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第39話:出撃の進軍喇叭と、ため息をつく辺境警備隊

――パァァァァァーーン、パパパ、パァァァーッ!


晩秋の冷たく澄み切った青空を切り裂いて、金属質の甲高い喇叭(らっぱ)の音が響き渡った。

それは王都の直轄魔導軍団が、国家の敵を討ち滅ぼす出撃の際に吹き鳴らす、伝統ある進軍の調べであった。普段ならば勇壮にして華々しく、領民たちを鼓舞するはずのそのファンファーレは、しかし、フォレスト領の乾いた空気の中では、どこか滑稽なほどに空虚に木霊していた。


領主館の正面広場。

石畳を踏み鳴らし、整然と隊列を組んでいるのは、王都からエティエンヌ・ボワイエが引き連れてきた五十名の精鋭魔術兵と重装歩兵たちであった。

磨き抜かれた軽銀の甲冑は秋の陽光を浴びて白銀にギラギラと輝き、手にした長大な魔導槍の穂先からは、微細な魔力光の火花がパチパチと弾け飛んでいる。彼らの背後には、あの悪趣味なまでに金箔と彫刻で飾り立てられた四頭立ての金ぴか馬車が鎮座し、御者台の横には王家の紋章旗が風を孕んで誇らしげにはためいていた。


「進軍せよ! 辺境に巣食う不穏分子どもに、中央の魔導の威光を刻みつけてやるのだ!」


馬車の窓から顔を覗かせたエティエンヌが、冷たい銀縁眼鏡の奥の瞳をギラつかせながら、指揮杖を高く掲げて号令を下す。

五十名の兵士たちが一斉に靴底を打ち鳴らし、重々しい金属音を響かせながら、北の山道へと向けて行軍を開始した。

威風堂々。破竹の勢い。彼らの表情には、田舎の貧乏領主を威圧し、山奥の怪しい小娘を一捻りにして手柄を立ててやるという、傲慢な自信が満ち満ちていた。


「……はぁぁぁぁぁぁぁ……」


その勇壮な出撃風景を、広場の片隅にある辺境警備隊の詰所の陰から見送っていたセリア・クローデルは、肺腑の底に残っていたすべての空気を吐き出すかのように、長く、深く、果てしないため息を零した。

あまりにも重いため息に、肩口の革製ベルトが擦れてキュッと小さな音を立てる。


「副隊長、お疲れ様です……。あのため息、寿命が三年分くらい縮んでそうですね」


背後から声をかけてきたのは、警備隊の若手衛生兵であるルカだった。二十歳そこそこの若い兵士で、普段は訓練での生傷の治療や薬草の調合を担当している気のいい青年だ。

セリアは前髪をくしゃりと手袋越しに掻きむしり、眉間を指の腹で強く揉みほぐした。


「三年で済めばいいけれどね。……私の胃壁の寿命は、今日だけで十年分は削れた気がするわ」

「あはは……でも、最近の副隊長、以前みたいに顔色を真っ青にして胃薬をポリポリ噛み砕く姿を見なくなりましたよね? 肌もなんだかツヤツヤしてますし」

「余計な詮索はいいの。ほら、手を動かしなさい、ルカ。荷積みの進捗はどうなっているの?」


セリアが踵を返して詰所の裏庭へと足を踏み入れると、そこには異様な光景が広がっていた。


本来、軍隊の出撃に際して行われるべきは、予備の矢や剣の手入れ、防具の点検、そして補給食糧の積み込みであるはずだった。

しかし、詰所の裏庭に並べられていた三台の頑丈な幌馬車に積み込まれていたのは、武器など一つもなかった。


ズラリと並べられた、折りたたみ式の木製担架が三十台。

煮沸消毒を施され、清潔な麻布で几帳面に巻かれた包帯の山が、木箱に十箱。

患部の熱を瞬時に吸い取る冷却用の水湿布。

骨折した手足を固定するための副木(ふくぼく)が大小数十本。

さらには、高熱の火傷を一瞬で鎮静化させるアロエと蜜蝋の軟膏樽、そして絶対零度の凍傷によって壊死しかけた皮膚を再生させるための特級保温膏の瓶が、所狭しと詰め込まれていた。


