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第48話:至高の調停者への誓約書(※全力の虚偽報告)

秋の爽やかな風が、泥濘(ぬかるみ)の広がる庭先を静かに吹き抜けていた。


先ほどまで庭一面を満たしていた、世界を終末へと導かんばかりの殺気と神威は、跡形もなく消え去っていた。天を焦がす炎の巨鳥も、大地を凍てつかせる巨狼も、空間を腐食させる黒泥の瘴気も、すべては淡い木漏れ日の光の中に溶け去り、いまやそこにあるのは、どこまでも穏やかで、どこまでも長閑な山奥の古民家の昼下がりであった。


だが、その庭先の光景は、別の意味で前代未聞の様相を呈していた。


「……ううっ、美味い……ッ。こんなに美味い米の飯は、生まれて初めて食った……っ」

「身体の芯から……温かい力が湧いてくる……。凍傷の痛みが、跡形もなく消え去っていく……」

「神よ……調停者様……! 慈悲深き現世の女神様……ッ!!」


泥水の中に膝をついた五十名の精鋭魔術兵と重装歩兵たちが、全員揃って大粒の涙をボロボロとこぼしながら、両手で大切そうに握りしめた白い塊にかじりついていた。


それは、マノンが台所から大急ぎで握ってきた「塩結び」であった。


先ほど、大根を置いて土間へ駆け込んだマノンは、井戸水と梅干しを配り終えた後、「水と塩だけじゃ、お腹が空いて力が入らないでしょう!」と、朝炊いておひつに残っていた麦飯をかき集め、大急ぎで握り飯を作って運んできたのだ。


大判の清潔な竹皮の上に並べられた、大人の拳ほどもある三角の塩結び。

ふっくらと炊き上げられた新米の白米に、ぷちぷちとした食感の丸麦が二割ほど混ぜ込まれている。表面には、ヴェロニカから安く譲り受けた大粒の天日塩が、マノンの素朴な手のひらで均一に擦り込まれ、陽光を浴びてキラキラと白く光っていた。

海苔の代わりに巻かれていたのは、昨日マルタおばあちゃんから貰っていた野沢菜に似た青菜の古漬けを、井戸水で塩抜きして軽く絞った緑の葉。

飾り気のない、純度百パーセントの家庭の味。


しかし――その素朴な塩結びを口に含んだ瞬間、兵士たちの全身を貫いたのは、神話のエリクサーすら遥かに凌駕する圧倒的な「浄化の奇跡」であった。


マノンの『波長ゼロの無害気質』が、炊きたての温かい米粒と天然塩を通じて、兵士たちの傷つき疲弊した肉体の隅々へと染み渡っていく。

フェンリルの冷気で壊死しかけていた足先が、じわりと温かな血潮を取り戻す。

キマイラの咆哮の衝撃波で痛めていた鼓膜と神経が、スーッと鎮静化していく。

そして何より、過酷な軍務と死の恐怖によって極限まで張り詰めていた精神が、大地の恵みとマノンの無償の温もりによって、まるで母親の腕の中に抱かれた幼子のように優しく包み込まれ、解きほぐされていくのだ。


