外伝 黒岩の勘定 ―― 三等主計正の後日談(黒岩貞雄)
私は数える男である。
幼い頃、父の質屋で銭を数えた。経理学校で兵の飯を数えた。本所で毛布を数え、赤羽で羅紗を数え、名前のない勘定の中で、国境の向こうへ渡る金を数えた。数えている間、人は自分が何をしているかを見ずに済む。私はそれを四十二年かけて身につけ、それが技能だと思っていた。
大正十四年六月、午前一時。
鵜飼曹長が、濡れた軍帽を握って事務室へ来た。第三倉庫、全焼。榊原二等主計、中に。雇員の伊吹、本簿を抱えて窓から闇へ。
私は椅子に座ったまま、数えた。
死者一名。所在不明一名。本簿一冊、所在不明。
いつもなら、数え終えれば楽になる。数字は私を責めない。だがその夜、数字の隣に、傾いた印が浮かんだ。右上の薄い、あの印である。「印は人柄を映す」と私が言った、その若い主計の印だった。
私は正しい帳簿を、四万人分見てきた。
震災の日、本所の被服廠跡である。私は一等主計として、毛布と衣服の配給を指揮していた。受払簿は一枚も間違えなかった。それでも火が来た。私は、自分が配った毛布を被ったまま焼けた人々の数を、翌朝、数えた。数えるほかに、することがなかった。
正しい帳簿は、一人も救わなかった。金と力があれば救えた。私はそう結論した。結論は勘定である。勘定は、一度立てれば、あとは毎年繰り越せばよい。
翌年から、災害のたびに物が滅失した。入ってこなかった物が、失われた物になった。商社から戻る金は名前のない勘定へ入り、国境の向こうで情報を買った。私は毎晩、その勘定を頭の中で締めた。片方の皿に毛布、片方の皿に情報。情報が重い。私はそう決めた。決めた者が私であることは、勘定には書かなかった。
三日後、帝都新報が写真を載せた。
朱線二本。『右物品納入ノ事実ナシ 上官ノ命ニ依リ誤記セルモノナリ』。傾いた印。
上官ノ命ニ依リ。
名前がなかった。
私はそれを、逃げ道だと思った。名前がなければ、私はまだ数えられる。誰の命令かは、死者にしか分からない。
その日のうちに経理局から人が来て、筋書きを置いていった。榊原二等主計は単独で帳簿を改竄し、露見を恐れて放火し、自ら焼死した。署名するだけでよい、と。
私は署名した。
真っ直ぐな字で署名した。署名しながら数えた。この一枚で守れるのは、経理局の誰と誰か。守れないのは誰か。守れない側に、死者が一名いた。私はそれを、勘定の外に置いた。勘定の外に置けば、数えなくて済む。
軍法会議は非公開で、監督不行届、減俸。翌年、予備役。新聞は経理局の壁に阻まれ、代議士の質問は議事録に一行残った。
これが大正十五年の勘定である。私は王子に借家を借り、恩給と、近所の商店の帳簿つけで暮らした。数えることだけは、まだできた。乾物屋の売掛を数え、米屋の掛売を数えた。乾物屋の帳簿に、傾いた印はなかった。それが救いだった。
昭和六年、秋。
伊吹惣一が来た。
六年前より痩せ、眼鏡は同じだった。上がり框に座り、風呂敷から写真を出した。あの頁である。
議会がまた調べ始めたのだという。大陸で軍が独断で動きかけ、その金の出所を問う声が止まらない。今度は経理局も壁になれない。
「証言しろと言うのか」
「いえ。訂正を、と」
惣一は、傾いた印の下を指した。
「榊原殿は、あなたの名を書きませんでした。黒岩の名を書けば黒岩一人の罪で終わる、四年分の滅失は一人で作れる大きさではない、上官の名は上官が自分で書くものだ、と。そのために、ここを空けておく、と」
私は写真を見た。
余白があった。
六年間、私はあの余白を逃げ道だと思っていた。逃げ道ではなかった。榊原は、私のために席を空けていたのだ。私が自分で座るための席を。上官の名は、上官が書く。それは赦しでも憐れみでもない。主計の、勘定の作法だった。
「主計正殿。あの夜から、私は榊原殿の分まで数えています。冬服四百着。毛布三千枚。天幕八十張。四年分です。それは全部、あなたが本所で足りなかったと言った物です」
惣一は写真を上がり框に置いて、立ち上がった。
「余白は、まだ残っています」
その夜、私は数えなかった。
数えられなかった、というのが正しい。毛布と情報を天秤に載せてきた勘定は、惣一の四年分を載せた途端、傾いて動かなくなった。私が毎晩締めていた勘定は、片方の皿に、初めから何も載っていなかったのである。情報で買えたはずの命は、一人も数えられない。毛布で救えたはずの命は、数えられる。数えられる方を、私は勘定の外に置いてきた。
代わりに書いた。
三晩かかった。大正十一年から十四年までの、名前のない勘定の出入り。東亜羅紗商会からの戻り。経理局の誰が、何を、いつ、口頭で命じたか。金が渡った先の、国境の向こうの名前まで。書きながら、私は初めて、あの勘定を上から下まで通して読んだ。数えていた頃には見えなかったものが見えた。四年分の毛布の数だった。
最後の一枚に、私はこう書いた。
『榊原二等主計ノ印ノ傾キハ、私ノ傾キデアル。部下ニ押サセタ印ハ、私ガ押シタ印デアル』
署名した。真っ直ぐには書けなかった。右手が震えて、字が傾いた。私はそれを、書き直さなかった。
上申書は貴族院と衆議院の特別委員会へ届き、私は公開の場で証言した。経理局の三名が更迭され、東亜羅紗商会の元帳が押収され、各地の倉庫の職員が次々に口を開いた。翌昭和七年、軍の予算と指揮権は、国会の厳格な統制下に置かれた。
私は再び軍法会議にかけられ、懲役三年。予備役の身分を剥奪され、恩給も止まった。控訴はしなかった。控訴とは、勘定を締め直す手続きである。私の勘定は、もう締まっていた。
今は昭和十二年の冬である。王子の借家で、私はまだ乾物屋の帳簿をつけている。枕元に、惣一が置いていった写真がある。
私は今も数える。数える男は、死ぬまで数える。
だが数える物は変わった。
四年分の毛布である。三千枚。四百着。八十張。毎晩、一枚ずつ。数え終わる前に、私の勘定は締まるだろう。それでよい。締まらない勘定を後世に残さぬために、私は上申書を書いたのだから。
(外伝 了)




