第十一話 天文二十四年三月九日 嵐の前の静けさ
「ねぇ義兄上! 今日も栄から手紙が届いたよ!」
バタバタと足音を立てて駆け寄る通隆に、武吉は「ほー、そりゃようございました」と苦笑いを浮かべながら応える。
あの祝言の日から約三ヶ月。
依存先が父親から栄姫に移ったと言ってしまえば露骨で身も蓋もないが、しかし、通隆も随分と明るくなったと思う。
しかし──。
(えらく静かなモンだよな……)
村上通康の影武者をしていた自分を見抜いていた──少なくとも、あの場にいたのは通康ではないと気づいていたはずなのに、小早川隆景や毛利からの接触はまったくない。
吉充は相変わらず暇つぶしの為に時々揶揄いに寄ってくるが、不気味なほど来島や大内、毛利に関する話題を振ってくることはなかった。
(その間に通隆も多少は逞しくなったし……まぁいっか)
成長期真っ只中の十七歳(※:今更だが、現在の年齢で十五〜六歳相当)、かつ地下牢暮らしから日に当たる健康的な生活を送るようになったためか、通隆の身長は少しずつ伸びて、筋肉もずいぶんついてきた。
鎖で戒められたまま狭い通路を走れるほど元々身体能力は高かったので、きっと良い舟乗りになれるだろう。
自分には厳しい隆重も、筋がいいと褒めていた。もっともその分、自分の時以上に扱かれている気がするが、特に通隆本人が不満や音を上げていたりするわけではないので、武吉は何も言わなかった。
天気が良ければほぼ毎日届く、伊予の妻からの手紙を楽しみに毎日過ごしていて、何だか微笑ましさも感じるし。
「近いうちに、会いに行こうぜ! お忍びだけどな」
武吉の言葉に、通隆は「うん!」と嬉しそうに頷いた。
◆◇◆
「おや。隆景。どうしたんだい?」
南部はずいぶん暖かくなったが、北の郡山城はほんの少し肌寒い。
そんな城の尾崎丸に毛利家当主隆元の屋敷はある。
とはいえ、隠居した父はまだまだ元気でバリバリ現役ぶりを発揮しているので、お飾りの当主などと揶揄する者もいるのだが──。
「ずいぶんと呑気ですね。兄上」
長兄は五人の子どもたちの子守りをしながら「隆景も食べるかい?」と餅の入った皿を抱えてニコニコと笑っている。
現在はお互いに睨み合っている状況だが、昨年末から正月にかけて陶軍から攻撃を受けて煮湯を飲まされたばかりだというのに。
耳の痛い弟の一言に苦笑しながら、隆元は火鉢に餅を並べた。
「小早川殿の千里眼にはこの状況がどう映る?」
「その言い方! 私が嫌がってること知ってますよね? 兄上?」
天狗の愛弟子、千里眼の小早川──などなど、毛利に従う国人領主たちから、隆景は無責任に好き勝手なあだ名をつけられている。
しかし隆景自身天狗は実際に見たことがないし、本当に千里の先まで見えるわけではないというのに──。
「風評被害甚だしい」
「それだけ、君の先見の明が素晴らしいという話ですよ」
十歳離れた隆元は「実に羨ましい」と小さく呟いた。
兄は、自分の事をいつも凡庸と卑下している。
実際、次兄元春と手合わせするとかなり弱いし、戦術、戦略の話になると、「任せてくれる」と言えば聞こえはいいのだが、隆元はかなり早い段階から父や自分に丸投げしてくる。
しかし。
「で、そなたはどう思います?」
「……数日。遅くとも二十日以内に、また厳島を狙ってくるでしょう」
その言葉に、隆元は「わかりました」と迷いも溜めもなく頷いた。
「宮ノ尾城の守備をもう少し強化しましょう。時間はありませんから、城の改装は修繕に留めて、ひとまず人とお金、物資を集めて……」
隆景が見る限り、兄は決して兄自身が言うほど凡庸ではない。
冷静沈着即断即決の父には「優柔不断! 遅いッ!」とバッサリ言われてしまっているが、熟考はすれど、数多ある『答え』の中から最終的に『正解』を選ぶ客観的な判断力と決断力はなかなかのものだし、その『正解』を勝ち取るための細かいところまでの財務・内政能力は素晴らしいものがある。要するに多芸多才な万能型なのだ。
そして、隆景にはどう足掻いても持ちうることができていないと考える、自分の意見に説得力を付随させる、魅力と愛嬌。
──なんてったって、隆景より友達多いし。うん、泣いてない。
「隆元さま! お餅、焦げてますよ?」
「え……? わーッ! うわーッ! ゴメンね虎法丸!」
もっとも、実生活でかなり抜けてるところは玉にキズであるが。
アチアチッ! と少々焦げた餅を皿に並べ直し、分配する隆元に、隆景は問いかけた。
「ところで、一体どこの子なんです? この子たちは?」
五人のうち、六歳と三歳になった姉弟は隆元の子だが、残りの三人は見たことがない。
「この二人は家臣たちの子でね、私からお願いして、時々預かってるんだ」
──子ども好きにも程があるだろ!
