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名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第八章 五二八六三の体温

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三 内部診断

 ユノは、棚から、何かを引き出していた。


 古い、角のすり減った機械の、差しこみ口の並ぶ音。診療所にあったのと同じ、義体の調整に使う端末だった。ユノは、蓄電池から線を引き、その先の細い端子を、わたしの胸の中の、あの白い、卵のようなものの傍らへ、そっと当てた。


「……直すには、中が、どうなってるのか、わからないと」


 ユノの声は、ほとんど、自分に向けた声だった。


 端末が、低く唸った。


 そのとき、わたしの中に、光が、ともった。


 目ではなかった。わたしの目は、もう、何も映していなかった。けれど、目ではない、わたしのずっと奥の、どこか平らな場所に、白い文字が、ひとつずつ、浮かび上がってきた。


 ユノの息を呑む音が、聞こえた。


 端末の画面にも、同じ文字が、映っているのだ。


 『内部診断』


 文字は、淡々と、並んでいった。


 『生体脳――搭載なし』


 『女性型自律戦闘個体』


 『個体番号――五二八六三』


 ユノは、何も言わなかった。


 文字は、止まらなかった。


 『損傷

  右上肢 制御系 焼損

  視覚機能 焼損

  冷却循環 出力低下 停止まで 推定三分』


 『構成

  発汗機構 体温調整用冷却液の放出

  痛覚 寒冷覚 感覚再現

  人格記憶 人格成立のための初期付与データ

  時間基準 最終再起動時点に固定』


 『同型個体

  五二八六〇 解体・記憶消去済

  五二八六一 解体・記憶消去済

  五二八六二 解体・記憶消去済』


 『言語設定

  戦闘層 男性型

  観測層 自己像確認により女性型へ移行』


 『感覚

  複数感知器の統合処理』


 『同型個体の顔貌記録

  自己像との混同を避けるため 観測層より遮蔽』


 俺、とわたしが自分を呼んでいたこと。兵舎の扉の硝子に映った自分の姿を見た瞬間に、それが、わたし、に変わったこと。


 そして、三人の顔。


 ロクマルの顔を、ロクイチの顔を、ロクニの顔を、わたしは、どれほど思い出そうとしても、磨りガラスの向こうに、滲ませることしかできなかった。塔の地下の映像の中で、見上げた兵士の顔は、同じように、塗りつぶされていた。


 三人の顔は、わたしの顔と、同じだったのだ。


 兵舎の扉の硝子に映った、黒い髪の、灰色の瞳の女。あれは、わたしの顔であり、ロクマルの顔であり、ロクイチの顔であり、ロクニの顔だった。


 わたしは、それを、読んだ。


 目ではない場所で。一行ずつ。


 汗は、体温を調整するための、冷却の液だった。


 兵舎で目覚めたとき、冷えた部屋の中で、肌着が貼りつくほど噴き出していた汗。安置所の氷の広間で、こめかみから、次から次へと流れた汗。夏草の丘で、どれほど拭っても止まらなかった、奇妙なほど冷たい汗。


 寒気は、再現された感覚だった。


 背骨を駆けのぼった、あの寒気。霧の中で、熱を捨てたときの。燃える兵舎の廊下で、炎の真ん中で、凍えるように震えていた、あの寒さ。


 痛みも。


 肩の奥で千本の針が暴れた、あの痛みも。冠の針が記憶を剥がしていった、あの痛みも。


 時間基準、最終再起動時点に固定。


 昨日。


 あの狭い兵舎で、三人と過ごした最後の夜が、昨日だとしか思えなかったこと。十か月の埃の中に、わたしの形だけが切り抜かれていたこと。伏せられたカップの内側だけが、きれいなままだったこと。


 わたしの時間は、あのとき、わたしが最後に目を覚ました、その瞬間に、留め置かれていたのだ。


 心臓は、なかった。


 一分間に、六十。一秒にひとつ。時計のように、数を数えるように、正確に打っていたもの。怯えるべきところで、思い出したように速くなったもの。それは、冷却の液を、この身体に巡らせるための、ポンプの音だった。


 身体が、窓を数えていたこと。人々の顔の上に、距離と、方位と、数字が重なっていったこと。八百メートル先の羽音を、聞き分けたこと。人の心臓の音を、一分間の数で、数えていたこと。


 首を、一瞬で、折ったこと。人間には、決してできない速さと、力で。


 すべての、違和感が。


 ひとつずつ、答えに、変わっていった。


 『人格記憶 人格成立のための初期付与データ』


 わたしは、その一行を、何度も、読んだ。


 俺は、誰だ。


 雨の駅で、わたしは、そう問いつづけていた。兵舎で目を覚ましてからも、ずっと。わたしは、誰なのか。わたしの名前は。わたしの過去は。


 答えは、はじめから、なかったのだ。


 思い出すべき、人間の過去が、なかった。忘れたのでも、消されたのでもなかった。はじめから、どこにも、存在していなかった。


 修理室の中で、ユノが、ゆっくりと、息を吐いた。


 それから、ユノは、端末の画面の文字を、声に出して、読みはじめた。


「生体脳、搭載なし」


 平らな声だった。


「女性型、自律戦闘個体。……個体番号、五二八六三」


 安置所で、名前のない遺体の特徴を、台帳に書きつけていたときと、同じ声だった。


 ユノは、記録していたのだ。


 目の前にあるものを。見たとおりに。


 読み終えたあとで、ユノは、端末に向かって、かすれた声で、訊いた。


「……記憶は」


 端末は、答えなかった。ユノは、震える指で、画面の項目を、ひとつずつ、開いていった。


「この人の記憶は、全部……作りものなの」


 目ではない場所に、新しい文字が、浮かんだ。


 『人格記憶

  初期付与データ 出生 家族 故郷 該当なし

  稼働後取得記録 任務 食事 夜間会話 録音 第九避難所作戦

  保全記録 封印解除済』


 ユノは、その文字を、しばらく、見つめていた。

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