺を寄せた。
「朧げではありますが、彼がやりたいことはわかった気がしました。……でも彼、あまり腹芸が得意な方じゃないでしょう? 性格的に」
大丈夫ですかね……と首を捻る隆元。
「確かに、非常に解りやすい性格をしておりますね」
隆景は「ゆえに」と笑う。
「見たままを双軍正直に報告する。ということですよ。その言葉の真意を予め知るこちら側は、秘匿することも、あえての誤情報を能島に与えて大内方を混乱させることも可能というわけです」
もちろん、あからさまな嘘は見抜かれますので、こちらの技量も試されますが。
隆景の言葉に、なるほどと元春が深く頷いた。
「勇猛果敢で派手好きな能島が、よりにもよって毛利の間者を買って出るとは、まさかの大内どころか瀬戸内中、誰も思わぬというわけか」
元春の言葉に、ガハハと豪快に隆家が笑った。
「なるほど面白い。能島殿には戦が終わった暁には、是非とも一献お付き合いいただきたいものだ」
「でしょう? 実に面白き男なのです!」
隆景が得意そうに笑った。
「そんなわけで、父上。隆元兄上。お願いがあります」
隆景は真面目な顔をして父に向き直る。
「能島と毛利が敵対している旨を周囲に広める為、実戦形式での模擬戦の約束を取り交わしました。そのため、その後に必要になる船を新たに作りたいので、手配していただきたく」
「その後……ですか? 模擬戦の時ではなく?」
隆元が首を傾げる。
隆景は嬉しそうに「はい」と答えた。
「模擬戦の際に壊した船は、互いに弁償ということになりまして。小早川としては万事手を抜くつもりはさらさらございませんので、この際能島の船全て、毛利製にしてしまうくらいの勢いで攻めてしまおうかと……」
隆景当人としては、大好きな武吉に贈り物を渡す程度の感覚なのか──目に見えてウキウキワクワクが止まらない隆景に、隆元は「ちょっとお待ちなさい」と慌てて制止させる。
「おちつきなさい隆景。せっかくお味方してくれるのに、能島殿にご迷惑をおかけしてはいけないよ……」
「……毛利もそんなに蓄えがあるわけではないから、その辺は程々にして欲しいもんじゃがのぉ」
元就も頭を抱え、ため息を吐いた。
じゃが、まぁ──あの気難しい隆景を、ここまで夢中にさせるとは。
「村上武吉か……いやはや、どんな男じゃろうかのぉ……」
後の中国の覇者は、白が混じった髭を撫でながら、これまた面白そうなものを見るように目を細めた。
◆◇◆
はぁぁぁぁ。慣れぬ頭脳労働に疲労困憊。武吉は大きなため息を吐いた。
大内の弘中隆兼と対面して三日。
その間、どこから嗅ぎつけてきたか因島を伴い弔問と称してやってきた隆景に、「お前の兄貴に渡してくれ」と件の手切の手紙を一方的に押し付け、これからの能島の方針と、敵対するフリをするための模擬戦の約束をして帰ってもらった。
隆景ならこちらから何も言わなくとも、炙り出しの仕掛けに気づくだろう。そこを踏まえてたぶん隆景は隆元にちゃんと渡してくれるだろうとは思う──のだが、まさか毛利家全員に読まれたとは思いもしない武吉であった。
とにかく、毛利側にこちらの方針は伝えた。納得してもらえるかどうか不安な点は多々あるが、ひとまずできる限りの手は打ったつもりだ。
なので、次は──。
(叔父上の、処断をどうするか……)
隆重が義益のことを殺したいほど恨んでいたことは武吉だって知っている。
さらに義益が武吉の父を騙し討ちで殺したことも、実は武吉はとうの昔に知っていたのだが、隆重自身は武吉本人に、今でもずっと隠したままにしていたのだった。
(そういうところは昔から優しいんだよな。あの叔父上は)
はぁぁぁぁぁ──と、再度武吉はため息を吐いた。
しかし、たとえ武吉に対する配慮であろうと「義益を殺さない」といった頭領の方針を無視したうえ、他家の命令で勝手に義益を殺した隆重を無罪放免で、何事もなかったかのように扱うわけにはいかない──のだが。
(飲まず食わずで地下牢に立て篭もるって、普通こちらが命じる奴だろソレ……)
武吉は頭を抱え、今日も自棄気味に酒を一気に煽るように飲んだ。
曇り空の隙間から、微かに星が瞬いている。
隆重は自発的に牢に入り、以降三日三晩食事を一切受け付けていない。
頭領権限で牢から出てくるように命じたり、普段は大島にいる叔父の妻や息子を能島に呼び寄せて出てくるように説得させてはいるが、今のところ全く効果は無かった。
(いや、なんかもう……頑固過ぎるというか、自制心強すぎだろ……)
そんな時だった。
突然戸板をぶち破り、何かが部屋に飛び込んで武吉に飛びかかる。
「んなッ!」
武吉は背中と後頭部を打ちつけて、ぐらぐら揺れる視界の先に居る何かを凝視し、目を見開く。
「通隆……?」
通隆の細い──しかし随分と皮膚が硬くなった両手の指が、武吉の首をぎゅうっと締め付ける。
いつもの穏やかな通隆の表情とは違う、無表情で放たれるこの殺気に武吉は身に覚えがありすぎて──。
しかし──戦場ではないのに、何故──。
「義直……殿?」
武吉の問いに、通隆がニヤリと笑った。
「いかにも、我は村上次郎兵衛義直。我が通隆様のお心を惑わす愚か者を成敗しに参った」