「報告します! 担架のロープの張り具合、すべて点検完了しました! 外傷用の止血帯も規定の三倍の数を確保してあります!」

「衛生班、いつでも動けます! 毛布は五十人分、荷台の底に敷き詰めてあります!」


詰所の庭でテキパキと指示を飛ばし、物資を検分している警備隊員たちの動きは、王都の魔術兵たちよりも遥かに研ぎ澄まされ、無駄がなかった。

だが、その任務内容は――完全なる「敗残兵の大規模救護」であった。


「……セリア副隊長」

ルカが、包帯の木箱を馬車へ積み込みながら、恐る恐る声をひそめて尋ねてきた。

「あの……本当に、止めなくてよかったんですか? 王都の特使様ご一行……あんなに物々しい喇叭を吹き鳴らして、大軍で乗り込んでいっちゃいましたよ。ローラン様やギルバート隊長のお力で、なんとか足止めすることはできなかったんですか?」


ルカの素朴な疑問に、セリアは乾いた笑いを漏らすしかなかった。


「止めようとしたわよ。ローラン様は喉から血が出るんじゃないかっていうくらい必死に説得されたし、ギルバート隊長なんて、プライドを全部捨てて『手ぶらで果物でも持って一人で行け』って、涙ぐましい忠告までしてくださったわ」

「えっ、隊長が……果物を……?」

「ええ。でも、あのエリート官僚殿は鼻で笑い飛ばしたわ。『田舎者の戯言』『魔獣の餌付けで生き延びていた腰抜け』ってね」


セリアは腕を組み、冷たい木枯らしに揺れる木々を見上げた。

エティエンヌのあの傲慢な嘲笑が、今も耳の奥底にこびりついて離れない。

王都の温室で育ち、机の上の魔導理論と権力闘争だけで出世の階段を駆け上がってきた男。

現場の空気の匂いも、土の冷たさも、そして本物の天災が放つ理不尽なまでの神威の質量も知らぬまま、肩書きと紙切れの勅命状だけで世界を支配できると信じ込んでいる哀れな道化。


「忠告はしたわ。……領主館の全責任として、言える限りの警告はすべて尽くした。それを踏みにじって、自ら地獄の窯の蓋を開けに行ったのよ。これ以上、私たちに何ができるというの?」


「それは、そうですけど……」

ルカは首をすくめ、北の山裾を不安そうに見つめた。

「でも、相手はあの古代神獣フェンリルに、冥界獣キマイラ、それに不死鳥フェニックスなんですよね……? 本当に、大丈夫なんですか? 特使様たち……生きて帰ってこられますか? 山ごと更地にされて、灰の一粒も残らないんじゃないかって、隊のみんなも内心ガタガタ震えてるんですけど……」


「大丈夫よ」


セリアの声には、迷いがなかった。

かつてなら、自分自身が誰よりも恐怖に震え、胃薬を握りしめながら遺書を書いていたはずだった。

だが、今のセリアには、確信があった。

あの素朴な平屋の庭先で、マノンが淹れてくれた温かいハーブティーの味を知っている。

焼きたてのスコーンの香ばしさと、手作りの野イチゴジャムの甘酸っぱさを知っている。

泣きじゃくる令嬢レオノールの背中を、優しく、優しく撫で続けてくれた、あの前掛け姿の娘の温かな手のひらの温度を、知っているのだ。


「彼らは……死にはしないわ」

セリアは静かに、けれど絶対の信頼を込めて言った。

「あのマノン様が、自らの敷地内で無駄な殺生をお許しになるはずがないもの。あのお方は、迷子になったお嬢さんを縁側に上げて手当てし、行き倒れかけた私にも温かいお茶を分けてくださる、至高の慈悲をお持ちの方よ。神獣たちだって、あのお方の前で血肉を散らすような真似をすれば、あのお方が悲しまれると知っているはずだわ」


「は、はぁ……」

ルカは狐につままれたような顔をしている。

神獣を使役する恐るべき調停者のはずなのに、副隊長が語るその姿は、まるで近所の面倒見のいい優しいお姉さんそのものだったからだ。


「ただね、ルカ」

セリアはふっと目を細め、底知れぬ同情を込めて付け足した。


「死にはしないけれど……人としてのプライドと、魔術師としての尊厳は、跡形もなく木っ端微塵になるでしょうね」


「えっ……」


「想像してみてごらんなさい。中央の最高学府を出て、若くして主席宮廷魔術師の座に就いた大天才様よ? 自分が編み出した最新の結界や魔導兵器を引っ提げて、意気揚々と乗り込んだ先で……己の全力の魔法が、ただの黄色い小鳥のひと羽ばたきで霧散させられるのよ? 誇り高き魔導槍の数々が、黒猫のひと転がしで飴細工みたいに粉砕されるのよ? そして最後は、エプロンをつけた田舎娘に『あらあら、熱中症かしら』って、冷たい井戸水と梅干しを口に突っ込まれるのよ……?」


