↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第七章 二度目の殲滅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
53/62

五 接続

 世界が、裏返った。


 身体の時間と、わたしの時間とが、細い通路の入口で、ぶつかり合い、ひとつにねじれて、なだれこんでいった。一秒を百に刻む時間と、重く、ゆっくりとした時間とが、同じ流れの中で、もつれ合いながら、落ちていく。


 その先に、途方もなく広いものが、あった。


 何千、何万という細い道が、闇の中に、網の目のように張り巡らされていた。中央司令部。そこから、街じゅうの詰所へ、屋上の射手たちの耳へ、番犬の頭部へ、無数の道が伸びている。そして、その網の中心から、ひときわ太い道が、一本、白い塔へと、まっすぐに伸びていた。


 塔の中にも、網があった。


 何百万もの黒い箱。その一つひとつから伸びる細い道が、塔の底の、白い環へと、流れこんでいく。消されるために。そして、塔の外壁から、街じゅうへ。広場の画面へ。大通りの画面へ。停留所の画面へ。拡声器へ。今夜、この式典を、街の隅々にまで届けるための道。


 すべてが、開いていた。


 身体の中の、命令を実行する層は、網の中心から流れてくる標的の情報を、受け取りつづけていた。そして、受け取るのと同じ道を通って、身体の目に映るものを、網の中心へ、送り返しつづけていた。


 わたしは、その流れに、わたしの見るものを、乗せた。


 殺す手と、それを見届ける目。主任技師は、見届ける目に、止める力を与えなかった。けれど、見届ける目が見たものは、殺す手のための道を通って、どこへでも、流れていくことができた。


 照準の中の女を、わたしは、見なかった。


 わたしは、目を閉じずに、わたしの中を見た。


 白い壁のあった場所。北丘の尾根の上で、四人の声が開けた、あの場所。そこに置かれていた、あの夜を。


 雨の駅を。


 身体の目の奥から、あの夜が、細い通路へ、流れ出していった。


 広場の、演壇の上の画面が、揺らいだ。


 建物の壁の、巨大な画面が、揺らいだ。


 白い環と、減っていく数字を映していた画面という画面が、一斉に、灰色の砂嵐に変わった。


 そして、雨が、映った。


 錆びた貨車の列。巨大な鉄骨のアーチ。硝子の天蓋。天蓋の下の、ランプの灯り。柱と柱のあいだに干された、子どもの靴下。錆びた案内板の、剥げかけたペンキの、大きな数字。


 九。


 広場じゅうの拡声器から、雨の音が、流れ出した。


 照明弾の白い光の下で、何万人もの人々が、上を見上げていた。今度は、夜空ではなく、画面を。


 屋上の銃声が、ひとつ、またひとつと、途切れていった。


 屋上の射手たちも、見ていたのだ。自分たちが、今夜、何をさせられようとしているのかを。十か月前、あの駅で、何がさせられたのかを。


 画面の中で、四つの影が、天蓋の下へ、踏みこんでいった。四つの視界が、並んで映った。そのうちの三つの視界の中に、同じひとつの背中が、映っていた。


『――殲滅を、継続せよ』


 平板な声が、広場じゅうに、響き渡った。


 画面の下に、文字が流れた。


 『第九避難所作戦 完全記録

  発令 中央司令部 二二時四八分

  命令 殲滅

  認証 人間指揮官 生体認証符号 原本』


 誰かが、叫んだ。叫び声は、すぐに、ほかの誰かの、息を呑む音に呑まれた。


 わたしは、見つづけた。


 貨車の陰から、猟銃を抱えた初老の男が、飛び出してくる。倒れる。青い毛糸の肩掛けが、ホームの上に広がる。子どもを抱えた女の背中の上で、ロクニの照準が、揺れる。揺れて、止まる。ロクニの視界が、何度も、暗くなりかけては、戻る。


 旋律が、聞こえた。ロクイチの、歌詞のない旋律が。


 わたしの右腕が、熱くなった。


 身体が握っている小銃の、その腕の、肩から指の先までを、何かが、焼けた鉄のように、流れていった。細い通路を、わたしの見るものが流れていく、その熱が、命令を実行するための腕の中を、逆向きに、駆け抜けていた。