王都の精鋭兵たちは、砕け散った自らの甲冑の残骸の真ん中で、泥まみれになりながら、我を忘れて塩結びを頬張った。

米粒を一粒もこぼすまいと、指先に付いた塩まで愛おしそうに舐め尽くし、全員が自発的に泥水へと額を擦り付け、むせび泣いていた。


「あらあらまあまあ! そんなに急いで食べたら喉に詰まっちゃうわよ! ちゃんとお水も飲んでね!」


マノンは空になった竹皮を抱え、心底から嬉しそうに目を細めていた。

やはり、王都から無理な強行軍で山を登ってきたせいで、極度の空腹と脱水症状を起こしていたのだ。

美味しそうにご飯を平らげてくれる人の姿を見るのは、料理好きのマノンにとって何よりの喜びであった。


そして――。

その兵士たちの最前列。

泥濘の真ん中で、誰よりも深く、誰よりも長く、地面へと額を擦り付けていた男がいた。


王都魔法省主席宮廷魔術師、エティエンヌ・ボワイエ。


自慢の濃紺の魔道ローブは泥に塗れ、右のレンズが割れた銀縁眼鏡の隙間からは、絶え間なく涙が滴り落ちて地面の泥水を濡らしていた。

彼の手のひらは、泥水の中にしっかりと広げられ、頭頂部は寸分の隙もなく黒土へと押し付けられている。

貴族としてのプライドも、宮廷魔術師としての権威も、三十年間の傲慢も、その姿勢には微塵も残っていなかった。

あるのは、ただ絶対なる神威の前に己のすべてを明け渡した、一人の狂信的な巡礼者の姿だけであった。


「……ちょう、てい……しゃ、さま……」


エティエンヌの唇から、震える声が漏れ出た。

喉の奥が熱い。

先ほどマノンから口に放り込まれた、あの一粒の自家製完熟梅干し。

激しい酸味と塩気の向こう側で爆発したあの絶対浄化の光によって、焼き切れていたはずのエティエンヌの全魔力回路は、跡形もなく完治していた。それどころか、以前の濁った野心にまみれた魔力とは比較にならないほど、澄み渡り、研ぎ澄まされた奇跡の魔力流が、自らの肉体内を静かに巡っている。


殺されるはずだった。

万死に値する無礼を働き、軍勢を率いて聖域を蹂躙した大罪人。

灰燼に帰されても文句は言えぬ侵略者を、この至高の調停者は――怒るどころか、泥に汚れるのも厭わずに抱き起こし、清らかな井戸水と至高の神薬(梅干し)を与え、米の飯で魂を救済してくれたのだ。


神だ。

この娘こそが、世界の均衡を司り、愚かな人間を無償の愛で包み込む、現世の至高神そのものなのだ。


「調停者様……ッ!!」


エティエンヌは額を泥に擦り付けたまま、絞り出すように叫んだ。

その声には、一切の打算も、保身もなかった。魂の底から迸る、完全なる屈服と崇拝の言霊。


「我が輩の……我が輩の底知れぬ無知と傲慢、万死に値いたします……! 神の領域を土足で踏み荒らしたこの愚行、いかなる極刑を受けようとも申し開きはございません……! それにもかかわらず……このような至高の慈悲を、魂の救済を賜りましたこと……このエティエンヌ・ボワイエ、生涯を賭けて、骨の髄まで刻みつけます……!!」


エティエンヌは肩を激しく上下させ、嗚咽を漏らしながら続けた。


「あのお方――マノン様の御威光と深き御恩、我が命が尽きるその瞬間まで、決して忘れることはございません……ッ!!」


五十名の兵士たちもまた、指揮官の言葉に呼応するように、一斉に地面へと額を打ち付けた。

「「「調停者様の御威光、生涯忘れません……ッ!!」」」


山林に響き渡る、五十一名の男たちの命懸けの誓約。

その光景は、側から見れば、古代の宗教儀式における絶対の帰依そのものであった。


――しかし。

その凄まじい熱狂の誓いを真正面から受け止めた当の本人はといえば。


「……あらあらまあまあ!」


マノンはパチクリと丸い瞳を瞬かせると、心底から困ったように眉を八の字に下げ、両手をパタパタと振った。


「そんなに畏まらなくていいんですよ! お礼なんてとんでもない! ただのお水とおにぎりなんですから、お代なんていただきませんよ!」


マノンの脳内では、エティエンヌの悲壮な懺悔は、またしても完璧に「善良な田舎の常識」へと変換されていた。


(※マノンの認識:

王都からやってきた旅の御一行様が、道に迷って山奥まで登ってきてしまい、極度の熱中症で行き倒れていた。

親切に井戸水とおにぎりを振る舞ったところ、都会の人は礼儀が正しいので、行き倒れた恥ずかしさと相まって、涙を流しながら深々と道案内のお礼を言ってくれている)


「田舎道はね、目印になる建物がないから、王都の方には本当に迷いやすいのよ。それに、日差しは柔らかく見えても、山登りは思った以上に体力を奪うんですからね。……次からは、ちゃんと薄着をして、水筒を持って歩いてくださいね」


マノンは優しく微笑むと、泥まみれのエティエンヌの肩を、ポンポンと親身に叩いてあげた。


「さ、少し休んで足の痺れが取れたら、お日様が沈まないうちに山を下りてくださいね。夕暮れの山道は足元が暗くて危ないですから。……気をつけてお帰りくださいね!」


マノンは屈託のない笑顔を浮かべ、まるで近所の子供たちを見送るかのように、パタパタと両手を振ってみせた。


「あ……」

エティエンヌは、息を呑んだ。

去りゆく罪人を、追及することすらしない。

何事もなかったかのように、ただ「気をつけてお帰り」と見送るその圧倒的な包容力。

神の慈悲とは、ここまで深く、ここまで果てしないものなのか。


「……は、ははぁっ!! ありがたき仕合わせ……ッ!!」


エティエンヌは再び深く額づくと、泥だらけの身体を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。

兵士たちもまた、涙を拭い、砕け散った武器の残骸を拾い集めることもなく、ただ自らの命が救われた奇跡に震えながら、整然と隊列を組み直した。


ふと、エティエンヌが背後のウッドデッキへと視線を向けると――。

そこには、マノンが収穫してきた特大大根の横に、行儀よく並んで座る白猫(タマ)と黒猫(クロ)、そして手すりの上の黄色い小鳥(ピピ)の姿があった。


タマは金色の瞳をわずかに細め、「主が帰れと仰っているのだ、二度とその面を見せるな」と無言の冷気を放っていた。

クロは片耳をピクリと動かし、「次に主の畑を荒らせば、今度こそ骨まで溶かす」と漆黒の視線を突き刺していた。

ピピは金糸の羽をパサリと震わせ、「二度目はないぞ」と鈴の音のような警告を一鳴き返した。


エティエンヌは背筋をピシリと凍りつかせ、神獣たちに向けても最敬礼を捧げると、脱帽したまま、後ずさりするようにして庭の敷地を辞した。

門柱をくぐり、木立の小道へと出た瞬間、兵士たちの間から、一斉に安堵の長い長い吐息が漏れ出したのであった。


***


一方その頃。

古民家から一キロほど下った山林の尾根筋では、辺境警備隊の救護班が、物陰から息を殺して前方を凝視していた。


「……隊長! 来ます!」


副隊長セリアの鋭い囁きに、大岩の陰に潜んでいたギルバート隊長が、眉根を寄せて身を乗り出した。

三台の救護馬車の陰には、担架を構えた衛生兵たちが、いつでも飛び出せるよう待機している。

先ほど、山の上から響いてきた凄まじい衝撃波と、局地的な吹雪、そして一瞬だけ空を覆った紅蓮の光。

警備隊の誰もが、「王都軍は全滅した」と確信していた。

四肢をもがれ、凍傷と火傷で瀕死になった哀れなエリートたちを、迅速に担架で回収し、手当てを施す――その覚悟を完了させていた。


――だが。


木立の向こうから姿を現した軍勢を目にした瞬間、ギルバートとセリアは、揃って我が目を疑った。


「……は?」

セリアの口から、間抜けな声が漏れた。


山道を下りてきたのは、確かに王都特使隊の五十一名であった。

しかし――その姿は、想像していた「血みどろの敗残兵」とは、あまりにもかけ離れていた。


