第二話 帰り道は、たいてい賑やかになる
課後。
校舎の窓が夕方の色に染まり始める頃、僕と副部長は校門を出た。
目的はロケハン。
写真部の春季展示に向けて、街の撮影ポイントを押さえておく。
名目上はそれだ。
でも正直に言えば、僕にとっては副部長と二人で歩くこと自体が、すでに一つのイベントだった。
隣を歩く桐島先輩は、片手に小さなメモ帳、もう片手にコンパクトカメラを持っていた。
「商店街の花屋の角、光が綺麗に落ちるのよ」
「詳しいですね」
「去年も撮ってるから」
「毎年同じ場所ですか」
「同じ場所でも季節も時間も違えば別物よ」
そう言って、先輩は少しだけこちらを見た。
「写真部なのに、そういうこと言わせないで」
「……すみません」
言い方はいつも少しきつい。
でも、それが嫌じゃない。
むしろ、落ち着く。
商店街へ向かう途中、学校脇の小さな花壇で先輩が立ち止まった。
「あ」
「どうしました」
しゃがみ込む。
咲いていたのは黄色い花だった。
「この花、菜の花?」
先輩が少しテンションの上がった声で言う。
「え、いや花なら先輩の方が詳しいでしょ」
僕の返しをほぼ無視して、先輩は花を覗き込んだ。
「あ、そうか。菜の花だ」
「おー」
自然に返していた。
その瞬間、先輩がくすっと笑った。
「何ですか」
「今の返し、妙に夫婦っぽい」
僕の心臓が一瞬止まった。
「……え?」
「冗談よ」
冗談に聞こえない。
聞こえないんですけど。
僕が固まっていると、先輩は立ち上がってカメラを構えた。
「ほら、夕陽入るわよ。ぼーっとしてないで」
「はい!」
慌てて僕もカメラを取り出した。
そのときだった。
「竹内様!」
背後から、聞き慣れた元気な声。
振り返るまでもない。
「……来た」
コンロボ型インフラ管理ロボが、歩道の縁石を器用に乗り越えながらこちらへ向かってきていた。
胸のランプがやたら明るい。
「お疲れ様でございます!」
「何でいるんだよ」
「巡回中です!」
「絶対違うだろ」
「精神的安定の確認に参りました」
「お前のだろ」
「双方です!」
先輩が腕を組んで見下ろした。
「また竹内に付きまとってるの?」
「付きまといではありません。業務上の好意的接触です」
「言い換えても変わってないわよ」
コンロボ型は先輩を見上げた。
「写真部副部長様」
「何」
「竹内様の表情筋活動量が本日は通常比1.7倍です」
僕は固まった。
先輩がゆっくりこっちを見る。
「へえ」
「違いますよ!」
「何が」
「何がって」
「楽しそうってことじゃない」
「……」
否定できない。
先輩は口元だけで少し笑った。
「まあ、いいわ」
そして僕のネクタイを軽く整えた。
何気ない仕草だった。
でも、距離が近い。
近すぎる。
「風で曲がってる」
「……ありがとうございます」
「写真部の部長代理なんだから、最低限ちゃんとしなさい」
「部長代理って」
「部長はまた行方不明なんでしょ」
「まあ……」
うちの部長はカリスマなのに自由人すぎる。
今朝から見ていない。
見ていないが、どこかで何か面白いことをしているに違いない。
そのとき、商店街の方からざわめきが聞こえた。
人が集まっている。
「また何かあったんですかね」
先輩が目を細める。
「見に行く?」
僕たちは商店街の角まで歩いた。
人だかりの上を見上げる。
街灯の上に、金色の鳩が五羽。
しかも、その上空に銀色の小さな点が三つ。
ドローン――いや、UFOにも見えなくはない。
「うわ……」
周囲の人がスマホを構えている。
「マジで増えてる」
「ニュースでやってたやつだ」
「宇宙人だろこれ」
コンロボ型がなぜか胸を張った。
「地域安全に寄与します!」
「お前何もしてないだろ」
「竹内様の不安軽減に成功しています」
「それも微妙なんだよ」
その瞬間。
空の銀色の点が一つ、ゆっくりと降下した。
人だかりが一斉に後ずさる。
「やば」
僕が思わず呟く。
先輩が無言で僕の制服の袖を掴んだ。
たぶん、無意識だった。
でも、その一瞬だけ、僕は空よりも、その指先の方を意識してしまった。
銀色の物体は地面すれすれまで降りてきて――
商店街の植え込み脇にしゃがみ込んだ。
細いアームが伸びる。
雑草を一本、抜いた。
沈黙。
「……え?」
もう一本。
もう一本。
ものすごく丁寧に雑草を抜いていく。
コンロボ型がぽつりと言った。
「美化活動です」
先輩が呆れたように息を吐いた。
「ほらね」
「いや、ほらねって」
空を見上げると、残りの二機も別の植え込みへ降りていくところだった。
周囲のざわめきが、だんだん困惑に変わる。
「……宇宙人じゃないのか?」
「ただの掃除?」
僕はしばらくその光景を見ていた。
世界は勝手に騒いでいる。
でも実際に起きていることは、意外とどうでもいい。
