外伝二 零時の勘定 ―― 鵜飼曹長の昭和(鵜飼武雄)
昭和五十七年七月、荒川はまた堤を越えかけた。
私は八十四になる。夜中に起きて、雨戸の隙間から外を見た。王子の道を、救難隊の車が赤い灯を回して走っていく。孫の車だ。荷台に伊吹のポンプが積んである。
私はもう外に出られない。だから、数える。
机の上に、古い手帳がある。昭和八年に国民救難隊へ入った年から、私はこれをつけてきた。頁の一番上には、こう書いてある。
『大正十四年六月 零時 火を入れる 死者一名』
その下に、四十九年分の勘定が続く。引いた水、引き上げた人、担いだ老人、抱えた子供。数は多い。だが一番上の一行は、一度も消していない。消せば、下の全部が嘘になる。それを教えてくれたのは、私が火をつけた倉庫の雇員だった。
あの夜のことは、昭和六年に議会で全部話した。主計正殿の上申書に、私の名があったからだ。油を撒いたのは私だ。榊原殿が「待て」と言ったのに、巡察の呼子を聞いて、零時に火を入れたのも私だ。二人は正面から出ると思った。油の回りが早かった。言い訳は、それだけだ。
一年の刑を受けて、除隊した。出てきた年に、廃止された師団の工兵と輜重を集めて、国民救難隊ができた。水を引き、瓦礫をどけ、人を担ぐ。軍隊が議会の下に置かれてから、国が兵に求めたのは、そういう仕事になった。私は志願した。理由は訊かれなかった。
昭和十年、初めて伊吹の店へポンプを買いに行った。
王子の小さな修繕屋だった。店の奥に、眼鏡の男がいた。私を見て、手を止めた。一瞬だけだった。
伊吹は何も言わなかった。あの夜のことも、榊原殿のことも。ただ、ポンプの弁のところを指で示した。四桁の番号が、鋼に打ってあった。
「紙は燃えますから」
それだけ言って、私にポンプを渡した。
私は五十年近く、その番号のついた道具で水を引いた。柱の札を焼いた男が、札の番号で人を助けた。伊吹がそれを、赦しのつもりでしたのか、罰のつもりでしたのか、私は訊いたことがない。訊けば、答えを聞くことになる。
伊吹は、今年の春に死んだ。八十九だった。店は息子と孫が継ぎ、ポンプはまだ番号を打っている。
夜明け前に、孫が帰ってきた。泥だらけで、玄関に立ったまま言った。
「じいさん。今夜の分」
孫は私の勘定を知っている。
「引き上げた人、十二名。搬送、三名。死傷者、零」
私は手帳を開き、一番上の一行の、はるか下に書いた。
『昭和五十七年七月 死傷者 零』
一番上の一行は、消さない。
私は今夜も数える。零時に数え損ねた一名の分まで。
(外伝二 了)




