第64話 誰かの記憶
最初の光景は視界一杯に広がる無数の会議席。
ドーム状の高い天井に備えられた照明は部分的に照度を抑えて点灯するのみで、背後の巨大なモニタースクリーンの光がぼんやりと会議場を照らしている。
議場の奥にある演台を半円形に囲む階段状の会議席に着いている大勢の人々は、じっと演台とその背後にあるスクリーンを注視している。
真剣な、あまりに真剣な視線の圧。
議場を囲う壁には、色とりどりの幾種類もの旗らしきものが垂らされていて、様々な出自、背景を持つ人々がこの場に集まっていることを示している。
気になるのは、ずらりと並ぶ旗らしきものの間に不規則な隙間が点々とあり、本来そこにあるはずのものが取り外されたような跡があること。
整然とした会議場にそぐわない、その不規則な隙間が何か重苦しいものを伝えてくるのは気のせいだろうか?
そんな議場を見るともなしに見回す演台の人物。多分、男性。
視界はその人物のものだから、どんな姿かは分からない。
演台と向かい合う無数の席の前にはそれぞれ立体投影ディスプレイがあり、演台に立つ人物の姿を小さく映し出しているようだが、小さすぎて演台からその詳細までは見えない。
男性にしてはやや高めのよく通る声で紡がれるのは、世界全体を数十年にわたって蝕む二つの危機について――
ひとつは、あらゆる地域で発生し続ける、過去の観測データから外れ続ける気象異常。それによる資源供給の不安定化、慢性的なエネルギー不足。
もうひとつは、高度に発展した文明を支える様々なシステムに発生し続ける原因不明のエラー。
システムの機能不全は、生産物の品質低下、歩留まりの悪化を招き、あらゆるもののコストアップがインフラを、生活を蝕み、文明の発展にブレーキをかけ、絶え間ない衰退圧力となる。
会議場の深刻な雰囲気、旗の列にあるいくつもの空白は、その危機がもたらしたものか。
おそらくは会議場の誰もが共有する問題をおさらいした後に展開された本題、星環エネルギー理論。
淀むことなく、難解で複雑な理論を平易な喩えや、視覚的に分かりやすいモデルを多用しながら説き、核心部分である、危機との関連へ踏み込んでいく。
星環エネルギーの乱れが、マクロレベルでは気象異常を、ミクロレベルではシステムエラーを引き起こす可能性を検証した理論展開に、会議場の一部から静かな騒めきが起きる。
懐疑的な空気が強く見えるのは、その理論がよほどに突拍子もないものだからか。
薄暗がりの中、小さく首を振っている出席者がちらほら見える。
それら多くの懐疑的な視線も、実験室レベルではあるものの、理論を背景とした星環への限定的なアクセスを実証できたことと、星環への干渉によって得られたエネルギーの取得効率が極めて高いものであったことで塗り替わっていく。
エネルギー供給とシステムエラーの問題が改善され、気象異常が制御可能なものになれば――
じわり、と会議場に満ちかけた熱気は、しかし、続いて示された研究ロードマップによって冷や水を浴びたように引いていく。
慎重にして遠大な、遠大過ぎるそれは、危機的状況の打開を求める大多数の期待にそぐわないものだったのだろう。
発表を締めくくる男の言葉に続く拍手は疎ら。
そんな膨らみかけた希望が霧散した後の重苦しい空気を気にした様子も見せず、もう用は済んだと言わんばかりに演台を降りて会議場の出入口のひとつに向かって歩いていく。
その背後では次の登壇者が演台に上り、まるで期待感の無い空気の中で揚々と発表を始めている。
出入口の扉を、守衛の敬礼を受けながら出たところで、背後から小走りに追ってきた若い男が隣に並ぶや、「何故!」と抑えた、けれど感情を制御しきれない声で訴える。
「何故、どうしてあのロードマップを出したのですか! あれでは研究予算の即時拡大どころか、来期予算の減額を確実に言い渡されるとあれほど!」
「君のプランは性急に過ぎる。仮説だらけの基礎理論を固めるには、あれでも時間が足りないくらいだ。予算については、研究規模を十分に拡大できるだけのものはある」
