一 式典の夜
その日、街じゅうの路面電車は、ひとつの方角へしか走らなかった。
塔へ。
夕暮れの大通りを、人の群れが、ゆっくりと流れていた。晴れ着を着た家族。父親の肩車の上の子ども。杖をついた老人。義肢の人々。誰もが、手に小さな白い紙の旗を持っていた。旗には、開いた本と若芽の紋章が刷られ、その下に、あの言葉があった。
記録を閉じ、明日をひらく。
停戦記念式典。
街灯という街灯に、白い花輪が掛けられていた。広場へ続く通りの建物の壁には、巨大な画面がいくつも据えつけられ、どの画面にも、同じ映像が映っている。塔の底の、あの白い環だった。環の周りに、白い花が敷きつめられていた。画面の隅で、白い数字が、一秒ずつ、減っていた。
消去作業開始まで、あと五時間と十二分。
わたしは、人の流れの中を、ユノの半歩後ろを歩いていた。
古い外套の頭巾を、目深にかぶっていた。ユノが古着の市で見つけてきたものだった。この九日間、わたしたちは、河原の廃船と、崩れた倉庫と、名前も知らない防空壕のあいだを、毎晩、移り住んできた。ユノの頬は、九日前よりも、さらに痩せていた。
ユノの胸のポケットには、あの一発の弾が、入っていた。
この九日間、ユノは、毎晩、眠る前に、三百人の名前を、声に出さずに、唇だけで、最初から最後まで繰り返していた。わたしは、毎晩、眠らずに、目を閉じて、わたしの中のあの夜を、最初から最後まで、見た。目を逸らさずに見ていられるようになるまで、何度も。
広場に近づくにつれて、人の流れは、密になっていった。
そして、流れの中に、別のものが、混じりはじめた。
白い旗ではなく、黒い布を掲げた人々だった。布に、白い字で、名前が書かれていた。人の名前だった。ひとつの布に、ひとつの名前。そのそばに、写真。年老いた女の写真。若い男の写真。子どもの写真。
『消させない』
誰かが掲げた板に、そう書かれていた。
白い旗を持った人々が、黒い布の人々から、目を逸らしながら、道を空けていく。黒い布の人々は、何も叫んでいなかった。ただ、黙って、塔へ向かって歩いていた。
「……遺族会」
ユノが、低い声で言った。
「記録の消去に反対してる人たち。……反政府活動家だって、復興局は呼んでる」
ユノは、黒い布の列の中に、知っている顔を見つけたらしかった。一瞬、足を止めかけ、それから、帽子のつばを下げて、また歩き出した。
「安置所に、何度も来た人たち。……わたしが、台帳を見せた人たち」
広場の入口に、検問があった。
番犬が、四体。黒い装甲の服を着た特別回収班の男たちが、十数人。そのうちの何人かが、太い筒を背負っていた。筒の先に、皿のような、浅い金属の器。地下鉄の駅で、わたしの身体を、糸を切るように止めた、あの機械だった。
身体が、それを、数えた。
わたしは、人の流れに身を任せたまま、頭巾の奥で、目を伏せた。検問の係員は、黒い布の人々の顔を、一人ずつ、手持ちの画面と照らし合わせていた。白い旗の人々は、ほとんど見もせずに、通していた。
ユノは、鞄の中から、白い紙の旗を二本取り出し、一本を、わたしの左手に握らせた。
わたしたちは、白い旗を振る家族のすぐ後ろについて、検問を通り抜けた。
塔の前の広場は、人で、埋めつくされていた。
何万人いるのか、わからなかった。広場の奥に、白い布を張った巨大な演壇が組まれ、その背後に、白い塔が、夜空に向かって、そびえていた。塔の頂で、光の環が、白く、ゆっくりと回っていた。
演壇の脇の、柵で囲われた一角に、黒い布の人々が集められていた。遺族席。聴聞室の椅子の背に貼られていた、あの白い札と、同じ言葉だった。
広場を囲む建物の屋上に、黒い人影が、並んでいた。小銃の銃身が、夕闇の中で、細く光っていた。身体は、それも、数えていた。屋上に、二十六。わたしは、その数を、ユノに言わなかった。
「……多すぎる」
ユノが、つぶやいた。
「式典の警備にしては、多すぎる」
わたしは、演壇を見上げた。
演壇の中央に、白い演台があった。その脇に、細い柱が一本立ち、柱の上に、大きな画面が掲げられている。画面には、今は、紋章だけが映っていた。
九日前、北丘の尾根の上で、わたしたちは、決めたのだ。
塔の記録が消されるとき、塔じゅうの回線が、あの白い環へ向かって開く。街じゅうの画面と拡声器が、式典のために、塔へ繋がる。そのとき、わたしの中にある、あの夜を、この街に見せる。
どうやって、それをするのかは、この九日間、どれほど考えても、わからなかった。
わかっているのは、ひとつだけだった。
ヴァルは、今夜、ここで、公開聴聞を行う。ミラ・ハルトの。
わたしを、あの演壇の上に、立たせるために。
「……行くの」
ユノが、訊いた。
「行く」
わたしは、言った。
「正面から」
ユノは、黙って、わたしを見た。それから、胸のポケットの上から、弾を、手のひらで押さえた。
「わたしは、遺族席へ行く」
ユノは、黒い布の人々の、柵で囲われた一角を見やった。
「あそこには、遺族代表が話す時間があるはずだから。……式次第に、書いてあった」
ユノは、背を向けかけて、振り返った。
「見届ける」
それだけ言うと、ユノは、人の群れの中へ、消えていった。




