断章(前) 天文二十四年三月二十二日 義益の遺言
三島会議の日の翌朝──武吉があの綺麗な朝焼けの空を義益と眺めたあの日の出来事。
お開きとなり、それぞれの島からの迎えの船に酒の臭いが残る武吉、義継、吉充の三人が乗るのを見送って、一人島に残された義益はゆっくりとした足取りで屋敷に戻った。
「やあ、久しいね。義益殿」
船着場の反対側からこっそり上陸して様子を見ていたであろうその人は、持参したであろう敷物を庭に敷き、ゆったりと優雅に座りながら、散り始めた庭の桜を見上げていた。
「なかなか風流で良いお庭だ」
「手入れが行き届いていませんが……それでも、その山桜は気に入っております。隆景殿」
隣に失礼を。と、義益は座る。
隆景は気にした様子もなく「団子でもいかがかな?」と義益に持参した土産を差し出した。
「こちらからお呼びしたのに、わざわざお土産まで……申し訳ございません」
義益は隆景から団子を受け取り、そして家の中の下働きの者に白湯を二人分持ってくるように呼びかける。
「あの者らから隆重殿に、私が中途島に来たことを、報告されてしまうのではありませんか?」
あくまで心配そうに言葉を口にした隆景に、義益は「問題ありません」と首を横に振った。
「その報告が隆重殿に届くまでには、きっと私の命は尽きているでしょうから」
初めて隆景の表情が変わる。
「そんな顔をしないでください……単刀直入に。貴方にお願いがあってお呼び立ていたしました」
義益は深々と隆景に頭を下げる。
「中途衆を……いえ。我が率いる能島水軍を、小早川水軍に一時お預けします」
隆景は何も言わない。しかし、義益の真意を確かめるよう、目を細めて傾聴した。
頭の柔らかい従弟は全くもって気にしていなかったが、ことは今でもそう簡単には解決できていない。
嫡流である義益派と、幼い武吉を旗頭に掲げた傍流隆重派の真っ二つに別れて戦った能島の内乱。
義益の一派のほとんどが粛清され、また武吉が正式に頭領になったことで元は義益派であっても彼に従うようになった者たちがほとんどであったが、今でも嫡流にこだわり、一部狂信的に義益に従うせいで、能島の中でも『中途衆』と呼ばれて爪弾きにされるあぶれ者たちがいた。
中途衆と現在の能島水軍との溝は深く、義益が武吉に従えと命じたところで言うことを聞くとは思えない。むしろ騒動を起こして、またもや小規模な反乱になる可能性の方が高い。
「あの者らが、頭を冷やす時間があればとは思っていましたが、ことはそう、上手くいかないものですね……」
関船一艘動かすのがやっとの人数ではありますが、中途衆も能島村上は能島村上なのです。と義益は主としてはっきりと言った。
「自分が死ねば、誰が真なる主人かあの者らもいずれ理解することでしょう」
「……貴方は、自分が生き残る道を考えないのですね」
隆景の言葉に、今度は義益は首を横に振る。
「そうですね。あの従弟が……あの武吉が心底嫌な人間であればと、どんなに願ったことでしょう」
義益にだって、嫡流であるという矜持は持ち合わせている。
いくら体が弱くても泳げなくとも、血反吐を吐きながらでも鎧を纏って戦う覚悟は持ち合わせているし、実際に過去の内乱時には、そうやって大将として戦った経験だって義益は何度もあったのだ。
それでも、幽閉という処遇を現在甘んじて受け入れているのは──。
「頭領の……いえ、人間の格が、違いすぎるんですよ……武吉は」
武吉本人は「突飛で理解不能な遺言」と言い切って頭を抱えていたが、村上通康が娘を二人嫁がせてまで自分の後継にしようと狙っていた気持ちが、自分にはよくわかる──と、義益は目を細めて思い出した。
泥沼のあの内乱終盤に、初めて会った八歳下の従弟。
あの頃はまだ十代半ばで──今の来島の通隆殿と同じくらいだっただろうか。
敗戦の将として死ぬ覚悟を決めていたのに、敵対していた自分の命を「体が弱いんだったらわざわざ殺さなくてもそのうち死ぬだろ」とよくわからない理屈で助けた時はさすがに唖然としたが、梅と義益の関係を知った時はその日のうちに小早を走らせてボロ泣きしながら中途島まで土下座しにくるし、それ以降、なんだかんだと理由をつけては、ちょくちょく此処に笑いながらやってきた変な男──。
そして何より、義益の犯した大罪を、笑い飛ばして赦した男──。
「自分には、彼奴のような生き方は、到底できません」
そう。殺すか殺されるかの二択しか頭になかった自分に、全く異なる解決方があることを示したのは武吉だった。
「彼奴と過ごしたこの四年は、とても、愉快な余生でしたよ」
あぁ、でも──。義益の両目から、ぽろりと涙の粒が溢れた。
── では、あの子が泳げるようになったら、是非会わせてください──。
「どうして、出来もしないあのような約束を、私はしてしまったのでしょうかねぇ」
大内は必ず、近いうちに目障りな自分を殺しにくる。
先日、厳島を攻めきることができなかったが故に。
そして疑惑の忠臣、栄良房栄を殺さねばならなかったが故に。
かつて敵対した者が、現在敵対している者と一致団結して自分たちと敵対しないよう力を削ぐために。
そう──理解していた筈だったのに。
「きっとこれも、武吉のせいですね」
溢れる涙のまま、義益は笑った。
あぁ、自分はきっと、『もしも』という、息子に会える幸せな『夢』を、諦めたくなかったのだ──。
◆◇◆
四月一日。
月の無い朔の夜。
「貴方のことです。自分の手を汚さずに、てっきり部下に丸投げすると思っていましたよ」
わざわざ貴方自身がお越しになられるとは。と、皮肉たっぷりに義益は招かれざる客を睨んだ。
「大内に、私を殺せば厳島周囲での駄別安堵を認めるとでも言われましたか?」
大きな尻尾を振っているのが見えますよ。と、さらに嫌味のダメ出しで追撃をする義益を隆重は「ほざけ」と一言で一蹴する。
「それは確かにその通りじゃが、元々ワシにとっちゃあ、お前は仇以外何者でもないからのぉ」
対峙する隆重は、室内でも小回りがきくよう、少し短めの刀を握る。
「武吉のヤツも、なんでお前なんかを生かしとくんだか……」
同じ甥である筈なのに──隆重は武吉に対してとは真逆の、憎悪の感情を義益に向けた。
「そこが、貴方が頭領になれない所以ですよ」
そんな隆重を、義益は鼻で嗤う。
叔父と甥とはいえ、義益と隆重の年齢差はわずか四歳であり、ほとんど同年代といっても過言ではない。
「ほざけ義益! 今日こそ引導を渡してくれるわッ!」
怒りで隆重の手が震え、刀がカタカタと小さく音を立てた。
「我が父上の……そして兄上の仇! ここで討たせてもらうッ!」
激昂する隆重に対して、義益は静かに目を閉じる。
覚悟せいやッ! 隆重が大きく吼えて、刀を義益に大きく振りかぶった。




