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嫌に頭の中にこびりつく。「逃げる」だなんて言葉。悪い意味ではないとは思う。だが、オルチェにとって、彼自身の人生はいつも逃げてばかりだったと思っているらしい。たった二十六年の人生であるが、薄い内容ではないとも思っている。
――逃げるって何?
体中を強打した影響なのか。逃げるという言葉すらもわからなくなってしまったらしい。
――というよりも、こいつは俺の何を知っているってんだよ。ただのナズーのくせにして。弱そうなおっさんのくせにして。何でも知ったかぶりのようなことを言ってくる。詩人のようにして、あの光る石像のように遠回し発言をしてくる。そう言うの聞いていると、イライラしてくるんだよ。まどろっこしいんだよ。誰にでもわかりやすい言葉で言えってんだ。それこそ、サルでもわかるように。そんでもって、俺がここでくたばってたまるかってんだ。
オルチェは痛む体に鞭を打ち、右腕を上げたかと思うと――銃口を調査員ナズーへと向けた。即座に引き金を引いた。音が鳴るとき、弾はそれの体のどこかへと着弾する。一瞬の呼吸を整えるだけ。息を多少止めたところで死ぬことはない。使えない射撃砲にも使い道ぐらいはある。飛び道具ではなく、鈍器として。
――これでこいつがくたばるとは思っちゃいない。これが会心の一撃であることを願うばかりだよ。
射撃砲の銃身を叩き込むようにして、ナズーの口へと突っ込んだ。相手が怯むような痛そうな音。おら、たっぷりと金属と燃料を美味しく味わえ。弾が尽きるまでの発砲音は続く。調査員ナズーは体を痙攣させて弾を口の中で受け止める。オルチェはすべてに必死だ。なぜって、ここで死ぬわけにはいかないから。引き金をすかすまで。音は途絶えさせるものか。
こちらに勝利の光が見えたかと思った。そう思えたのも束の間だった。この光はオルチェの勝利ではなく、衝撃を受けた光だった。その光を見た直後、地面に転がっていたのだから。どうしてこうなったのかはわからないが、わかる。大体は調査員ナズーが何かをしたからだ。何をしたって? 体全体が痛むが、特に左肩が痛かった。あれだ、普通に吹っ飛ばされたからだ。ナズーはとんでもない力持ちだからな。成人男性を軽々しく十メートルも飛ばせる力を持っている。
体勢を整えることも、立ち上がることも、上体を起こすことすらも――これらの暇を与えてくれなかった。一方的にやられてしまう時間が来てしまったからだ。明らかに遊ばれている。体を飛ばして何がしたい? 内臓がグルグル回っている感覚で気持ち悪い。脳みそも同じだ。グルグルと――ああ、気持ち悪い。それのせいだろうか。中身は何も入っていないのに、胃の中に入っていた物を出してしまった。その場がくさいの一言に限る。吐いている最中も投げ飛ばされているから、体中胃液塗れ。
嘆く言葉の時間すらもない。ただ、こうして死ぬしかないのかと達観するぐらいか。まだ死ねないってのに。死にたくねぇのに。ああ、逃げ出したい。そう考えていると、強烈な一撃がオルチェに襲いかかってきた。高く舞い上がっている自身の体。おお、飛べた。しかし、彼は人間だから当然重力は存在する。落ちた先は仮面を被った人たちの中。そこへと落ちたときはもっと痛かったが、痛みというものを体で感じるのはここが初めてである。
「……クソッ」
まだ体全体の中がグルグル回っているせいで、思考回路は上手く機能していない。そのため、ここにきての一言はそれだった。立ち上がりたくても、体が言うことを利いてくれない。というよりも、仮面の人たちの視線が痛い。どんな顔で、目でこちらを見ているかはわからないが、こちらを見るな。見られたくない。あまり思い出したくない過去を思い出しそうだから。
「惨めですね」
壁の向こうから聞こえてくる。
――こちらに近付いてきているってのか? 時よ、止まれ。立ち上がる時間を。どうにかして勝つために考える時間を俺にくれっ!
だが、オルチェの頭に思い浮かぶのは「クソガキ」と言ってくる同様のクソガキたちだけだった。