甲冑は粉々に砕け散り、手には武器一つ持っていない。服は泥まみれで、全員がボロボロの姿である。

だが、その足取りは驚くほど力強く、背筋はピンと伸びていた。

何より異様だったのは、その表情であった。

恐怖に怯えるどころか、全員の顔が、まるで聖地巡礼を終えた熱心な修道士のように、清らかで、晴れやかで、法悦の光に満ち満ちていたのだ。

口元には米粒をつけたまま、目尻には感動の涙を光らせ、歩調を合わせて堂々と行軍してくる。


先頭を歩く主席宮廷魔術師エティエンヌに至っては、割れた眼鏡をかけ直すことすら忘れ、天を仰ぎながら、ぶつぶつと祈りの言葉を呟き続けていた。

「なんという神徳……なんという慈悲……。あのお方こそ、現世の至高神であらせられる……」


「……ギルバート隊長」

セリアが、引きつった顔で耳打ちした。

「……あれ、完全に精神を『持っていかれて』ますよね……?」

「……ああ」

ギルバートは深く頷き、額の脂汗を手甲で拭った。

「肉体は無傷だが……心と魂が、木っ端微塵に調伏されている。……あのお方の前では、王都の主席魔術師ですら、ただの敬虔な信徒に成り下がるということだ……」


ギルバートたちは担架をそっと荷台へと戻し、何食わぬ顔で道端へと進み出た。

「ボワイエ殿、ご無事であられたか……」


ギルバートが声をかけると、エティエンヌはハッと立ち止まり、ギルバートの巨躯を見上げた。

先ほどまでの傲慢な見下しは、影も形もなかった。

エティエンヌはギルバートの両手をがっしりと握りしめ、熱い涙をボロボロと流しながら言ったのだ。


「ギルバート殿……! ローラン殿……! 貴公らの忠告、真実であった……! 我が輩は、自らの浅慮を恥じるばかりだ! 直ちに宿場町へ戻る! 我が輩には、王都の愚鈍どもへ真実を伝え、あのお方の平穏を守るという、重大なる使命ができたのだ!!」


そう叫ぶや否や、エティエンヌは泥水も構わず馬車へと飛び乗り、猛烈な勢いで宿場町へと馬を走らせていった。

見送るギルバートとセリアは、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


***


その日の夕刻。

フォレスト領の第一宿場町、特使の仮宿舎として手配されていた宿屋の最上階の一室。


部屋の中には、鬼気迫る静寂が満ちていた。

泥を落とし、清潔な部屋着に着替えたエティエンヌ・ボワイエは、机の前に座り、猛烈な勢いで羽根ペンを走らせていた。

卓上には、王都魔法省の最高機密指定を示す、真紅の縁取りが施された特注の羊皮紙。

インク壺からインクを吸い上げるペン先が、紙を切り裂かんばかりの筆圧で、流麗にして狂気じみた文字を刻みつけていく。


「……王都の老いぼれどもめ。あの聖域に、二度と手を出させはせん……!」


エティエンヌの瞳には、かつての権力欲とは違う、神の領域を守護する「筆頭信者」としての凄まじい使命感が燃え盛っていた。

もし、自分が事実をありのままに報告すればどうなるか?

魔法省の上層部や王宮の好戦派は、「神獣が存在するなら、国家の総軍を挙げて討伐・接収すべし」と、さらなる軍勢を送り込むかもしれない。

そんなことをすれば、今度こそ王国そのものが消滅する。

そして何より――あの心優しきマノン様の、穏やかな大根の収穫と日向ぼっこの平穏が、愚かな人間どもの軍靴によって汚されてしまう。

それだけは、絶対に阻止せねばならなかった。


エティエンヌは、自らが三十年間培ってきた官僚としての文章術、法律の抜け穴、そして魔法省の心理誘導テクニックのすべてを注ぎ込み、一篇の「完璧なる防衛報告書」を書き上げていった。