 わたしは、見るのを、やめなかった。


 画面の中で、貨車の上に、少年が立っていた。


 照明弾の光に、正面から照らされて。濡れた前髪。だらりと垂れた両腕。胸もとで、雨に打たれながら明滅する、小さな赤い灯。


 遺族席の、倒れた柵のそばで、誰かが、崩れ落ちる音がした。


『――第四、聞こえますか。こちら、第九。……兵隊が、撃ってる。助けに来たんじゃなかった』


 少年の声が、広場の、何万人もの頭の上に、降ってきた。


 少年が、画面の中で、大きく、口を開けた。


『こっちを見ろ!』


 広場が、静まり返った。


『こっちを見ろ! 見ろよ! 俺たちを、見ろ!』


 何万人もの人々が、見ていた。


 街じゅうの画面の前で、路面電車の停留所で、大通りの交差点で、灯りのともった窓の奥で、この街の人々が、今、あの少年の叫びを、見ていた。


 十か月前、その叫びを聞いていたのは、わたしひとりだった。


 右腕の熱が、白い痛みに変わった。


 肩の奥で、何かが、焼き切れた。


 小銃が、わたしの指から、滑り落ちた。演壇の床で、硬い音を立てて、跳ねた。右腕が、肩から、だらりと垂れ下がった。もう、指一本、動かなかった。


 わたしは、見るのを、やめなかった。


 画面の中で、わたしの腕が、持ち上がった。照準の中心に、少年の開いた口があった。


 銃声。


 少年が、雨の中へ、落ちていった。


 画面が、切り替わった。


 あの夜の雨ではなかった。今夜の雨だった。照明弾の白い光。逃げまどう人々。屋上の黒い人影。


 身体の耳が拾っていた、ヴァルの受話器の、あの声が、広場じゅうの拡声器から、流れ出した。


『反乱分子が暴動を起こした。暴走した義体兵が、それに加わった。警備隊は、やむなく応戦した。……記録は、そう残る』


『君の得意な仕事だろう、ヴァル』


『……了解しました』


『認証する。中央司令部より。命令、殲滅』


 そして、ヴァルの、少しも高くならない声。


『全隊へ。聴聞官ヴァルより、中継する。……殲滅を、開始せよ』


 画面に、文字が流れた。


 『本日 二三時五〇分 中央司令部発令

  命令 殲滅

  認証符号 照合中』


 身体が、網の中心から、受け取った命令。その命令に添えられていた、長い、複雑な記号の列。わたしは、それを、あの夜の記号の列の隣に、並べて、見た。


 『照合結果

  第九避難所作戦の認証符号と 完全に一致』


 その下に、最後の一行が、浮かび上がった。


 『認証者 中央司令部総司令 アウグスト・レーヴェ』


 目の奥が、焼けはじめた。


 視界の縁から、白いものが、じわじわと、内側へ滲んできた。照明弾の光ではなかった。わたしの目の中の、見るための何かが、細い通路を流れていく熱に、焼かれているのだった。


 見えるものが、狭くなっていく。


 演壇の下で、黒い装甲の男が一人、太い筒を、わたしに向けていた。筒の先の、皿のような器が、青白く、光りはじめていた。


 あの光を浴びれば、身体は、糸を切られたように止まる。通路は、閉じる。


 狭くなっていく視界の、そのいちばん端に、遺族代表の演台が、あった。


 ユノが、いた。


 ユノは、上着の胸のポケットから、あの一発の弾を取り出していた。空だった拳銃に、それを、込めていた。


 ユノが、構えた。


 わたしに、ではなかった。


 銃声が、一発。


 太い筒の先の、皿のような器が、青白い火花を散らして、砕けた。


 黒い装甲の男が、筒を取り落とした。


 ユノは、煙を吐く拳銃を、両手で握ったまま、雨の中に、立っていた。ユノの唇が、何かを言っていた。わたしには、聞こえなかった。けれど、その形を、わたしは知っていた。見届ける、と。


 わたしは、それを、見ていた。


 それが、わたしの目が見た、最後のものだった。


 白が、視界を、塗りつぶした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。