「せめて実証のための施設は並行して建設すべきです! 先生のやり方は確かに倫理的には正しい。正しいですが、そのやり方では理論を固めきるまでに理論を実現する基盤がもたないんです!」
「現状の成果は偶然に過ぎない。再現できることと、理論が確かなことは全く別の話だ。足元すら覚束ない状況で駆けだすべきではない。不可逆的な変化をもたらし得るものであるからこそなおさらに」
絢爛な装飾が施された、しかしどこか色褪せた雰囲気のある廊下を歩き続けながら、必死に食い下がる若い男を手で制し、エレベーターホールに着いたところで向き直る。
「焦りは分かるが、焦りは視野を狭くする。懸念の点も考慮の上、当面は理論研究に注力する方針を維持することで、大枠の合意は取れているのだ」
「その合意が守られる保証が危ういから、少しでも早く計画を――」
「予定通りに折衝を進めてくれ。私は先に研究室に戻る」
若い男性の言葉を遮るように指示を出し、開いたエレベーターの扉を抜けて乗り込む。
閉じていくエレベーターの扉越しに若い男の握りしめた拳が震えているのがちらりと視界に入るが、すぐに閉じた扉で遮られる。
微かな機械音すらなく静かに下っていくエレベーター。
再び開いた扉の先は無機質な通路。
同じような光景が続く通路が交差している箇所で、迷うことなく時に横切り、時に曲がる。その迷いのない足取りが、既に何度もこの通路を通っていることを窺わせる。
やがて行き当たった通路奥の扉を抜けると、目の前には黒い自動運転車がドアを開けて待っており、慣れた動作で後部の座席へと乗り込む。
僅かに軋んだ音を立ててドアが閉じ、タービンが回る独特な音とともに発進する車。
ふ、とため息が漏れる。
「ブラッドフォードの焦りは分かるが、実験機器も観測機器も一から見直さなければならん。先は長い。いずれ分かってくれるとは思うが、あれが若さか……」
手元の端末を片手で操作しつつ、誰に言うでもない独り言が漏れる。
端末に表示される予定のいくつかを修正する。
自動運転車の小さな窓の外は無数の灯火が織りなす見事な夜景で、行きかう自動運転車も多い。
時折小さく揺れる車内でしばし端末を操作した後、ポケットに端末をしまうと思考に没頭するように手を合わせて指を組む。
その静かな時間は、長く続かなかった。
不意に、車内を眩く照らす対向車のライト。ホワイトアウトしたようになる視界の中、車体前面の窓いっぱいに迫ってくる大きな何か。
車内に響く煩い警告音。
それはまるで目覚ましタイマーのアラームのようで――
◇
ぼんやりした視界をそのままに動かす片手がスマートフォンを探り当ててアラームを止める。
「……どこの誰のなんなんだよ。夢……というにはリアルすぎる」
もぞり、とベッドで上体を起こし、枕元に置いていた眼鏡をかける。
画面表示の消えたスマホに映り込むのは、見慣れた自分――灰宮綾星の顔。
「交通事故からの異世界転生はお約束みたいなネタだけど、前世……? というには、実感ないなぁ」
ぼんやりと夢を反芻する。
夢――というにはリアルな手触りがありすぎるけれど、主観視点ゲームか何かみたいに、視点の人物の思考も感情も分からない。
自動運転の車は現実にもあるけど、夢の中で見たやつは随分進んでいるというか、オシャレというか、全然違うものっぽい。
とりあえず、夢で見た理論発表の内容をぽちぽちとスマホに入力していく。
このスマホは私物ではなく、魔法少女業務用のやつだから、セキュリティはバッチリだ。
「うーん、夢とはいえ、せめて時系列で見せてほしい。いや、明らかに死んでそうな事故っぽいし、今まで見た夢シリーズの中のラストエピソードか?」
なんにしろ。
これまでの夢と同じく、久我原さん案件だね。
星環理論。
現実とリンクするキーワードに、その具体的な理論仮説まで出てきたし。
あの仮説で扱っているものが、もし仮に万が一ひょっとして、こちらが認識する星環エネルギーと同じなら……
――っと、いけない。
呆けていたら遅刻する。
とりあえずは――寮の食堂で朝ご飯だ!
予約忘れてましたっ!




