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■■ 21 ■■
夕時を少し前にして――
関東にさしかかる山中、群馬県伊香保の温泉の露天風呂にて。
「……」
岩に背をもたれながら、妖狐・神楽坂文は空を、虚空を眺めていた。
浮かぶ湯煙の形を目で追いながら、
「フゥ……」
と、ゆっくりと息を吐いた。
人間に例えれば、酒でも飲みたくない心境か。まあ、ほぼ人間の姿であり、酒も飲めるのだが――いや、酒どころかガソリン、フッ化水素水のテキーラ割ですら、ジュースのように難なく飲めるのだが……
とはいえ、今は酒どころではない。
療養の身であるとともに、ある“秘策”があって、この湯に佇んでいるのである。
ひび割れていた顔面も修復され、妖力は回復しつつある。
静寂なひと時……
しかし、湯煙の合間を縫ってか、“それ”は聞こえてきた。
――スッ、コーン……、スッ……、コーン……
と、どこか少し遠くから響く、奇岩の山々に反響する小気味良い音――
「……」
妖狐は口元に手を当て、――何か思ったのか、ザッ……と湯から上がった。
水が滴れながらも、妖力からか、その肌は瞬間に乾き、湯けむりとともに戦闘女子ヒロインものの変身のごとく、短パンにシャツとラフな姿になっていた。その長い髪は麗しく半乾きのままに……
さらにそのまま、
――フワッ……
と、妖狐・神楽坂文は体を浮かせ、宙に舞う。
そこから瞬間移動を、――まるで中世日本の山々の要所を繋いで行われていた手旗通信のごとくヒョイヒョイと、高速で音源の方へと向かって行った。
標高はそれほどでもないが、中国の仙境や水墨画を思わせるような急峻な岩山の群れ群れ。
霞を縫って辿り着いた先――
近づくと、そこに“彼ら”は“いた”……
人の姿の者から、異形の姿の者まで。
神でいうところ、彼らはギリシャ神話というより
は、八百万の神々の様ないでたちをしているように見えた。
酒を飲みつつ、サイコロ、札遊びに興じる者など、様々に。
その中のある者を見てみるに、何やら向かいの岩山に――松の木に“的”のようなものがセットされており、それを弓矢で射って遊んでいるようだった。まあ、ただ遊んでいるというよりも、何かの賭け事とセットなのだろうが……
そうしていると、“謎の連中”が、妖狐・神楽坂文の方を見た。
「よぉ~、妖孤のダラが来たぜぇ!」
「ちっ、短パンにシャツって、ラフすぎだろ! もう少しTPO意識しろや!」
酒に酔ったように、彼らは野次ってくる。それも、どこか互いに知り合いであるように。
「フン、人がのんびりと温泉に入っていたというのに。このダラどもめ……」
やれやれと妖狐が言ったそばから、
「――あまり偉そうなことを言うもんじゃないですぜ、妖狐の旦那」と、北欧神話にでも出てきそうな長い金髪に、なぜか歌舞伎者のような格好をした男が、後ろから手をまわして妖狐の首に剣をチラつかせる。「こちとら“債権者”、そして旦那はアンシャント多重債務者……、エターナル多重債務者ぁ……! コズミック多重債務者ぁ~……! バラバラにしてやりますぜぇ、旦那……」
また、そんな状態の妖狐の前から、
「――そうよ、アナタ、妖力の消耗で随分弱体化したらしいじゃない? ああ、早くアナタを調教させてよ」
と、今度は日本神話のイザナミに似た白装束に黒いオーラを沸々と沸き立たせた女が、妖狐の顎を征服するように掴んでみせた。
そのように、“謎の者”たちは妖狐を威圧しようとするも、
「ふむ。デカいことを言いおって……。――なら、貴様たち【神楽坂】の連中、まとめてかかってくるがよい。弱体化したとはいえ、貴様たちを返り討ちにして仕置きできるくらいはできよう……」
「ちっ……! あんまり、強がるもんじゃねぇですぜぇ……」
「……」
と、なおも底に秘めた妖力をチラつかせて動じない妖狐の気配に、軽く戦慄させられてしまう。
「まったく。確かに、私の妖力はリボ払い式で貴様たちに借りがあるが、この世界に降り立つことを、“賭けを引き受けてやった”のは私であるからな。……それに、弱体化などしてすでに久しい。人間で例えれば、全身骨折したうえに、ギンピギンピでできたガウンで体を擦られながらフッ酸をぶっかけれているに等しい苦痛が常時続いている状態だ」
「よく耐えれますなぁ、旦那……。逆に、呆れちまいまさぁ」
「ほんと、それでよく生きてるわね。まあ、調教しがいがあるかもしれないけど……」
さらりとおぞましい説明をする妖狐に、金髪の北欧歌舞伎男とイザナミ似の女はかえって呆れてしまった。
