第46話 キルシュと境界層にて
週末、久我原さんから連絡を受けて境界層に入り向かった先の区域は雨だった。
視界がざらつくノイズのような雨は、何度経験しても不思議な感じだ。
雨粒が降ってくるわけでもないのに、撥水コーティングしてある迷彩コートの表面に水滴が増えていくのも相変わらず。
「よ、チェネ。生憎の雨だけどよろしくな」
「こちらこそ。というか、キルシュってそんな感じなんですね」
「あん? どんなんだと思ってたんだよ」
予定の合流地点に現れたキルシュが、少し睨むようにこちらを見る。
いやだって、変身前の姿を見るのは初めてなんだから、ちょっと意外に思ったんだよ。
袖にダークピンクの切り替えが入った黒いトレーニングウェア上下。黒髪にチェリーブロッサムのインナーカラーが入ったロングウェーブヘアの、私より少しだけ背が低い少女。足元にはソール部分が白の、黒いランニングシューズを履いている。
やや垂れ目がちのお顔も相まって、素の姿のキルシュはちょっと年下にすら見える。
変身状態のキルシュは高校生くらいに見える上に、あのやさぐれ配信の印象が強いので、なんというか、ギャップがひどい。
こう、無条件に庇護欲が湧く系統、といえば伝わるだろうか?
「おい、チェネ、その妹を見るような顔はやめろ」
「キルシュが常に変身状態なの、納得だなーって思っただけ。ひょっとしてセラ様、その姿を知らない?」
魔法少女は、事務所内でも変身した姿が基本らしい。ファーストナイトやアヴァロンといった大手では内規にもなってるとか。例外はトワイライトパレスやくろっくきゅーぶなど少数だ。くろっくきゅーぶのルージュ・エトワールは、円卓で唯一……じゃなくなったけど、変身前の姿を公開していることで有名だね。
「……あー、そういえばセラには見せたことないな……見せる予定もないな。むしろ今なくなった」
セラ様、かわいいモノに目がないからね。
雑談配信、まぁまぁの頻度で、こんなものを買いましたネタがあるけれど、小さくてカワイイキャラクターが大変お好みでいらっしゃる。
「つか、そのミリタリーな格好がコスプレ感ないくらい馴染んでるの、どう突っ込めばいいんだ?」
「えー、なんか変?」
「優等生っぽい奴がそういう格好してるの、刺さるやつには刺さるって話」
むー。必要と合理性でしている格好だよ。
ちょっとだけ趣味が入ってることは否定しない。何かを狙ったわけじゃない……けれど、ある種のオタクには刺さるのか。
同じコートが売れまくったのもそういう感じなんだろう。
キルシュみたいに、流されずに自分のやりたいようにやるしかない……よなあ。難しい。
「あ、キルシュ、荷物もつよ」
「ん? ああ、じゃあ半分頼む」
キルシュが身体に比してやや大きめなリュックを背負い、片手にこれまた大きめのスポーツバッグを持っていたので、スポーツバッグの方を受け取る。って、重?! 何が入ってるの、これ。
「久我原参事官から試験を頼まれた機材だよ。指定の試験ポイントは?」
「大丈夫、さっき下見してきたから案内する」
「助かる」
スポーツバッグを肩にかけ、先導するように歩きはじめる。しばらく雨が降り続いていたのかあちこちぬかるんでいるから、できるだけ足元のしっかりしたルートを選ぶ。
「久我原さんからは、検証人員の人選に難航していると聞いてたけど」
「難航というか、境界層での非変身行動を現役バリバリの魔法少女にやらせるのはリスクが高すぎるから、人選もなにも。こう見えて、けっこう予定が多いからスケジュール調整が大変だったんだよ」
「その割には、しょっちゅうチャット飛ばしてくるじゃん」
「チェネからは片時も目が離せないからな」
そんな、人を糸の切れた凧みたいに。
「念のため、改めて言っておくが、変身しないで境界層に入るの、正気を疑われるレベルの行動だからな」
「そこまで?! ええー、志島さんにも鳴海さんにも、めっちゃ説明したのに」
「“当たらなければどうということはない”ってのは、“当たったら終わり”なんだよ。理解しろ。正直、心細くてたまらん。平気な顔してるお前、だいぶオカシイぞ」
そこまでかー。
今は半引退状態とはいえ、五年も前に公認魔法少女になり、黒霧でも最前線にいたらしいキルシュでも、非変身状態での境界層は厳しいのか。
うーん?
ささっと周囲の状況を見て立ち止まり、キルシュをじっと観察する。
「何だ、急に」
「心細い、っていうの何でかな、と思って。私はこの状態が心許ないとか心細いとか思ったことなかったから」
「慣れの問題かと思ってたが、違うのか」
私もそう思ってたんだけど、よく見てみると、キルシュがまとっているルミナがあまりにも希薄だ。
「ギリギリ変身しないくらいにルミナを、こう、身にまとう感じ、できる?」
「あん? あー……できる、と思う。ちと待て――」
感知領域を広げて周囲警戒に注意を払いつつ、集中状態に入ったキルシュの様子を見る。
んー? これ、本当に戦闘に支障があるから実質引退状態といわれる魔法少女か?
ちょっと集中しただけですごい量のルミナが周囲に満ちたんだが。非変身でこれって、セラ様並みじゃないか?
いや、ルミナの扱いの滑らかさはセラ様以上かもしれない。
黒霧の後の混乱が表面化しなかったの、キルシュの存在があったからな気がしてきたぞ。古参の魔法少女ほどキルシュに一目置く様子なのも、たぶん、そのあたりを知ってのことでは?