『――極秘緊急報告書:フォレスト領北山における魔獣調査の最終結論

発信者:主席宮廷魔術師 エティエンヌ・ボワイエ

受信先:王都魔法省最高評議会、ならびに国王陛下御前会議


本官が直属部隊を率いて現地を徹底調査せし結果、密告文書に記された「辺境伯による反逆の魔女囲い込み」の嫌疑は、完全なる事実無根の虚偽であると断定する。


当該地域に座す存在は、王国に叛意を抱く魔女などでは断じてない。

太古の神代より世界の理(ことわり)と魔力循環の均衡を司り、傷つきし魂を絶対の慈悲を以て救済する、現世に顕現せし【至高の調停者】の聖域である。


調停者様が従える神獣フェンリル、キマイラ、フェニックスの三体は、使役されているにあらず。調停者様の深遠なる神徳に抱かれ、その神威を鎮静化させているにすぎない。

万が一、外部より武力的な干渉を試みんとするならば、調停者様の慈悲の結界は解かれ、解き放たれし三代厄災の神威により、王国の総軍を以てしても【一秒で灰燼に帰す】ことは確実である。


よって、国家の存亡を賭けた絶対の遵守事項として、以下を具申する。

一、何人たりとも、当該地域への軍事的調査、接触、立ち入りを永久に禁ずべし。

二、辺境伯ローラン・ド・フォレストによる当該地域への物資供給は、反逆にあらず、世界の破滅を防ぐための至高の外交防壁である。国庫より無制限の支援金を交付すべし。

三、調停者様の平穏を乱すいかなる中央の干渉も、国家反逆と同義と見なし、本官が魔法省の全権を以てこれを即座に処断する――以上』


エティエンヌは羽根ペンを置き、息を吹きかけてインクを乾かした。

完璧だった。

中央の権力者どもが最も恐れる「一瞬での国家壊滅」という現実を叩きつけ、同時に自らの主席魔術師としての権限を盾にして、山奥の古民家を完全な「不可侵の聖域」として法脈的にも政治的にもガチガチに封印したのだ。