なお、ギンピギンピとはオーストラリアに原生する植物で、触れると長期に渡って人体に激痛をもたらすという、超をつけてもよいレベルに凶悪な植物である。フッ酸に関しては、言うまでもない。
そうしていると、何やら目の前で行われようとしていた。
まるでカエルの妖怪の姿をした者が――まるで『鳥獣戯画』にも出てきそうなカエルが、弓を番えようとしていた。
「うっしょこら、うっしょこら……」
やや不器用な感じだが、カエルは弓は構える。
「おーい! あいつは絶対外すだろ!」
「ヒヒヒ! 次はどう賭けとくかい?」
外野から野次る声がする。
これにも、何か賭博をしているようである。
「――で、何をやっておるのだ、貴様ら?」
妖狐・神楽坂文が聞いたところ、横から、「おい、狐! お前さんも飲めや!」と、仙人のような姿をした者が徳利を掲げて酒を進めてきた。
「ふむ。良かろう――」
妖狐・神楽坂文は、“連中”の方を見た。
そして、
「――だが断る」
「「「――!? どっちやねん!!」」」
と、某マンガをパクったかのような妖狐のボケに、八百万の奇妙な者ども一同はガクッとコケながらつっこんだ。
「ああ、スマンな。いや、少し昔にな、この国の航空業界でも飲酒問題があってな」
「そこかい!」
「けっ! 何言ってんだ? ふざけやがって……」
またしても、彼らは順々につっこむ。
「ああ、いちおうな、飛ぶときは控えめには飛んでおるぞ。山の稜線に沿って、低空でな」
「何が控えめだ、全く……」
そのように、妖狐と奇妙な者たちがやりとりをしていると、
「おーい! おーい! 射るぞぉ!」と、しびれを切らしたようにカエルが叫んだ。
「おう! わりぃわりぃ!」
「ああっ! ありゃ絶対ミスる! 絶対ミスる!」
外野は野次を飛ばす。
「むぅぅ……! バカにしやがって!」
カエルはムスッとしながらも、気にしようとせず、矢を構える。
「うっしょこら……」
気合を入れて、弓を引く。
そして、
「うおぉっ――!」
と、反動を堪える声を上げながら、カエルは矢を放つ。
そのまま、ヒュッ――と虚空を飛翔する矢の軌跡を追う。
すると、
――スッ……コーン……!
と、中心ではないにしろ、矢はほぼその近くには当たっていた。
「おお、なかなかじゃねぇか!」
「どうだっ! 俺も、やるときはやるんだ!」
カエルは胸を張った。
「ちっ! いちおう的の中には入れやがったか」
「ああ、そしたら、俺は負けじゃねえか! クッソ、おもしろくない」
中には賭けに負けたものもいるようだった。
「どうだ、当てたぞ、妖狐! フンスーッ!」
カエルは神楽坂文に向けてドヤ顔をしてきた。
「ああ、そいつはよかったな」
妖狐は軽く流しつつも、横から、「――で、お前は何しに来たんだ? 妖狐」と、こちらは日本の『古事記』にでも出てきそうな白衣装の男が聞いてきた。
「こちらこそ、どうしてお前たちがいるのか、というところだがな。まあ、“今回の件”に関してな、ちょっと秘策を講じねばならなくなってな」
「は? 秘策?」
イザナミ似の女が、半分黒いオーラを出しながら聞いてきた。
「ああ」
妖狐は適当に頷きながら、松の薪に火をつけ、浄火のごとく燃やして焚く。
煙は昇り、空に広がっていく。
「まったく……。今しがた妖力を回復させたというのに、また莫大に使わねばならんとは……。碇賀のヤツめ、――いや、『月に棍棒を投げる会』とやらめ……」
妖狐はやれやれと、脱力したように言った。
その髪はやや銀髪が混じりながら、再び肌にうっすらヒビが入っているように見えながら……
「フン、旦那。相変わらず、妖力を浪費しますなぁ」
「まあ、そう言うな。今回ばかりは、仕方なかろう。私はよかろうが、人間どもには、さすがに月が消滅してはマズかろう」
「あら? 以外に献身的ってヤツじゃん」
歌舞伎のヤツとイザナミ似は呆れながらも、妖狐に感心した。
「――ちなみに、私の質問の答えはないのか? 貴様たち」
今度は神楽坂文が聞く。
「ああ、いつもどおりさ。俺ら、“設計者たちの世界”、【神楽坂】の遊び――」
古事記の男と、
「ひゃひゃひゃ! そうじゃ、今度の件でお前さんがどうなるのかを、愉しみに見ておるのさ。賭博と酒に興じながらのう」
仙人のヤツが、酒に笑いながら答えた。
「――まあ、アタシは願わくばさ、いつかアナタが失敗して、この世界でバラバラにされる姿を見てみたいわ。まあ、いつかアナタを殺すのは、人間たちになろうけどね、フフフフ! それが嫌ならいつでもアタシに言ってちょうだい♪ 助けてあげる代わりに、億千年とアナタを調教してあげるわ♪」
「……」
イザナミ似に絡まれながら、妖狐・神楽坂文はやれやれと無言で煙の行方を見守りながら誤魔化した。
──続く