キルシュの実力の正確なところが世間には知れ渡ってない理由、セラ様を看板にするっていう特災庁の動きに合わせて、キルシュが実績を表に出さなかったから、というのもありそう。
「おい。なんか変なこと考えてるだろ」
おっと、思考が逸れてた。
「キルシュ、どう? 心細さ、かなり減ったと思うけど」
「ふむ。変身状態ほどじゃないが、身体を覆うようにルミナの防護があるだけでだいぶ違うな」
でしょ。“当たったら終わり”な状態ではないことは分かってもらえたんじゃないかな。
それにしても、綺麗にルミナをまとってる。ううん、私の方が自信なくなりそうだぞ。
「心中、実に複雑だな。これなら確かに生身よりはだいぶマシか。あのなぁ、こういうことは、いの一番に説明しろよ」
「いやだって、当たり前の前提すぎて。マジの生身で境界層入るなんてそんなヤバいこと、普通はやらないで――ふが?! ひひゃい!?」
デコに青筋浮かべたキルシュに、思いっきり両頬をつねられる。
いやマジで痛いし?!
「こっちのセリフだアホ! 常識で言うなら変身してないイコール生身だろうが。こんな中間状態、誰も考えてねーよ!」
「えー。本当に誰も試さなかったの?」
「現実世界じゃ、非変身でルミナまとってもあっという間に霧散しちまうし、非変身で扱えるルミナなんぞ無きに等しいんだぞ」
「確かにそうだけど。ほら、隔獣が実体化すると、現実世界にも大量のルミナが流れ込むから――」
「その状況で変身せずにいる選択肢なんかねーよ!」
それは、たしかにそう。
「てか、さらっと流されそうになったけど、隔獣の実体化がルミナ量増加の引き金なのか?!」
「え? 違う理由があるの?」
「隔獣はルミナを求めて実体化するんじゃないかって説が主流だぞ」
「論文になってない説までは知らないよ。接続点を開くと境界層からルミナが流れ込むじゃん? それと同じで、隔獣が現実世界に実体化すると、隔獣が楔になって境界層から現実世界にルミナが流れ込むよ。現実でラット級が湧いた時に見えたし」
私も、隔獣が先に現れて、魔法少女が後から登場する理由をあれこれ考察したことはあるけど、魔法少女に覚醒した後、ルミナが見えるようになって、あー、なるほどってなったんだよ。
接続点でルミナの流れ見れば一発で想像つくと思うんだけどなぁ。
「チェネ、お前もしかして、ルミナが見えるのか?」
「え?」
「ん? 違うのか?」
「え? いやいや、魔法少女ならルミナは見えるんじゃないの? 魔法少女配信でよく、ルミナの流れを見て、とか言ってるじゃん」
「アレはルミナの流れを感じる、くらいの意味で、視覚的に見えているわけじゃないぞ」
ええー?! それって、めちゃくちゃ縛りプレイじゃん!
「……お前の魔法、視る系の何かっぽいな」
「言われてみると、なんとなくそうかなって、なるね」
「常時発動系は珍しいし分かりにくいからな。ルーク級転がしたのも、何かを視てか?」
あれは……
「アイツの仮の足場にルミナを差し込んで、こう、バーンと」
「わかんねーよ」
「食器が固定されてテーブルの上から動かせないなら、テーブルごとひっくり返しちゃえ、っていう。機敏な動きをするタイプには見えなかったからね」
「ルミナがはっきり見えるチェネしかできないやつじゃねーか、このチート持ちが」
うーん、そうか。他の人には見えない攻略ルートが見えるって考えると、まぁまぁズルしてるな。
ここはやはり、あのセリフを――
「アホなこと考えてる顔してるぞ、チェネ」
ぐぬぅ。
◇
予定のポイントでの検証は特に問題なく進んだ。
研究所の皆さんから託された試験機材、どれもすごかったよ。これ全部実用化されたら、負担格差の問題にも解決の糸口が見えるんじゃないかな。特に、チームリンクを作れる超小型デバイスと、灰星ちゃんデコイがヒントになったらしい援護ドローンは、経験の浅い魔法少女には心強いと思う。
非変身状態での検証では、キルシュの飲み込みの速さと対応力の高さとルミナ制御の精緻さが凄すぎて、圧倒されっぱなしだった。
セラ様が先輩として尊敬してるの、単に事務所の先輩というだけじゃない。
「チェネはヤバいやつだとは思ってたけど、認識甘かったわ。ひとりで試行錯誤してコレ全部身につけたのスゲーよ」
ちょっと、なにそんな、分からせられました、みたいな表情してんだ。分からせられたのはこっち……!?
不意に、繋いでいたリンクから耳障りな不協和音が流れる。
救援要請のアラート! 続いて自動アナウンスされた発信ポイントは少し遠い区域。
「チェネ!」
「ルート構築する!」
『魔法少女キルシュ・ツァウバーだ、要請受諾、急行する。同行はチェネレントラ・ステラ、到着は』
『百八十秒!』
『だ。試験機材の回収を頼む』
『区域コントロール、了解です。お気をつけて』
キルシュと私、ほぼ同時に変身キーワードを発する。
「狂い咲け、魔法の華よ。キルシュ・ツァウバー」
「灰に覆われし星屑よ、輝け! チェネレントラ・ステラ!」
チェリーピンクの光と白灰の光を弾けさせて変身を終えるや、即座に二人揃って地を蹴って宙に駆け上がり、ルミナの足場を連続で蹴って加速。
通るべき空間の歪みは三つ。ルートを決めた私が先行する。
キルシュがついて来れるか、なんておこがましい心配はしない。
向かう先で救援を待つのはヴァイセ・ブリューテ。
絶対に間に合わせる!
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