第十四話 安堵の涙
「なんだと! 城攻め部隊が総崩れだと……!」
大内の栄良房栄は、船の上で困惑していた。
毛利は厳島の宮ノ尾城で籠城の構えを見せていた。故に、海側からひたすら矢を射掛け、その間に背後二箇所から攻撃する手筈となっていたのだが。
肝腎要の山側からの挟撃隊の一つが原因不明の壊滅をし、宮ノ尾城を最後まで攻めきることができなかったとのこと。
中には「化け物が現れた」などと言い出す者もいて、どんどん士気が下がる始末。
神のおわす島に、化け物なんぞいるわけがない。
しかし、部隊壊滅もまた事実──。
「致し方ない、今回は撤退といたそう」
天文二十四年三月十五日の夕刻、房栄は兵を全て引き、岩国に戻っていった。
そして翌三月十六日、栄良房栄は三十九年の生涯を閉じることとなる。
その死因は、実は毛利に通じていたのが陶にバレたため、またはそういう噂を故意に毛利元就に流されたため──後世の歴史書や物語においてそのように書かれているが、ともかく陶晴賢と毛利 元就が仲違いした原因となった旗返城の城代であった彼は、岩国の琥珀院という場所で、陶晴賢の忠臣、弘中隆兼によって誅殺されたと史実では語られている。
◆◇◆
ああ、また此処か。
通隆は白い霧の立ち込めた場所に一人立つ。
初陣の時の伊予の山の風景に近い気がするが、ここが本当はどこなのかはわからない。
そして──。
「義直……」
抱える首を、通隆は抱きしめた。
しかし、何かしら違和感を感じて、通隆は恐る恐る首を見る。
いつもなら、血に塗れた乳兄弟の首がそこにあるはずであった。
しかし、その首は──。
◆◇◆
「あ……あぁああぁああああああああぁあああぁあッ!」
錯乱する通隆を、誰かが力一杯押さえつけようとした。
「落ち着いてください! お連れ様は……お兄様はご無事です!」
若い男の声を聞いて、通隆がぐったりと脱力する。
荒い呼吸を落ち着かせるよう、大きく息を吸っては吐くを、何度も何度も繰り返した。
「ここ……どこ……?」
「宮ノ尾城でございますよ。運悪く大内軍に鉢合わせし、襲われたとお兄様が駆け込んでらっしゃいまして、大内退却後、お二人を保護いたしました」
えっと──。
「あに、うえ……?」
「お! 目が覚めたか?」
部屋に入ってきた明るい武吉の声に、先程の見たはずの武吉の生首を思い出して、通隆は思わず飛び起きて、尻をついたまま悲鳴をあげて後ずさった。
「なんだよ。その反応」
「義兄上……いき……てる……?」
本当に……? 信じられない様子で大きく目を見開いたまま首を傾げる通隆。
大内兵に斬られた頬の傷の他に、顔や腕などところどころ打ち身で青くなり、左腕を布と板で固定していたが、武吉は本当に元気そうだった。
恐る恐る近づく通隆に、武吉は右手を伸ばして触れる。
「ほら、生きてるぞ。大丈夫だ」
武吉は笑って通隆の頭をぽんぽんと叩いた。
安心したのか、通隆の表情が崩れる。そのまま涙でしゃくりあげながら武吉の胸元に顔を押し付けた。
「あー、怖かったな。うん、怖かった」
もう大丈夫だぞ──武吉はしばらくそのまま通隆の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、通隆が落ち着くまで何も言わずに支えた。
◆◇◆
「やーれやれ……身内を名乗る誰かが大怪我で保護されたと聴いたんで、大急ぎで来てみれば……」
武吉と顔を合わせたとたん、「お前かよ」と言いたげな呆れ顔の吉充。
「身内で間違いないだろ」
「もー。ほんっとうに都合のいい時だけ身内面するよねーコイツぅー」
ものすごく嫌そうな顔をしつつ吉充が台詞棒読み口調で怒りながら笑う。
さらにそれを見た武吉が「器用だな」と余計なひと言を言ったせいで吉充からデコピンをお見舞いされるハメになった。
