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名前は、戦争が終わってから  作者: parupuntist
第六章 殺戮の全景

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七 見せる

 ユノは、机の上の、あの男の最後の紙を、手に取った。


 私は、見届けた。


 震える字の、たった一行。ユノは、それを、鞄の中の、わたしの証言を書きつけた紙の上に、重ねてしまった。押収物の札がついたままの、紙の束の上に。


「式典の日」


 ユノが、言った。背を向けたまま。


「塔の記録は、全部、地下七層のあの白い輪に流しこまれて、消される。……街じゅうの人が、塔の前に集まって、それを見届ける。記録を閉じ、明日をひらく、って」


 ユノは、振り向いた。


 目は、赤く腫れていた。けれど、その目は、もう、泣いていなかった。


「消させない」


「……どうやって」


「わからない。まだ。でも、あの日、塔じゅうの回線が、あの輪に向かって、開くはず。記録を流しこむために。街じゅうの画面と拡声器も、式典のために、塔に繋がる」


 ユノは、わたしの胸を、指さした。


「あなたの中に、あの夜がある。……それを、あの日、この街じゅうに見せる。ヴァルが用意した嘘の証言じゃなくて。反乱分子でも、一人の兵士の暴走でもなくて。命令と、符号と、三百人と、イオを」


 わたしは、自分の胸に、手を当てた。


 わたしの中に、あの夜がある。


 わたしの手が撃った少年の、最後の叫びが。命令を下した誰かの、偽物の作れない符号が。ロクイチの旋律が。目を閉じようとして閉じられなかった、ロクニの視界が。二十三時十七分に、ひびの入った、ロクマルの時計が。


 ロクマルも、ロクイチも、ロクニも、あの夜、見ていたのだ。命令を実行する層の奥で、三人とも、わたしと同じように。旋律を口ずさみながら撃っていたロクイチの奥で、目を閉じようとして閉じられなかったロクニの奥で、何が叫ばれていたのか。それを知っているのは、もう、わたしの中の記録だけだった。


 三人がどこへ連れていかれたのか、わたしは、まだ知らない。けれど、あの三人が、ただの引き金ではなかったことを、わたしは、知っている。


「見せる」


 わたしは、言った。


「イオは、こっちを見ろと叫んだ。……だから、見せる。この街に」


 ユノは、少しのあいだ、わたしの顔を見ていた。それから、短く、頷いた。許したのではない、とその頷きは言っていた。ただ、同じ方角を向く、とだけ。


 そのとき、身体が、気づいた。


 細い羽音。


 ずっと遠く。尾根の南側の、斜面の下から。ひとつ。ふたつ。この部屋の蓄電池が、十か月ぶりに吐き出した熱を、嗅ぎつけたのだ。


「ユノ」


 ユノは、もう、動いていた。蓄電池の線を、操作盤から引き抜く。四つの画面の、最後の小さな灯が、消えた。ユノは、鞄を肩にかけ、机の上の、空の拳銃を掴んで、ベルトに差した。


 わたしたちは、階段を駆け上がった。


 外は、夜だった。


 尾根の上を、湿った風が吹き抜けていた。昼間の熱を失った夏草が、足もとで、冷たく濡れていた。


 尾根の上の草が、風に、ざわざわと鳴っていた。南の斜面の下で、白い光の点が二つ、草の上をなぞるように、ゆっくりと、登ってくる。その後ろに、四本の脚の、硬い足音。


 わたしたちは、北の斜面へ、身を投げた。


 背の高い夏草の中を、滑るように、転がるように、駆け下りた。草の葉が、頬を切った。ユノの息が、背後で、荒く鳴っていた。わたしは、振り返らずに、ユノの手首を掴んでいた。ユノは、その手を、振りほどかなかった。


 途中で、白い光の点のひとつが、尾根を越えて、こちらの斜面へ回りこんできた。わたしは、ユノを草の中に押し伏せ、その上に、自分の身体をかぶせた。身体が、熱を捨てはじめる。夜の草と、同じ温度に。ユノの背中の熱を、わたしの冷えた胸で、覆い隠す。


 光が、わたしたちの頭上の草の穂を、白く撫でていった。ユノの心臓が、わたしの胸の下で、激しく打っていた。


 光は、そのまま、尾根の向こうへ戻っていった。


 斜面の下の、涸れた沢の岩陰で、わたしたちは、ようやく止まった。


 尾根の上で、白い光が、観測所のコンクリートの箱を、なめるように照らしていた。四つの皿のような器が、光の中に、黒く浮かび上がった。器は、変わらず、南西を向いていた。兵舎の丘と、街と、塔のほうを。


 ユノは、岩に背を預け、胸のポケットを、手のひらで押さえていた。


「……イオの声」


 ユノが、目を閉じたまま、つぶやいた。


「最後まで、ちゃんと、聞こえた。……十か月、ずっと、聞きたかった声だった」


 あの一発の弾が、そこにあった。


 ユノは、わたしを許さない。これから先も、ずっと。


 それでいい、とわたしは思った。許されないまま、わたしは、見せなければならない。


 尾根の向こうの夜空に、白い塔の、光の環が、小さく回っていた。


 あの塔の底で、白い環が、九日後を待っている。三百人の記録と、ユノの書庫と、あの夜の命令を、ひと晩で呑みこむために。


「……九日で、塔に入る方法を考える」


 ユノが、岩の陰で、目を閉じたまま言った。


「今度は、裏口からじゃない。……街じゅうの人が見ている、正面から」


 式典まで、あと九日。


 目を閉じると、あの夜が、そこにあった。もう、壁はなかった。


 貨車の上で、少年が、口を開けている。


 こっちを見ろ。


 あの夜、その声を聞いていたのは、わたしひとりだった。


 九日後、この街の全員に、それを聞かせる。

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