何も言わずに呆れかえる視線の隆景に「いやいやいやいや」と隆元は首を横に振る。
「誰の子でも、子は宝だよ? あ、二人とも十歳で、こっちの元気がいいのが二宮春久のとこの虎法丸、こっちの本に夢中なのが、粟屋元親に預けてる虎法師」
「粟屋に預けて……って、井上元有の息子じゃないですかそれーッ!」
いつものポーカーフェイスを崩し、うげッ……と露骨に嫌そうに表情を崩す隆景に、隆元は「さっすが千里眼!」と茶化して感心する。
「揶揄わないでください兄上! 過去に自分が誅殺した人間くらい覚えています!」
隆景の言葉に、小さな少年がチラリと視線を本から隆景に向けた。が、「我関せず」とすぐに本に視線を戻した。
か、可愛くない──。ふるふると隆景が震える。
「何でそんなの此処に連れて来てるんですか、もーッ!」
表情の崩れた弟が実に珍しかったのか、隆元は面白がって笑い転げた。
そして一通り笑った後、気を取り直して「最後に」と紹介を続ける。
「この子はタエ」
一番背が高く年長の少女は、育ちの良さを感じさせる美しい所作で隆景に跪いて頭を下げる。
「父上の御養母の遠縁にあたり、周防から毛利を頼って来られた」
周防から? 隆景はピリッと気を張り詰めた。
隆景にとって祖母にも等しい十年前に亡くなった杉大方は、大内家の重臣杉氏の出であったが、その一族は陶晴賢の謀反により大内と共に滅びた者、生き残って毛利を頼る者、大友に仕える者──とバラバラに別れてしまったと隆景は聞いている。
彼女もまた、そんな一人なのだろう。
しかし、隆元は何故──。
「隆景、此度の陶との戦いが終わったらな……」
兄の妙な言い回しに、思わず隆景はハッと顔をあげる。
兄上、それ以上はいけない! 今日は義姉上の姿が見えないけれど、もし聴かれでもしたら、それは修羅場一直線では──!
「俺は彼女を、父上の側室に推挙する」
「………………はぁ?」
隆元のじゃないんかいッ! 脱力した隆景はガックリと項垂れた。
「いや、前に母上亡くしてから、後追いして死にそうな父上止めるために約束しただろう? 父上に一人ずつ側室紹介しようって」
しました。確かにしましたよそんな約束。
ちなみに隆景と元春はとっとと父に紹介し、彼女らには子どもが次々と産まれている。
「それにしたって、何故彼女なんですか……君、いくつ?」
「十五になりました。陶殿がおこした戦の混乱で今までそれどころではありませんでしたが、隆元様が、もうすぐ私の裳着をしてくださるそうです」
嬉しそうに微笑む少女。対照的に、隆元が「実は……」と言いにくそうに口を開いた。
「本当はタエを、父上の祐筆として雇ってはどうかと思ったのだが、いかんせん、女の祐筆なぞ前代未聞だしなぁと思ってな……」
しかし。と兄は続ける。
「タエはとても気が利くし、字も綺麗で記憶力が抜群に良い。名門杉家の姫君でもあるし、これで他家に嫁に出すのは毛利としてかなり痛手な気がして……」
「言いたいことはよーく解りました。兄上」
隆景はいつもの微笑を湛えて頷いた。
祐筆とは、実に面白いことを考える。兄の長所に『人材発掘の上手さ』を追加した方がいいかもしれない。
となると、此処にいる二人の少年も、あるいは──などと思ったところで、隆景はそのうちの一人が問題児であることを思い出して、ぶんぶんと首を横に振った。
◆◇◆
結局隆景は餅を食べぬまま、父の住む郡山城の本丸に登っていった。
隆景を見送って、残った一同は、仲良く並んで餅を頬張る。
「ゴメンな。虎法師。隆景のアタリが強くて」
「え〜、この程度、まぁーったく気にしてませんよぉ」
先程は黙ったままだったが、少年は口を開いた途端、間延びした独特の口調で話し出した。
「しっかし、くだんの千里眼も、大したことないですねぇ〜」
まぁ、たぶんそのうち気づいてくれるでしょうけど。と少年は年相応に餅を頬張っては飲み込みつつ、大人顔まけの恐ろしい台詞を吐く。
「本当のことを知った時どんな顔するか、今から実に楽しみですねぇ〜」
「手厳しいなぁ虎法師は。まったく。……末恐ろしい弟は、隆景一人で十分ですよ……」
幼子の毒舌に、隆元は小声で話しながら、思わず苦笑いを浮かべた。
「隆元さま、ほーしと一体何のお話ですか?」
一人解っていない虎法丸が、タエにベタベタの口の周りを拭いてもらいつつ、首を傾げる。
その素直な可愛いらしさから隆元は思わず頬をゆるめて、虎法丸の頭をくしゃくしゃと撫でた。
二宮春久の嫡男、虎法丸──のちの二宮就辰。
井上元有の三男、虎法師──のちの井上就勝。
二人の弟の存在を隆景が知るのは、もう少し先の話である。