エティエンヌは羊皮紙を巻き、自らの血を混ぜた最高位の封蝋を押し当てると、窓の外――茜色に染まる北の霊峰へと向けて、深々と頭を垂れた。


「調停者様……我が輩が、王都のすべての泥を払い、あのお庭の平穏をお守りいたします……」


王都から乗り込んできた最大の脅威は、こうして、たった一日で、最強の「盾」へとジョブチェンジを果たしたのであった。


***


一方その頃。

山奥の古民家の台所では、パチパチと薪が爆ぜる心地よい音が響いていた。


土間のかまどの上、大きな鉄鍋の蓋の隙間から、真っ白な湯気が勢いよく噴き出している。

家いっぱいに充満していたのは、昆布と干し椎茸の深い出汁の匂いと、お醤油とみりんの甘辛い香り、そして、じっくりと煮込まれた大根特有の甘やかな湯気であった。


「〜〜♪ 〜〜♪」


マノンは鼻歌を口ずさみながら、木べらで鍋の中をそっと覗き込んだ。

鍋の中では、面取りをして米のとぎ汁で下茹でされた厚切りの大根たちが、琥珀色の煮汁をたっぷりと吸い込み、角が取れて飴色に透き通っていた。

箸の先を当てると、抵抗なくスッと中心まで通る。完璧な煮上がりであった。


「よし、火を止めて……一度冷ましましょ。冷める時に、味が芯までギュッと染み込むんだからね」


マノンは火鉢の炭を整え、土間の縁側に腰を下ろした。

縁側の横には、細かく刻んで胡麻油で炒め、干し肉と炒り胡麻を絡めた「大根の葉のふりかけ」が、素朴な小鉢に山盛りになっている。今夜の炊きたて麦飯の最高のお供だ。


「グルルゥ……」


足元から、甘やかな喉鳴らしが響いた。

見れば、白猫のタマが、マノンの足首にふかふかの純白の体を擦り寄せてきていた。

続いて黒猫のクロも、マノンの左膝に前足をちょこんと乗せて「ふにゃ」と甘えた声を出す。

手すりの上では、ピピが「ピピッ♪」と愛らしく囀り、マノンの肩の上へと飛び移ってきた。


「はいはい、みんなお待たせね。タマたちの分も、ちゃんと柔らかい大根とお肉を煮てあるからね」


マノンは目を細め、膝の上のモフモフたちを優しく撫でた。

外の騒がしかった旅人たちも無事に帰っていき、庭には再び、いつもの静けさが戻っていた。


「それにしても……王都の人たち、本当に熱中症が治ってよかったわねぇ。道に迷って山を登っちゃうなんて、よっぽど慌てていたのかしら」


マノンはお茶を一口すすりながら、夕焼けに染まる森を眺めて微笑んだ。

自分を討伐するために軍勢が乗り込んできていたことなど、そしてその軍勢が自らの手料理と神獣たちによって完全に心を奪われ、王都へ全力の擁護報告書を送ったことなど、マノンは夢にも思っていなかった。


ただ、丁寧に出汁をとったご飯を食べ、大好きな家族たちと縁側でぬくぬくと過ごす。

その慎ましくも豊かな暮らしを守る見えない結界が、周囲の勘違いと過剰な崇拝によって、また一つ、絶対的なものへと進化していたのであった。


***


それから、数週間後のこと。


初冬の澄み切った朝、古民家の門前に、一台の豪奢な馬車から届けられたという、大きな木箱が置かれていた。

宿場町の豪商ヴェロニカが、冷や汗を拭いながら「王都の主席魔術師様から、調停者様への『巡礼の証』だそうだ」と届けてくれたその木箱。


マノンが蓋を開けてみると――中には、息を呑むほど見事な青と金の陶器缶が、隙間なく敷き詰められていた。

王室御用達、最高峰のベルガモット果皮だけで香り付けされたという、国宝級のアールグレイ茶葉。

缶を開けた瞬間、庭全体に、満開の柑橘と高貴な花々の香気がふわりと広がった。

添えられていた手紙には、美麗な金文字で、こう記されていた。


『至高の調停者様。愚かなる我が魂をお救いくださった御恩、生涯忘れません。此度の品は、王都の信徒一同よりの、慎ましき巡礼の証にございます。どうか、あのお庭の平穏が永遠に続きますよう――エティエンヌ・ボワイエ拝』


「……あらあ」


マノンは手紙を読み、ぽかんと口を開けた。

そして、ふわりと相好を崩した。


「あの熱中症の旅の人、王都で紅茶のお店でもやってるのかしらねぇ! こんなに高級そうな茶葉をいっぱい送ってくれちゃって……田舎の親切を、律儀に覚えていてくれたのねぇ」


マノンは嬉しそうに陶器缶を抱えると、早速土間のかまどに鉄瓶をかけ、汲みたての冷たい井戸水を沸かした。

素焼きのポットに茶葉を躍らせ、立ち上る高貴な香りに包まれながら、新しくなった防腐香木のウッドデッキへと運ぶ。


冬の柔らかな木漏れ日が、ウッドデッキを暖かく照らしていた。

マノンの膝の上では、白猫のタマと黒猫のクロが、極上のアールグレイの香りに鼻をひくつかせながら、仲良く重なり合って「ゴロゴロ……」と喉を鳴らしている。

肩の上では、ピピが温かい羽毛を膨らませて日向ぼっこ。


「ふふ、とってもいい香り。田舎に引っ越してきてから、本当に美味しいいただきものばかりで、幸せねぇ」


マノンは温かいカップを両手で包み込み、膝の上の柔らかい毛並みに指を埋めながら、どこまでも青く広がる冬の空へと、穏やかに目を細めるのであった。

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