「あの、お知り合いで間違いないようですが……」
武吉の話を聴いて報告の手紙を吉充に送ったらしい宮ノ尾城の者が、一連のやりとりを見て不安そうに口を開いた。
「あー、能島の頭領と、来島の次期頭領ですよ」
「えッ……」
吉充の言葉を聞いたとたん、周囲の人間の顔色が変わり、一瞬場の空気が固まる。
そして素早く数人の男らが武器を構え、武吉を囲んだ。
「ちょッ……待て、たんま! なんでッ?」
「なんでって……能島の。お前大内方だろうが」
──はい? 武吉が本気で狐に摘まれたような顔をする。
「いや……能島中立。そりゃ、報酬付きで頼まれりゃ大内相手に仕事するけど、別に両手を挙げて無条件で大内に味方しているってわけじゃない……」
「まぁ! それは本当ですか?」
今度は誰だよ──声のした方を見て、武吉は思わず「うげッ……」と呟き後悔した。
「また会いましたね。隆重殿」
「……バレてんだろ? 嫌みだな宗勝殿」
引きつる笑顔の武吉の言葉に、隆景は満足そうにニコニコと笑った。
「宮ノ尾城の被害状況を確認しに来てみれば、まさか貴方がこんなところにいらっしゃるとは思わず。私、いつか貴方とゆーっくりじーっくりと、能島と小早川の将来についてお話ししたいと思っていたのですよ」
怖い怖い怖い怖い。
邪気のない穏やかな微笑みにも関わらず、隆景の放つ言葉が色々な意味で怖すぎて、武吉の両腕に鳥肌が立った。
絶対将来能島潰されるやつじゃん! その言い方!
「隆景。相手は怪我人なんですから、そのくらいにしてあげなさい。ほら、皆も物騒なもの、今すぐしまって!」
泡吹いて倒れそうな武吉に助け舟を出したのは、見たことのない上品な物腰の男だった。
顔や雰囲気が少し隆景に似ている気もするが、もっと素直な印象を受ける。
解放された武吉は座り込み、一息つく。通隆がおろおろと不安そうに駆け寄って、ぎゅっと武吉にしがみついた。
助けてくれた男を見上げ、武吉は問いかける。
「えっと、どちらさん?」
「私の長兄です」
隆景の一言に、再度武吉の気が遠くなった。
隆景の長兄イコール毛利隆元。つまりそれは、毛利の現当主──。
「あ、ちなみに今この場にはいませんが、もう一人の弟と義理の弟も厳島には来てますよ」
「……倒れましたね。能島の」
確か前もあったなこんな状況。と吉充が小さくため息を吐いた。
◆◇◆
宮ノ尾城から少し離れた山の中。
日が真上に登る少し前、武吉と通隆が保護されたあの場所に、複数の人影があった。
毛利元就の次男──隆景の次兄、吉川元春は、そのままにしておくと穢れの元になる故、荼毘に伏すため散らばる死体を集めている城勤の者たちに問いかける。
「死体の数は?」
「確認できただけで十四体です」
死体の傷は致命傷のみ。無駄な傷が一つもない死体が十四。
「確かに、これは化け物じゃなぁ」
「義兄上、不謹慎ですよ」
何やら楽しそうに笑う宍戸隆家に、元春が釘を刺す。
「いやぁ、化物退治も楽しそうじゃないか! 後世の絵物語で『鵺退治の隆家』みたいに! ワシも千里眼の小早川みたいな呼ばれ方してみたいッ!」
「それ、隆景に直接言ったら笑顔で絶交されるんで絶対に言わんでくださいね」
面倒臭いんで。と付け加える元春に、えーっ。と丸顔の頬をぷっくり膨らませて隆家が拗ねる。
そんな義兄をひとまず置いて、元春は足元に散らばる何かを拾い上げた。
「なんじゃそれは」
隆家も一緒に覗き込む。
「刀……刀の破片、ですかね……」
ものすごい力で抉れるような跡が残る、折れた刀の破片。
「義兄上……この近くに、本当に化け物がいるかもしれませんよ?」
「は……ははは……何を馬鹿なことを……」
先程とはうって変わって、空元気を装った乾いた笑いの隆家に対し、元春は大真面目で刀の破片を見つめていた。




