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百年目の修正申告 ~大正の陸軍二等主計だった私は、大戦を回避した並行現代で税理士になる~  作者: シッパイマン


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6/14

幕間 窓の外側(伊吹惣一)

 その夜、榊原殿は日が変わる前に戻ってきた。


 私は倉庫の二階にいた。札の箱を運び上げ、暗がりで一枚ずつ数えていた。数え終わっても、帰らなかった。帳簿が焼かれる夜に、帳簿を置いて帰るのは、帳場の者の仕事ではない。


 十一時半、鵜飼曹長が油の缶を提げて入ってきた。曹長は階段の下から私を見上げ、少し困った顔をした。


「伊吹。もう帰れ」


「札を数えております」


「零時に火を入れる。命令だ」


「承知しております。火が入る前に帰ります」


 曹長は油を撒き始めた。土間の水はまだ引ききらず、油は水の上に虹を作った。私は数え続けた。曹長が私を無理に追い出さなかったのは、たぶん彼も、この夜の仕事が嫌だったからだと思う。


 十一時五十分、扉が開いた。


 榊原殿だった。軍帽をかぶっていなかった。濡れた外套のまま、油の匂いの中を真っ直ぐ歩いてきて、曹長に言った。


「待て。訂正が先だ」


「主計正殿の命令であります」


「私の命令だ。五分でいい」


 曹長は油の缶を置いた。置いたということが、返事だった。


 榊原殿は本簿を棚から出し、机に置き、最後の頁を開いた。私は階段を降り、油燈を近づけた。


 朱線が二本、二百四十反の記載を横切った。それから、余白に一行。


『右物品納入ノ事実ナシ 上官ノ命ニ依リ誤記セルモノナリ』


 字は真っ直ぐだった。印だけが、傾いていた。右上が薄い。


「伊吹。確認の署名を」


 私は筆を取った。『榊原殿ノ訂正ヲ確認ス 伊吹惣一』。雇員の私が主計殿の帳簿に字を書いたのは、これが最初で最後である。


「主計正殿の名は、お書きにならないのですか」


「黒岩の名を書けば、黒岩一人の罪で終わる。四年分の滅失は、一人で作れる大きさではない。上官の名は、上官が自分で書くものだ」


 榊原殿はそう言って、傾いた印の下の余白を、指で押さえた。


「そのために、ここは空けておく」


 遠くで、巡察の呼子が鳴った。


 曹長が、油の缶に手を伸ばした。彼の顔は、命令と命令の間で潰れていた。零時の鐘が鳴った。曹長は火を入れた。私たちが正面から出ると思ったのだ、と後で聞いた。


 油は、水の上を走った。


 火は音より先に来た。榊原殿は本簿を私の胸に押しつけ、私の襟を掴んで、北側の窓へ引きずった。窓は高い。榊原殿は膝を組んで台にし、私を押し上げた。


「札の箱だ」


 窓枠に手をかけた私に、榊原殿は下から言った。


「札がなければ、この頁が本当かどうか、後の者が確かめられん。伊吹、写しを作れ。二つ作れ。紙は燃える」


「主計殿も、こちらへ」


「先に行け」


 榊原殿は階段へ戻った。二階に、私の札の箱があった。


 私は窓の外へ落ちた。泥の上に転がり、帳簿を胸に抱えたまま、立ち上がった。


 窓の外側から見る倉庫は、四角い火だった。ガラスが割れ、赤い紙が舞い出してきた。無数の蝶のように。柱の札が燃える匂いと、羅紗が焦げる匂いがした。


 私は待った。


 窓を見ていた。正面を見ていた。屋根を見ていた。


 誰も出てこなかった。


 巡察の提灯が門の向こうに現れ、曹長が走り去るのが見えた。私はまだ待った。屋根が落ちる音がして、火の粉が私の頭の上まで来て、それでも待った。


 帳簿を抱えた雇員が、燃える軍の倉庫の前に立っている。見つかれば、この帳簿は経理局に取り上げられる。榊原殿の一行も、傾いた印も、余白も、取り上げられる。


 それが分かって、私は走った。


 王子の焼け残った長屋の、知り合いの家で、夜明けまで写しを作った。二つ作った。一つは新聞社へ、一つは代議士へ。本簿は、油紙に包んで床下へ隠した。


 紙は燃える。だから写しは二つ作る。榊原殿がそう言った。


 夜が明けても、榊原殿は帰らなかった。


 私は、その日から、榊原殿の分まで数えている。

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