セリアの生々しすぎるシミュレーションに、ルカの顔がサーッと青ざめていった。


「う……うわぁ……」

ルカは思わず自らの胸を押さえ、呻くような声を漏らした。

「そ、それは……肉体的に引き裂かれるより、精神的にキツいですね……。一生立ち直れないトラウマになりそうだ……」


「でしょう? だからこその、この救護班よ」

セリアはポン、と荷台の上の担架を叩いた。

「私たちは、吹き飛ばされて山林に転がった彼らの肉体を回収し、折れた骨を繋ぎ、凍傷の手当てをする。そして何より――完全に心がへし折れて幼児退行しかけているであろう特使殿を、優しく毛布で包んで領都へ連れ帰る役目があるのよ」


その言葉に、周囲で作業をしていた警備隊員たちから、乾いた苦笑と、深い哀悼の溜息が漏れ出した。

もはや隊員たちの胸中には、王都の軍勢に対する警戒や敵意など、微塵も残っていなかった。

あるのは、これから世界の理不尽の直撃を受け、完膚なきまでに精神を破壊されるであろう哀れなエリートたちへの、純度百パーセントの「同情」だけであった。


「よし、全員手を止めろ!」


詰所の奥から、重々しい足音とともにギルバート隊長が姿を現した。

その手には、先ほど領主館でローランから託された、真新しい作戦指示書が握られていた。

大剣は佩いていない。隊長もまた、軽装の革鎧に救護用の大型水筒を肩から斜め掛けにしているだけだった。


「救護馬車三台、衛生兵十名、護衛二十名。これより我らは、王都特使隊の後方を距離一キロを保って追尾する! くれぐれも言っておくが、絶対にマノン様の敷地内へ足を踏み入れるな! あそこは先日、領主代行閣下より【不可侵聖域】の布告が出された絶対領域だ!」


ギルバートは鋭い眼光で隊員たちを見回し、低く厳格な声で命じた。


「我らの任務はただ一つ。敷地の外へ弾き飛ばされてきた特使隊の残骸を、迅速かつ丁寧に回収することだ! マノン様のお庭を血や瓦礫で汚すようなことがあれば、この俺が貴様らを叩き出すと思え! 怪我人の回収後は、即座に後退し、毛布で暖めてやれ! いいな!!」


「「「ははっ!!」」」


警備隊員たちの統率の取れた返答が、秋の空へと響いた。

救護班の出撃としては、前代未聞の気迫と規律。

隊員たちは手早く馬車へ乗り込み、手綱を握り、それぞれの配置へとついた。


セリアもまた、愛馬の鞍へと身軽に飛び乗った。

手綱を握る手袋の感触を確かめ、ふと自らの軍服の胸ポケットへと手をやる。

そこには、昨晩マノンからのお土産としてレオノールが持ち帰ってくれた、あの特製ビスコッティの包みが大切に収められていた。

指先で布越しに触れると、カリッとした硬い感触とともに、大麦と蜂蜜の甘く香ばしい匂いが微かに立ち上ってくるような気がした。


(マノン様……)


セリアは北の山並みを見つめ、心の中でそっと祈りを捧げた。

どうか、あの馬鹿な特使の無礼で、あのお方の穏やかな一日が台無しにされませんように。

せっかく干したばかりのハーブのカーテンが、風圧で落ちたりしませんように。

お庭の白猫や黒猫たちが、不快な羽虫を追い払う程度の手加減で済ませてくれますように――。


「出発だ!」


ギルバートの号令とともに、三台の救護馬車が、ガタゴトと静かに動き出した。

前方を走る金ぴか馬車のような、けたたましい喇叭の音はない。

ただ、車輪が落ち葉を踏みしめる乾いた音と、馬の鼻息だけを響かせながら、辺境警備隊は、哀れな獲物たちを回収するための後方支援任務へと、静かに山道を登り始めたのであった。


晩秋の山林は、静まり返っていた。

木々の間を吹き抜ける風が、まるで嵐の前の静寂のように、ひんやりと冷たく肌を撫でていく。

遠く前方の山あいの小道からは、依然として調子外れな進軍喇叭の音が、まるで自らの破滅を告げる鐘の音のように、虚しく響き続けていた。

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