六 白い塔
整備区画を抜け、半開きになっていた搬入口のシャッターの下をくぐると、夜だった。
湿った風が、顔に当たった。
草の匂いがする。雨に濡れた、青い、むせかえるような草の匂い。搬入口の前のコンクリートの広場はあちこちがひび割れ、その割れ目という割れ目から、膝の高さまで雑草が伸びていた。
広場の端に、白い車両が一台停まっていた。窓のない、角ばった輸送車だ。側面に、見慣れない紋章が描かれている。開いた本の上に、一本の若芽が伸びている図案。あの男が乗ってきたものだろう。
身体は、その車両には近づかなかった。遠巻きに、闇の縁をなぞるように広場を横切る。あれには追跡装置がついている――身体は、それも知っていた。
敷地を囲むフェンスは、わたしの背丈の倍ほどあった。上端には錆びた有刺鉄線が巻かれ、金網には蔦が幾重にも絡みついている。蔦の葉は、どれも大きく、厚く育っていた。
昨日まで、ここにこんな蔦があっただろうか。
思い出せない。思い出せないということを、わたしは、考えないことにした。
身体は蔦を足がかりにしてフェンスを登り、有刺鉄線を、ジャケットの袖を巻いた腕で押し下げて、向こう側へ跳んだ。着地の衝撃が、膝から腰へ、柔らかく吸いこまれていく。
振り返ると、フェンスには、蔦に半ば埋もれた金属の板が掛かっていた。
『中央軍 第六兵站区 関係者以外立入禁止』
兵站。物資を集め、蓄え、必要なときに前線へ送り出すための場所。
わたしは、そこで眠っていた。
敷地の外は、なだらかな丘の斜面だった。濡れた草を踏み分けて、わたしは丘の上を目指した。何かを見なければならない、という気がしていた。自分がいまどこにいるのかを。世界がいま、どうなっているのかを。
丘の頂に立ったとき、風が止んだ。
眼下に、街が広がっていた。
灯りだった。
見渡すかぎり、灯りが瞬いていた。橙色の、白の、ときおり青の、無数の小さな灯り。それが谷を埋め、川に沿って流れ、遠い地平の手前まで、ゆるやかな光の海になって広がっている。
わたしは、息を呑んだ。
灯火管制は、どうなったのだ。
戦時下の街は、夜になれば闇に沈むものだ。灯りは爆撃の標的になる。窓という窓に暗幕を張り、街灯を消し、地下で息をひそめて夜明けを待つ――それが、わたしの知っている夜の街だった。昨日までの、夜の街だった。
耳を澄ます。
砲声が、聞こえなかった。
どこからも。遠雷のような重砲の響きも、夜空を切り裂く迎撃の閃光も、空襲警報のサイレンも、何もない。聞こえるのは、草の葉を伝って落ちる雨の雫の音と、どこか遠くを走る列車の、かすかな、のどかな響きだけだった。
街のちょうど中心に、一本の白い塔が立っていた。
周囲のどの建物よりも高く、窓ひとつない、なめらかな円柱。夜の中でそれだけが、ぼうっと白く浮かび上がって見える。その頂で、光の環がゆっくりと回っていた。灯台のように。あるいは、何かを数えるように。
なぜか、目が離せなかった。
昨日まで、確かに戦争だった。そのはずだった。三人の戦友と、あの狭い部屋で眠り、雨の降る駅で――。
わたしは、そこで考えるのをやめた。
やめさせられた、のかもしれなかった。思考の先に、白く冷たい壁が立っていた。
ジャケットの内側で、死んだ男の端末が、胸にかすかな重みをかけている。ひび割れた画面に浮かんでいるのは、わたしを呼ぶための、たったひとつの言葉。
五二八六三。
名前ではない。けれど、いまのわたしが持っているものは、それだけだった。
東の空の端が、わずかに白みはじめていた。
わたしは、その番号を胸に抱いたまま、灯りの海へ向かって、丘を下りはじめた。