そんな気がした。
隣で先輩が小さく言った。
「撮る?」
僕はカメラを構えた。
「……はい」
夕陽の中、雑草を抜く銀色の小型機。
その手前で胸ランプを誇らしげに光らせるコンロボ。
そしてやや近い、副部長の横顔。
シャッターを切った。
たぶん、今日一番いい写真だった。
商店街での妙な騒ぎが落ち着いたころには、空はすっかり夕方の色になっていた。
オレンジと薄い群青が混ざった、写真にすると妙に映える時間帯だ。
「このまま帰る?」
副部長――桐島先輩が聞いた。
僕はカメラをしまいながら答える。
「どうします?」
「ショッピングモール寄るわよ」
即答だった。
「ロケハンですか?」
「半分」
「半分?」
「残り半分は時間つぶし」
そう言って先輩は歩き出した。
僕も自然についていく。
この流れが、いつから当たり前になったのか、自分でもよくわからない。
モールは学校から徒歩十分ほど。
地方都市によくある、中途半端に大きくて、中途半端に全部揃っているタイプだ。
服屋、本屋、雑貨屋、フードコート、ホビーショップ。
高校生にとってはちょうどいい。
入口をくぐったところで、先輩が言った。
「一時間」
「え?」
「一時間後に、二階の時計前」
「……別行動ですか」
「何、その言い方」
「いや」
先輩は少し笑った。
「ホビーショップ行きたいんでしょ」
「……まあ」
「顔に書いてある」
「書いてないです」
「書いてある」
言い切られた。
その口調が妙に自然で、僕は笑ってしまった。
「じゃあ、先輩は」
「服見る」
「ですよね」
「何その納得」
「いや、いつもそうなので」
「いつもって」
先輩が少しだけ目を細める。
「……あんた、こういうの慣れてきたわね」
「何がです?」
「私とこうしてるの」
心臓が一拍遅れた。
僕は一瞬言葉を失う。
でも先輩はすでに視線を店の方へ向けていた。
「じゃ、一時間後」
「はい」
そうして別れた。
――別れた、はずだった。
十分後。
ホビーショップのプラモデル棚の前で、僕は妙な気配を感じた。
「……何でいるんだよ」
振り返る。
いた。
コンロボ型インフラ管理ロボ。
しかもなぜか、僕の真横で同じ棚を見上げている。
「巡回中です!」
「絶対違うだろ」
「竹内様の精神的充足度向上を確認しています」
「それ仕事じゃないだろ」
「結果としてインフラ業務にも寄与します」
「もうその理屈やめろ」
ロボは小さなアームを棚に向けた。
「こちらのヒーロー変身ベルトは高評価です」
「何で知ってるんだよ」
「坂本様が以前三個購入されました」
「……あの人ならやりそうだな」
僕がため息をついた、そのとき。
「へえ」
後ろから声。
振り向く。
副部長だった。
服屋に行ったはずでは。
紙袋を片手に持っている。
「竹内、こういうの好きなんだ」
「……好きですけど」
「知ってる」
「なら聞かないでくださいよ」
先輩は棚を見上げた。
「これ、何のベルト?」
「宇宙刑事ギャバリンです」
「知らない」
「ですよね」
コンロボ型が横から胸を張る。
「坂本様は保管用も必要だとおっしゃっていました」
「絶対その人の影響だろ」
副部長がふっと笑った。
「なんか、あんたら三人でいると家族みたいね」
僕は固まった。
コンロボ型が即答する。
「私は竹内様専属です!」
「いやそこ張り切るな」
先輩が紙袋を軽く持ち上げた。
「で、もう見終わった?」
「まあ……だいたい」
「じゃ、帰るわよ」
「はい」
自然だった。
本当に自然に、僕はその返事をしていた。
二階の時計前で待ち合わせる約束だったのに、結局こうしてまた一緒に歩いている。
それが当たり前で。
付き合っているわけでもないのに、ずっとこうしてきたみたいな空気があった。
帰り道。
モールを出たところで、先輩が急に立ち止まった。
「……ねえ」
「はい?」
「今日の写真、見せて」
スマホに取り込んだデータを見せる。
夕陽。
雑草を抜く小型UFO。
金色の鳩。
コンロボ型。
そして、商店街のガラスに映り込んだ、僕と先輩の後ろ姿。
先輩はその一枚で指を止めた。
「……これ」
「失敗ですかね」
「違う」
少しだけ、声が柔らかかった。
「これ、好き」
「え?」
「なんか、普通で」
「普通?」
「うん」
先輩は画面の中の後ろ姿を見たまま言った。
「こういうの、なんか、いい」
僕は何も言えなかった。
コンロボ型が横からぼそっと言う。
「竹内様の心拍数が上昇しています」
「お前は黙ってろ!」
先輩が吹き出した。
笑い声が、夕方の風の中に少しだけ残った。
その帰り道。
学校の方向の空に、また金色の鳩が二羽、増えていた。
でもその時の僕にとって、それより気になっていたのは。
隣を歩く副部長との距離が、さっきよりほんの少し近い気がしたことだった。
翌朝。




