第十七話 遥けき恋心
「だぁかぁらぁー! ちょいと義直サンに出てきてもらってぇ、穏便に話つけちまえばどうなんですかねぇ義継のお兄様ヨォ!」
「そんなモン近づくのも無理に決まってるでしょォッ! 死ぬ気ですかアンタぁッ!」
ぐだぐだに酔っ払った三島村上の一同四人。
顔を真っ赤にべろべろに酔っ払った武吉と義継が土器片手に怒鳴り合う。
なお、煽るだけ煽って皆に酒を飲ませて回った吉充は現在うとうとと舟を漕いでいるし、元々酒に弱い義益は、一人だけ早々に横になってスヤスヤと寝息をたてていた。
「でもヨォ、アンタら来島が恐れてた通隆が義直なら、アイツを大人しくさせないと、来島殿にはずーっと生きててもらわなきゃいけなくなる」
そいつは無理な話だって、お前にも解っているだろッ?
武吉の指摘に、痛いところを突かれた義継は「うっ……」と小さく口籠る。
「俺だってさぁ、いつまでも来島殿の身代わりをできる訳じゃ無い……今回なんとかあの雑な言い訳で毛利側には納得してもらえたが、このご時世、何が起こるか本当にわからんからなァ」
あの厳島で、大内軍との返答に失敗したことを内心気にしていた武吉は、ぎりっと小さく歯噛みした。
義直との戦闘で左腕を骨折したのは間違いないが、あのタイミングで義直が出てこなかったら、死んでいたのは武吉と通隆の方だったかもしれない。
「しかし、あの状態の通隆様が、大人しく話を聴いてくださるとはとても思えませんが……」
義継はあくまでもあれは通隆であり、義直ではないと言い張る。
生前の義直の為人を武吉は知らないし、また一人っ子であるためそのあたりの感覚は何とも言い難くはあるのだが、長く一緒に成長した兄の直感というものなのだろうか? と武吉は考えた──が。
「あー……酒切れちまった」
武吉はよろけながら立ち上がる。
「どちらへ?」
義継の問いに、短く「厨」と武吉が言った。
「追加の酒ねーか探してくるわ」
「無いと思いますけどねぇ」
義継は、気持ちよさそうに眠る義益を見る。
生まれついて体が弱いこともあるが、昔から酒にも弱い体質の義益が飲んでいるところを、義継は今までほぼ見たことがなかった。
「まぁ、ダメ元で探してくるわ。風にも当たりたいし」
「わかりました。程々で帰ってきてくださいね。この屋敷の管理が貴方の管轄であったとしても、あまり散らかさないように」
だんだん説教じみてきた義継から逃げるように、武吉は部屋の外へ出て行った。
◆◇◆
蝋燭片手に厨を一通り漁ってみたのだが、やはり酒はでてこなかった。
残念──とため息を吐いたその時、勢いをつけすぎたか、締めた棚の上から振動ではらりと紙が一枚落ちてきた。
「何だコレ」
手紙? 拾い上げた文字を見て、思わず固まる。
(梅……?)
見慣れた文字よりやや幼く拙い感じがするが、それは武吉の最初の妻、梅の書いた手紙だった。
懐かしさと同時に、武吉の心に後ろめたさが込み上げる。
暗がりの中、戸棚の上をさらに手探りで調べると何通もの手紙が出てきた。
それは全て、従兄殿に宛てられた梅の手紙で、内容は些細なことながら、全て義益の体を労わる内容であった。
解っていたことだったのに──酒のせいもあるだろうか、武吉の目からボロボロと涙が溢れてくる。
梅は活発な花とは違い、静かで凛とした美しさの女性であった。
武吉より三つ年上で、武吉にとっては一目惚れで──当初は全く彼女側の事情を知らず、こんな美人を妻に迎えれたと舞い上がっていた自分が何と愚かであったか。
しかし、彼女にとっては、武吉は二人目の夫になり──最初にて最愛の夫、義益と離縁させられての婚姻だったことを武吉が知ったのは、太郎の懐妊が判明した時だった。
「……くっそ、やっぱり強がってやがったな………梅のヤツ」
手紙の中の梅は、自分が見たことないほど感情豊かで、幸せそうで──。
そして義益もまた、幽閉先のこの屋敷にその手紙をこっそり持ち込んで、人目の見えない場所に隠すほど大切にしていることから、彼女のことを今でも忘れられずに思っているのだろう。
涙はとめどなく溢れてくる。
武吉は居た堪れなく、その場を後にした。
◆◇◆
「まったく、義継殿に散らかすなと言われたのでしょう?」
日が昇り始めた中途島の海岸にぼんやりと寝そべる武吉に、杖をつきながら義益が近づく。
「……怒らないのかよ」
「全て、私の不覚です。あんなところに置いておいて、隠した気になっていた自分に腹は立ちますが、貴方を怒るのは筋違いとも思いますよ」
泣き顔を見られないよう、不貞腐れるように顔を背けた武吉の隣に、義益はまったく気にした様子もなく座る。
「……私、彼女を看取ってくれたのが、他でもない貴方でよかったと本心で思ってますよ」
突然の義益の言葉に、思いもよらなかった武吉は思わず驚いて起き上がった。
「だってずっと、自分が彼女に看取ってもらう側だと思っていたので。彼女が先に逝ってしまうなんて考えてもいませんでした。だから彼女の死顔なんてみてしまったら、きっと自分は産まれた子をほったらかして、その場で死を選ぶしかなかったでしょうね」
ねえ。と義益は涙の止まらない従弟の頬に触れる。
「貴方と彼女の息子は、大きくなりましたか?」
突然の義益の問いに、武吉は息を呑んだ。
どう答えるか、少し迷って──。
「……ああ。正月で三歳になった。ずいぶん歩けるようになって、通隆をお供に能島城内を探検してるよ」
武吉の言葉に、義益は無言で──それでいてとても満足そうに頷いた。
対して武吉は何度も何度も躊躇いながら、それでも義益に問いかける。
「なぁ、いつかあの子を、此処に連れてきていいか?」
お前の元に……。
武吉の問いに、義益は目を細める。
「そうですね……では、あの子が泳げるようになったら、是非会わせてください」
「え……」
何故? と疑問に思う武吉に、義益は「ここだけの話ですが」と人差し指を口に当てる。
「私、泳げませんから……だから、自分が昔から憧れていたというか……能島村上に生まれた頭領の子として、元気にこの瀬戸内を泳いでいるところが見たいんですよ」
でも──。
「貴方のような父がそばにいるなら丈夫に育つでしょうから、きっとすぐ泳げるようになりますね」
楽しみにしていますよ。義益はそう言うと、虹のように様々な色の雲が重なり合う朝焼けの広がる多島美を見ながら立ち上がり、「あぁ、綺麗だね……」と笑った。
そんな従兄の様子を見て武吉は何か少しおかしいとなんとも言えない違和感を覚えたが、しかし、その今にも消えてしまいそうな笑顔が、なんだかすごく儚げで、綺麗で──武吉は何も言えなかった。
そして、後悔した──。
能島村上家および中途衆の頭領、村上宮内少輔義益の訃報が武吉の元に届いたのは、十日後の四月二日のことである。




