五 許さない
「終わってない」
ユノの声は、低かった。
ユノは、台から離れ、棚のほうへ走った。棚の引き出しを、次々に、乱暴に開けていく音。金属の部品が、床に散らばる音。
「人工心臓の、予備。……医者が、廃棄される兵隊から、抜き取って隠してたやつ。ここに、あったはず」
『冷却循環 停止まで 推定四十五秒』
ユノの足音が、戻ってきた。
何か、拳ほどの、重いものが、盆の上に置かれた。
「規格が、合うかどうか、わからない」
ユノの手が、わたしの胸の中へ、差し入れられた。細い管の、ひとつを、摘む。
「痛いよ」
「……うん」
管が、外された。
胸の中から、冷たいものが、溢れ出した。薄い赤い水が、わたしの脇腹を伝って、金属の台の上に、流れ落ちていく音がした。
「許さない」
ユノが、言った。手を、止めずに。
「あなたが、人間でも。人間じゃなくても。……イオを撃ったのは、あなたの手だった。それは、変わらない。わたしは、あなたを、許さない」
二本目の管が、外された。
『冷却循環 停止まで 推定三十秒』
わたしの時間が、ひどく、ゆっくりになっていった。ユノの声が、遠くなったり、近くなったりした。
「でも」
ユノの手が、わたしの胸の中の、止まりかけたポンプを、掴んだ。
「捨てない」
ポンプが、外された。
胸の奥の、あの一定の音が、消えた。
静かだった。
わたしの中から、時を刻むものが、なくなった。
「兵器として、廃棄なんか、させない」
ユノの声だけが、闇の中に、あった。
「あなたは、あの夜を、見届けた。十か月、壁の向こうに閉じこめられて、それでも、見てた。……式典の夜、あなたは、自分の目を焼いて、それを、この街に見せた。自分で、あの男の喉から、手を開いた」
新しい、重いものが、わたしの胸の中に、押しこまれた。
「そういうものを、わたしは、廃棄物の山に放りこんだりしない。……番号をつけて、白い箱に詰めて、どこかへ運ばせたりしない」
『冷却循環 停止まで 推定十五秒』
管が、繋がれていく。一本。二本。
ユノの指が、震えていた。震えながら、正確だった。遺体の中から弾を取り出すときの指。わたしの肩から、黒い欠片を取り出したときの指。
「わたしは、記録係なの」
ユノの声が、ひび割れた。
「目の前にあるものを、見たとおりに、記録する。……わたしが見たのは、兵器じゃない。わたしが見たのは――」
『冷却循環 停止まで 推定五秒』
三本目の管が、繋がれた。
『四』
ユノの手が、胸の中の、新しい重いものの、どこかを、強く押した。
『三』
何も、起きなかった。
『二』
ユノが、もう一度、押した。
「動いて」
ユノの声だった。
地下鉄の駅で、あの青白い光に身体を止められたとき、わたしが、心の中で言った言葉と、同じだった。
「お願い。……動いて」
『一』
――どくん。
胸の奥で、何かが、打った。
それから、もうひとつ。また、ひとつ。
冷たいものが、管を通って、わたしの中を、巡りはじめた。
『冷却循環 回復
出力 正常』
一分間に、六十。
わたしは、その音を、聞いていた。止まって、そして、また打ちはじめた音を。白い聴聞室の一秒の空白のあとには、ロクマルの声が残っていた。今度の空白のあとに残っていたのは、ユノの、動いて、という声だった。
ユノが、台の縁に、額を押しつけた。
長いこと、動かなかった。肩が、大きく、上下していた。一分間に、百八十の心臓の音が、少しずつ、少しずつ、落ちていった。百四十。百二十。
「……間に合った」
ユノは、台の縁に額を押しつけたまま、つぶやいた。
それから、ユノは、顔を上げた。
白い合金の板が、わたしの胸の中に、戻されていった。留め具が、ひとつずつ、嵌められていく。こつ、こつ、と、硬く、澄んだ音。最後に、細い糸が、わたしの胸の皮膚を、一針ずつ、縫い合わせていった。
ユノは、途中で、一度も、手を止めなかった。
縫い終えると、ユノは、糸を切り、わたしの胸の上に、清潔な布を当てた。
そして、その布の上から、自分の手のひらを、そっと、置いた。
ポンプの音が、ユノの手のひらの下で、打っていた。
ユノは、何も言わなかった。
しばらくして、ユノは、布の上に手を置いたまま、ぽつりと言った。
「……さっきの、続き」
ユノの声は、ひどく、疲れていた。
「わたしが見たのは、兵器じゃない。……あの夜を、十か月、見届けて。自分の目を焼いて、それを、この街に見せて。自分で、あの男の喉から、手を開いた。……そういう、あなただった」
扉が、三度、短く、叩かれた。
「……生きてるか」
扉の向こうから、老人の、しわがれた声がした。
ユノは、わたしの胸の上の布から、手を離さずに、答えた。
「生きてる」
老人は、しばらく、扉の向こうで、黙っていた。それから、足音が、ゆっくりと、遠ざかっていった。




