三 照会不能
記録係の机は、リンクの端の、かつて貸し靴のカウンターだった場所に置かれていた。
スケート靴が並んでいたはずの棚には、いまは、札のついた紙箱がぎっしりと詰めこまれている。箱の中身は、遺品だった。止まった懐中時計。片方だけの手袋。子どもの髪留め。蓋の開いた箱の中で、ひび割れた眼鏡のレンズが、天井の光を鈍く撥ねていた。
カウンターの上には、戦後復興局の紋章が刷られた照会端末が一台と、辞書ほどの厚さの台帳が三冊、積み上げてあった。台帳は、手書きだった。
「端末があるのに、紙にも書くの」
「端末の記録は、消えることがあるから」
ユノは台帳の一冊を開き、今日の日付の下に何かを書き足しながら言った。
「紙は、燃やされないかぎり残る」
開かれた頁には、細かな字がびっしりと並んでいた。身元不明、男性、推定二十代、左手首に古い火傷の痕。身元不明、女性、推定六十代、奥歯に金の詰め物、青い毛糸の肩掛け。名前のない人々が、一行ずつ、ここにいた証を刻まれていた。
カウンターの奥の壁にはコルク板が掛けられ、書類やメモが何枚もピンで留めてあった。その端に、ほかの紙から少し離して、一枚だけ写真が留められている。十代の少年のようだった。ユノの肩に隠れて、顔までは見えなかった。
「所属と、番号と、最後にいた場所」
ユノは端末の前に座り、画面を起こした。
「最後に、いた場所……」
わたしは、繰り返した。
雨。硝子の天蓋。照明弾の白い光。錆びた案内板の、剥げかけた――。
「……わからない」
ユノは、ちらりとわたしを見た。何も言わず、指先で番号を打ちこんだ。五、二、八、六、〇。
端末が、考えこむように、しばらく沈黙した。
それから、画面の枠が赤く縁取られた。
『照会不能
当該番号は、特別管理対象に指定されています』
「……特別管理?」
ユノが、低くつぶやいた。
「こんな表示、初めて見た。戦犯の記録だって、番号を入れれば、罪状くらいは出てくるのに」
ユノは続けて、五二八六一を打ちこんだ。同じ赤い枠。同じ文字。五二八六二。同じだった。
三つの番号が、三つとも、同じ赤い枠の中に閉じこめられていた。まるで、はじめからそこに入れておくために用意されていた枠のように。
画面が、ふっと暗くなった。
黒くなった画面の下の端に、小さな白い文字が一行だけ浮かんだ。
『照会記録を、戦後復興局保安部へ送信しました』
ユノの横顔が、こわばった。
ゆっくりと、ユノが椅子を回して、わたしに向き直った。その目から、さっきまでの無愛想な気だるさが、すっかり消えていた。
「……ねえ」
低い声だった。
「あなた、何をしたの」
「わからない」
「わからない、ばっかり」ユノの目が細くなる。「あなた自身の番号は?」
わたしの手が、襟に触れた。
指先が、ステンシルの数字の上にかかる。言えばいい、と思った。隠す理由などない。わたしは、何も知らないのだから。
けれど、唇が動かなかった。
身体が、わたしの口を閉ざしていた。舌の根が、奥歯が、喉が、わたしの意思とは無関係に、ぴたりと動きを止めている。
沈黙を、ユノは答えと受けとったらしかった。その右手が、ゆっくりとカウンターの下へ伸びていく。非常ボタンか、電話か、それとも――。
そのとき、聞こえた。
遠く、細い、羽音。
距離、八百。
それから、もうひとつ。硬いものが、舗道を叩く音。規則正しく、ひどく速い。四本の脚が、交互に地面を蹴る音。車の走る速さより、なお速い。
六百。五百。
「ここから、離れて」
わたしは言った。
「……何?」
「来る」
天井の照明が、一斉に、ちかちかと瞬いた。
外で、悲鳴があがった。尋ね人の壁の前にいた人々が、散り散りに駆け出す足音。倒れたバケツの転がる音。そして、建物じゅうに響き渡る、平板な合成音声。
『戦後復興局保安部です。当施設を一時封鎖します。市民の方は、その場に伏せてください』
ユノの顔から、血の気が引いた。
天井の防水布の破れ目から、赤い光の点がひとつ、落ちてきた。
光の点は、氷の上に並んだ白い布の上を、一枚ずつ、確かめるように滑っていった。




