一日目
1月29日。晴れ。
日記というものをつけてみようと思う。
今までこんなものを書いた事はなかったが、急に、だ。
不思議な事があった。いや、不思議なものに出逢った、と言うべきだろうか。
とにかく、今日から日記をつけてみよう。いつまで続くかは分からないが、分かる必要もないだろう。
ただつらつらと書くだけなのは面白味がないだろうか?
だがまぁ誰が読むというわけでもない。好きなように書いてみよう。
小説風にしてもいいかもしれない。わたしにはエッセイと小説の違いというものがいまいち分かってはいないのだが。
難しい事を考えるだけ無駄かな。そうこうしている内に書きたい事を忘れてしまいそうだ。
とり急いで、何も取り繕わず書いてみよう。
今日あった事をここに記す。
こんな生活を始めて早いもので五年経った。その間自分以外の人間に会うことは二回だけだった。
一人は迷い込んできた者、そしてもう一人は奪略を目論みやってきた者。
どこで聞いたのかは知らないが、よくこんな場所に金目の物があると思ってやってきたものだ。呆れすら通り越して感心する。
話が逸れてしまった。日記というのは過去話をするものではないだろう。今日あった事を未来で振り返るために書き留めるものだ。
まぁ、読み返す者なんてわたししかいないのだが…。
さて、そろそろ本題に入るとしようかな。こんな書き出しで日記になっているだろうか?
昨日の雨が嘘のように晴れた。太陽が眩しいほどに輝いていた日だった。
晴れは好きだ。太陽の匂いも、乾いた空気も、乾きやすい洗濯物も、鳥たちの囀りも、全てが愛しい。
こんな晴れた日は家でじっとしているのも勿体ないと思い、わたしは家を出た。
しかし晴れているとはいえ、今は冬だ。やはり空気は冷たい。
一度出た家を入り直し、マフラーを巻いて再度出かける。そんな一日の始まりだった。
自然の中をゆっくりと歩き回る。昨日の雨で少し湿った土や残った水たまりに風情を感じながら、わたしはお気に入りの洞窟まで歩いた。
夏場でも涼しい場所であるその鍾乳洞は今の時季には少し寒いくらいであったが、それでも好きな場所だ。寒いからと言って疎遠になるようなわたしではない。
ただ、今日のそこは少し雰囲気が違った。音がするのだ。
もちろん、普段が全くの無音というわけではないが、それでも普段の静寂ではなかった。
その原因は何なのだろうか、わたしは一歩一歩踏みしめながら、その元を探した。
思いのほか簡単に見つかった〝それ〟は、初めて見るものだった。
数え間違えていなければ二十五年間、わたしが生きてきた中で初めて出会うものだった。
鍾乳洞の冷たい地面に身を預けて、少しだけ苦しそうに呼吸をする〝それ〟は、少し落ち着いた今でも形容する事が難しい。
わたしの語彙が少ないせいもあるが、いつかうまく形容できる日が来るまで気長に待つとしよう。
書ける日が来たら、その時初めて文字で残そう。
横たわる〝それ〟は閉じていた瞼を開き、その大きな瞳でわたしを映した。
そして荒い呼吸を少し落ち着けたかと思うと「何の用だ」と口を開いた。
わたしはただただびっくりして、すぐに返事ができなかった。まさか人の言葉を介するとは思わなかったのだ。
少し深呼吸をした後で聞き返した。「こんなところでどうかしましたか」と。
すると〝それ〟は驚いたような顔をしてわたしを見返した。
この時は「何を驚くことがあるのだろう」と不思議に思ったが、その疑問は〝それ〟がすぐに解消してくれた。
「怖くないのか」と。
言っている意味はすぐに理解できた。言わんとしている事もすぐに把握した。
それと同時に、わたしは少しだけ悲しくなった。
きっと、今までは迫害されてきたのだろうと容易に想像できたから。
人は未知の領域にあるものを、怖れ慄き拒絶するから。
だからわたしは笑顔で答えたのだ。「だいじょうぶ」と。
すると〝それ〟…、いや、今さらだが〝それ〟と呼ぶのは余りに無礼だろうか。遅きに失しているかも知れないが、呼び方を変えよう。
すると、〝彼〟はその身を起こし、呟いた。最初に口を開いた時と全く同じ言葉を。「何の用だ」と。
わたしは素直に答えた。「ここはわたしのお気に入りの場所だ。いつも通り遊びに来たら、あなたがそこに倒れていた。初めて見る顔だが、どうかしたのか?」
そう答えるわたしの言葉を聞き終えると彼は「そうか…、ここは君の場所だったのだな。ならば出て行こう。すまなかったな」と漏らした。
そう答える彼の表情は悲しそうで、寂しそうで、儚げなものだった。
だからというわけではなかったが、わたしは慌てて「出ていく必要はない。むしろ出ていくのならばわたしの家に来るといい。ここよりは住みやすいと思うぞ」と告げた。
その言葉に再度驚いた顔を見せた彼は、しかし「今は気持ちだけもらっておこう。とりあえず今日はここを出る。また明日来てくれれば、会えるかもしれない」と答え、気が付いた時にはどこかへと消えてしまっていた。
文字に起こせば起こすほどわけの分からない話だ。しかし、心躍っているわたしがどこかにいる。
拒否はされたが拒絶はされなかった。今日はそれだけでいいと思えるわたしが確かにいる。
どこまで続くか分からないが、残してみよう。
明日も彼がそこにいると信じて。




